南アジア〜15世紀(その1)
- 弘末雅士ら編:「岩波講座 世界歴史04 南アジアと東南アジア〜15世紀」、岩波書店(2022)を借り出した。その中から南アジア関連の著述を読む。南アジア地域協力連合(SAARC)加盟国とはインド、パキスタン、スリランカ、ネパール、ブータン、モロディブの6ヶ国。インドの人口が近々中国を抜いて世界一になる。歴史好きでなくても、天竺からの仏教伝来に関心を寄せない日本人は少なかろう。私も南アジアの宗教事情に対しては古くから関心があった(「ヒンドゥー教」('07))、ガンダーラの仏教美術にも関心があった。
- でも総括的にこの地域の歴史を眺めたことはない。ことに古代史ではアレキサンダー大王がインダス川支流上流のパンジャーブ(パキスタンとインドの国境のインド側)でインド軍と戦ったぐらいしか記憶にない。国別ではスリランカには寄港(「悠久のオリエンタルクルーズW」('18))した縁で、歴史や民情を調べたことがある(「スリランカの物語」('17))。「インド洋」('22)はその航行の思い出が起点になった。
- 古井龍介:「南アジア世界の形成と発展」。
- 覚悟はしていたが、人名、地名(過去、現在)、宗教哲学用語には9割方と言えるほど馴染みがないから、すらすらとは読めない。本章は、その意味では、かなり高級なというか専門的な知識人を対象に書いていると言えそうだ。幸いWebには親切な解説が出ているので、PCを傍らに置いて何とか読んだ。紀元前5千年から15世紀までの長い歴史だ。せめてときおりの地図ぐらいは挟んでくれたらよいのにと思った。
- このHPの「サピエンス全史(上)U」('17)は、インド、スリランカ社会のヒエラルキー構造・カースト制を「3000年前にインドに侵入したインド・アーリア系民族がインドを征服した後、多数派の土着民を支配し続けるために、宗教と絡み合わせて作り上げた壮大な人種ヒエラルキーである。生まれつきが職業、食べて良いもの、住む場所、相応しい結婚相手(同じカースト)を決める。少しでも背けば本人も社会全体も穢れることになると云う。独立後の努力にもかかわらず職業と結婚のカースト感は健在だという。大分けして4種と不可賤民。4種の階層はさらに3000ほどに小分けされるそうだ。今はヒンドゥー教の教義になり、インドの人心を根強く支配する。」と紹介した。カースト制は統治者側にとっては都合の良い魅力ある制度だ。遅れて進出してきたムスリムの社会では、このヒエラルキー構造はどう受け止められているのだろう。
- インダス文明衰退期に、もともとはポントス・カスピ海草原にいたインド・アーリア系遊牧集団が南アジアに侵入し、パンジャーブに定着する。馬を家畜化し馬車を使えるようになった機動力が移動を容易にした。インダス文明系定住民を征服できたのは、彼らの部族社会が階層型によく組織され、力を発揮出来たためだろう。ガンジス・ヤムナー両河地域に支配が拡大し、王権が伸長、それとともに司祭階層、戦士・支配者階層、生産者階層、隷属階層の4階層を骨子とするブラフマニズム(バラモン教)が確立された。紀元前1000年ころの話。
- 釈迦の活躍期は定かでない。遺跡からは紀元前6世紀以前とされている。インドは鉄器時代に入っていた。仏典には16大国が記載されている。政治体制が進化し、官僚制と常備軍を備える国も出てきた。貨幣制度の展開も見られる。農工商の発展で、プラフラニズムの内部にも新しい思潮が出てくるが、ブラフマニズムとは異なる文化も芽生えた。祭式教条至上に異を唱えるアージーヴィカ教、ジャイナ教、仏教が新興有力者たちの支持を集める。
- インド・パキスタンに跨るマウリヤ帝国は、仏教帰依で名高いアショーカ王で名高い。アレキサンダー大王の侵入はアショーカ王(紀元前3世紀中頃)以前のことだ。イラン系やギリシャ系の入った多様な社会集団を統合するために、アショーカ王はダルマ(法・規範)を宣布し、碑文を銘刻させた。中央集権にはほど遠い体勢だったという。教派横断的な普遍的倫理〜不殺生、正しい人間関係〜はブラフマニズムに対する挑戦であった。彼らのダルマはますます精緻化する。不可触民の地位、階層間混血の禁避など。帝国はアショーカ王没後50年ほどで滅亡。彼のダルマ政治は子孫に受け継がれなかった。兵制に象隊と馬隊が入っている。アレキサンダー軍はインドの象隊に苦しめられたが、象使いを射る方法で活路を見出したという。馬隊併用はインド側の反省か。
- ヘレニズム三国の1つセレウコス朝とマウリア朝が接する、今のイランとパキスタンに挟まれた地域、アフガニスタンとその北方南方を含む領域は、独立色を強めるが、前160年頃には中央アジアからの大月氏(イラン系遊牧民族)の南下侵攻を受ける。イラン系のゾロアスター教、インド側からの仏教、プラフマニズム、ギリシャの神々などが混交して複雑な文化に熟成して行く。ガンダーラ芸術はその典型だし、外来勢力の土着化が進む。
- 季節風を利用した航法の導入で、インド洋交易がギリシャ人商人を主な担い手として発達する。港が沿岸に作られ内陸部に強い影響が出る。マウリヤ朝衰亡により起こったデカン西部のサータヴァーハナ朝が勢力を伸ばす。マウリヤ朝支配域周辺にあって国家社会を経験していた。仏教が拡大・繁栄する。さらに半島南の地帯は未だ首長制の前国家社会であった。しかし各宗教の浸透、貨幣流通、大首長の存在など後進性の脱却に向けての歩みは進んでいた。そのころのインド・アフガニスタンの亜大陸北西地域はイラン系のクシャーナ朝による支配だった。2〜3世紀ごろの統治者カニシカ王は、仏教の保護にあたった王として知られている。
- グプタ朝がクシャーナ朝を継ぎ6世紀半ばまでつづく。どの時代もそうだが、末期になると、それまでの従属地方王権が独立する。地方王権とは、貢納と軍事奉仕と引き替えに自領を安堵された、もとは独立の支配者であった場合が多い。グプタ朝の版図は広かった。そのサンスクリット王権のモデルと新たなブラフマニズムは周縁における国家形成を促し、定住農耕の拡大を促す。中小規模の地域王権が11世紀まで続く。中世初期としている。
- 中世初期南アジアには、ブラフマニカルな宗教思想が社会秩序・権力成立基盤として広く行き渡るようになる。台頭したのがシヴァ派で、タントラと総称される呪術的宗教秘儀がシヴァ神に結びついている。タントラの技法はヴィシュヌ派、ジャイナ教や仏教に取り入れられて行く。これらの宗教宗派は現インドのヒンドゥー教では、彼らの1派と見なされている。南アジアは、悟りを目指す個の修身修行と、現世の秩序容認に繋がる社会階層を守る雰囲気に満ちてきたと言うべきか。そこにイスラーム勢力が侵入し定着拡大する。
- イスラームは、インド洋交易へのアラブ・イラン人の進出と、テュルク(トルコ)系ムスリム遊牧勢力の侵攻から顕著になった。1398年のティムールによる北インド攻撃を挟んで、イスラーム系の王朝の興亡が続く。南アジアはペルシャ語文化圏になった。サンスクリット語文化が衰えたわけではなく、相互に交錯して多様な文化へ発展する。スリランカでは上座部仏教が11世紀に正統化された。北東部では雲南から南下したタイ族の一派が王国を築く。
- イスラームとの対話で、同時期の南アジア在来ブラフマニズム宗教に「ヒンドゥー」という自己認識が形成される。一神教的要素の取り入れ、他者を媒介して諸宗派を一体と見る自己認識がヒンドゥイズムを誕生させた。13世紀初頭、玄奘三蔵、義浄も訪れているナーランダ僧院もある仏教聖地が、イスラームの将軍に襲撃され、略奪・破壊と仏僧の殺戮で、南アジアにおける、すでに退潮気味であった仏教の衰退を決定づけた。
- 手嶋英貴:「人文学報」第110号 (2017年 7 月)に、現在のヒンドゥー教寺院の所有者、経営者、司祭、信者、祭礼などに対する人間関係の詳細な報告がある。ヒンドゥー教寺院は旅行のときほんの一瞬覗かせて貰った程度で、いままで私にはキリスト教会よりもずっと遠い存在だった。本報告は門外漢に感覚的親近感を植え付けてくれる。インド独立後の変遷は我が国の仏教寺院のそれとも対比できて面白い。
('22/8/7)