2022年度第1回大人の休日倶楽部パス旅行
- 今回のパス旅行は6/24(金)〜27(月)の4日間である。
- 初日は北飯山の高橋まゆみ人形館が目玉の日帰りで、自由参加で呼びかけたミニ同窓会に何人来るかが楽しみであった。予定通り13:04に北飯山駅で下車。北飯山はくもりだった。人形館のカフェでコーヒーを飲みながら待ったが、新基軸の同窓会への参加者はなかった。少々遠いのとみな年配者だからもう集まるのは難しいのだろう。コロナ禍前の同窓会が実質最終回になったようだ。
- 人形館には(前回:「「Web限定 大人の休日パス 東日本スペシャル」旅行 その一」(2021)」と比べて)訪問者が増えていた。人形に付けられていた作品名をメモしておいた。花火、家族の四季、卒業、遠足、登山、ハエたたき、押し車、収穫、あげない、お迎え、仲良し、泣き虫、畑から、つり、いつくしみ、生命の存在〜呆けても持ちゆく母のさじ一つ 命をつなぐしぐさと心〜、からっぽの碑、あくび、祈り、すいか、夕日、たかいたかい。花火は、村祭りの情景らしく、人形はみな空の一角に笑顔を向けていた。生命の存在は、但し書きの呆けた母がなお持ち続ける母性本能を象徴していて、哀れであった。
- 建物の外に咲くコバノズイナは、私の住まいの近隣では見かけない花だった。4館共通入館券をすすめられ買っていた。それであと伝統産業会館、美術館、ふるさと館を訪問した。人形館のあとは1時間ほどで3館を足早に歩いた。人形館以外には人影がなかった。最後に仁王門。もと善光寺にあった仁王像。明治期のご開帳に合わせて飯山の仏師が制作したもの。ビロードモウズイカは花が付き始めていた。めずらしくもシロバナシナガワハギを見た。千葉よりは暑く最高36℃の夏旅行だった。
- 6/25。予定通り東京発10:24のかがやき509号で長野に向かった。11:43長野着。昼飯は新幹線の中で食った。ギャラリー82を探す。八十二銀行は立派な建物だった。本館の裏に別館があり、その1Fがギャラリーで、地方銀行の文化貢献のスペースであった。「まゆみ人形お帰りなさい展」をやっていた。展示は写真も入れて20体ほど。無償。私のお気に入り:「頑固ばぁさんの家出」も展示されていた。
- 長野電鉄の特急「スノーモンキー」に乗り善光寺下で降りた。ところが間違えて権堂へ行く道路を歩き出しとんだ大回りになった。長野電鉄は市内が地下になっていて、その出口が旧路線に沿って長野駅に向かっていたのに、善光寺方向と勘違いしたためである。だいぶたってから路線修正をしたが結構もう疲れていた。
- 仁王門あたりからの門前町は大変な人出で、山門に上ることも内陣拝観することもできなかった。前立本尊回向柱にさわり、香炉に線香の束を放り入れるのがやっとであった。家内の依頼だった門前みそ漬け(すや亀本店仲見世店)をかろうじて見つけ、540円のセット物を1個買った。後日試食したが、たいそう塩辛い漬け物だった。戻りも善光寺下からのった。近代建築の立派な駅舎の中の商店を見物して歩き、売店で100円コーヒーを飲み、待合室でうとうとしてから、16時16分の新幹線で、我が家には18時半頃に戻った。
- 6/26。東京10:40発のとき317号で長岡に出、あと小出経由の只見線で会津若松に17:21に到着した。ビジネスホテル泊まり。今回の旅行では、昼飯はおにぎり2個が定番だった。上手にのりが包装されていて、食べるときに乾燥したのりがおにぎりを包む構造に作ってある。買うたびにこの仕組みに感心する。折り紙の技に優れた伝統があるから、こんな工夫が生まれたのであろうか。只見線の乗客のほとんどは旅人で、座席は6割は埋まっていた。私のお目当ては只見駅から会津川口までの代行バス。乗車時間50分。10/1までに鉄道補修再建工事が終わり全線の線路が開通するので、私にとって最後の代行バス。運転手は以前と同じ中年女性。
- バスは満席だった。今までにこんなことはなかったと思う。乗客全員が会津盆地を目指す旅客で、途中の停留所での乗り降りは1人もなかった。少なくとも代行バス区間のこの時間帯(15時前後)では、地元民の利便に鉄路がほとんど貢献していないことは明らかだ。土日以外はこの時間帯の代行バスの運行はないそうだ。豪雪地帯で、今年も週日では、列車は只見の1つ手前の大白川までだった。10/1からは毎日運行になるようだ。
- 会津川口から団体旅行の一団が乗ってきた。只見川は何段にも発電用のダムに仕切られていて、そのダムを遊覧船が行き来するらしい。車中から舟の船頭に手を振っていた。車内販売が始まった。観光案内の放送があり、要所要所で列車が徐行する。土日だけの会津柳津までの行事という。只見線に車掌が乗っていた。これまでの旅行記憶になかった。これも土日だけかも知れない。只見川とその支流の両川岸を被う緑が強烈だった。梅雨の雨で葉が洗われていたために、より青々としていたのかも知れない。でも梅雨の割に川の流れは穏やかだった。
- 6/27。外は雨。切符を買ったころの予報では、朝方はやや怪しいが総じて好天といった感じであったのに、朝食時はきつい降りようだった。小雨になったのを見計らって駅に行く。ホテルが駅に近いという立地はまことに便利であった。駅前8:45発のまちなか周遊バスあかべぇで途中下車なしの街見物を行う。小さな盆地で、一走りですぐ飯森山、武家屋敷、東山温泉などにいたる。東山温泉からは大勢の泊まり客らしい人たちが乗った。このバスには昔一度乗ったことを思い出した。バス名の「あかべぇ」は郷土玩具で私の家にも中型のそれが棚に飾ってある。駅の売店で見るとその中型も非売品になっていた。我が家の他の民芸品でもそうだが、民芸品がだんだんと廃れて行く象徴のように感じた。10:20の予定だったが1時間前の快速郡山行きに乗った。天気は快方に向かっているのでその時点ではほっとしていた。
- 二本松にも予定12:04の1時間前に到着した。なんだか会津若松の雷雲の行き先を追っかけている形になっていた。雷がしょっちゅう鳴り、雨が強まったり弱まったり。ともかく駅の観光案内所で一番のお目当ての二本松城跡へのルートを教えてもらう。知らなかったが、城門(箕輪門)に達するには城山に繋がる丘陵線を越えて行かねばならず、タクシー観光に切り替える理由の一つになった。それと適当な昼食どころ。困ったことに月曜日は一斉休業日だとのことで、入れそうな店はたった2軒だった。
- 初日のミニ同窓会に失敗していたので、もういちどトライすることとしていた。12時に改札口で待ち合わすと同窓会のメンバーに通知していた。1時間余裕があるので、少し様子見にと思い、二本松神社前のバス停まで出かけてみた。鳥居は道路に面しているがそこから拝殿までは石段が長々と連なっている。バス停の長椅子の老人に城までと言うと、この雨では坂道が大変だというので、諦めて大隣寺方向に歩き始めたが、またごろごろと雷音が聞こえ雨も強くなりだしたので引き返し、改札口で列車を待った。だれも同窓生は降りてこなかった。駅前のコンビニで折りたたみ傘を買う。
- タクシー乗り場で客待ちのタクシーに乗り、箕輪門に向かう。立派な石垣だ。本当は本丸まで歩きたかったが、門を潜った次の石垣あたりで断念して引き返した。門前の広場は藩兵集合地だったそうで、二本松少年隊の群像と少年兵の出陣服を縫う母の像が置かれている。幕末のころの二本松藩侯家は、丹羽家で、織田信長の重臣・丹羽長秀に繋がる名家。10万石を領した。二本松少年隊62名は、藩兵出兵による城兵不在の隙を突かれそうになった藩が、急遽、参陣を許した17歳までの少年だったという。14名が戦死。その墓が次に訪れた大隣寺にあった。城を取り囲むように、丘陵地帯の中腹には小さな寺が並んでいた。家屋は改まっているが、街の区画は城下町時代とほとんど変わらないそうである。もう一度改めて訪問してみたい街であった。
- タクシー代は3100円。13時過ぎに福島行きが来たのでそれに乗り、福島で新幹線やまびこ60号に乗り換えて、我が家には5時頃到着した。予定より2時間は早かった。福島で桃味のクッキーをお土産に買った。やまびこ60号になすの278号から切り替えたのだが、指定席は最後の1枚だった。もちろんB席で、東京までは窮屈だった。キャリバッグを引く旅行者が目立った。
('22/6/30)