社会学者・見田宗介(真木悠介)氏逝く
- 氏の訃報が出た。市図書館の図書を検索して著作の4冊を借り出した。@「近代日本の心情の歴史〜流行歌の社会心理史〜」、講談社学術文庫(1978);A「宮沢賢治〜存在の祭りの中へ〜」、岩波現代文庫(2001);B「時間の比較社会学」、岩波現代文庫(2003);C「現代社会はどこに向かうか〜高原の見晴らしを切り開くこと〜」、岩波新書(2018)である。
- 氏は東京大名誉教授。私よりいくつかお若いがまずは同世代と言えるお方だった。訃報で初めてお目に掛かる名だった。メディアには著名人であるらしく、追悼に割と大きな紙面を割いていた。借りだした本の表題はどれも魅力的だが、私の持ち時間ももう迫っている、とても全冊とはお付き合いできない。年代的に一番古い@と一番新しいCを選び、1:2ぐらいの時間配分で読むことにした。
- @を最初にペラペラとめくったとき目に付いたのが軍歌。私は歌の文句(だけではなくすべてに対して)を覚えるのが大の苦手で、どれもこれも断片的にしか頭に残っていない。何とか1節だけでも思い出せる歌は本当に少ない。だが視覚に結びついた歌はその部分だけだが思い出せる。'85年頃の吉永小百合主演のNHKドラマ「夢千代日記」に、温泉に浸りながら、新米芸者がベテラン芸者に軍歌を習うシーンの「麦と兵隊」。
- 第1節は「徐州徐州と人馬は進む 徐州いよいか住みよいか 洒落た文句に振り返りゃ お国訛りのおけさ節 ヒゲが微笑む 麦畑」。「ジョシュウ」とは何だと若い方が聞く。シーンは戦争を知る世代と戦争を知らない世代のギャップを突いている。本書では第9章:「郷愁とあこがれの歴史」に出ている。当時の権力は、国民精神を「大陸」に総動員するべく流行歌壇にまで圧力をかけていた。おけさ節とか麦畑とかに兵士の望郷の念が託されていて、それが「銃後」の心を打った。純粋な戦意高揚歌ではない。
- 最近のTVの歌番組は、群舞歌番組といった方が正しいと思う。姿態の揃った大勢が見事に揃い踊る。それに歌が入るのだが、演出者の神経が、ダンスに半ば以上に集中していることはすぐ判る。踊り中心の曲だからだろう、歌曲そのものも人口膾炙にはほど遠い内容だ。事実、最近はマスク姿ばかりだからなおさらのことだが、人々は口ずさまない。私らが馴染めないもう一つの理由は、歌詞に心に響くものがすくない、さらに言い足せば(全部がそうだとは言わないが)、日本語がはっきり聞き取れない上に「なんだかお経を聞いているようだ」。本書のいう「流行歌」は、日本にはもうなくなっていると言えよう。
- 本書の流行歌リストは1963年で終わっている。演歌のヒット作が途切れ出すのは21世紀初めのころと思うので、あと40年分の「社会心理史」を書き足しておいてくれたらすばらしい著書になったろうにと残念に思う。新しい順にリストを眺めると、「島のブルース」('63)がまず目に付いた。クルーズ船が奄美大島の名瀬の港を出航するとき決まって流れてくる。もうご当地新民謡といった歌になった。乙女の慕情を唄う健康な恋歌だ。本書にはコメントはない。カセットテープもCDもないので、YouTubeを調べてみた。YouTubeにはマヒナスターズと三沢あけみが歌う映像が投稿されていた。BSアナログ時代と判る荒い画面だが音声は確かだ。
- YouTubeには名曲と謳われた流行歌が多数投稿されている。著作権関係がどうなっているのかちょっと気になるが、台湾公演の録画らしいものが多数見られる。YouTubeは私の演歌掘り起こしにたいそう役立ってくれた。再生回数が1千万回を越すものなどざらだ。YouTubeの文化貢献度は無視できないものがある。Wikipediaには演歌は老人層のものといった書き方になっている。ちょっと偏見が強いのではないか。NHK:「のど自慢」でも結構若い層が歌っているのにと思う。
- 本書リストの'62年に「霧子のタンゴ」、'57年に「有楽町で逢いましょう」を見つけた。YouTubeを検索すると、五木ひろしと石川さゆりが、デュエットで、この2曲をカバーしている動画を見つけた。「島のブルース」のマヒナスターズと三沢あけみでもそうだったが、ちょっとした仕草身振りで歌を演じて雰囲気を出している。3分のドラマとはよく言ったものだ。本書は、前者に対しては、お国のためとか義理人情でといった他への掟ではなく、相手の幸福を願って身をひく歌詞の姿勢に時代を感じている。後者に対しては、当時の「あこがれの東京」歌の一つという位置づけだ。東京1極化の弊害はその半世紀後に出てくる。
- Cが出版された'18年は、米英仏のシリア攻撃、ロシアのウクライナ艦艇拿捕ぐらいがきな臭い話で、概して世界は平穏だった。プーチン大統領の4選、中国国家主席の再選制限撤廃があった。専制体制の強化だ。今から思うとウクライナ侵略戦の序曲が始まっていた。Cの「はじめに」は「現代社会は、人間の歴史の中の、巨大な曲がり角にある。」という出だしになっている。序章に本全体の骨子を要約し、補章は現代社会が向かう方向実現のための実践論のメモ書きであるとしてある。お急ぎの方はせめてこの2つを読めと言うことらしい。
- 序章は「現代社会はどこに向かうか〜高原の見晴らしを切り開くこと〜」、本の題名と同じにしてある。
- 親子の断絶という言葉を聞くようになってから長くなる。NHK放送文化研究所という組織が、日本人の意識の経年変化を追跡している。選んだ世代は、戦争、第1次戦後、団塊、新人類、団塊Jr.、新人類Jr.の6グループ。戦前の教育の影響を引きずるのは第1次戦後世代まで。団塊以降の世代は精神構造が割と似てくる。私は所謂焼け跡世代(戦争と第1次戦後の中間)、家内は第1次戦後世代。NHKの統計では私らの親子にはきつい断絶があったはずだが、互いに鈍感だったせいか、家庭はシビアな局面無しに今日に至っている。我々世代は、神武景気からの、世界にGDP年率を誇った成長確信世代であり、オイルショック、リーマンショックがあってもまだ自信満々だった。
- ローマクラブの「成長の限界」は確かに読んでいた。'70年代だから半信半疑。地球の1次資源の枯渇については明々白々の事実だ。国家単位ぐらいだと世界は無限に見えようが、グローバルに見れば地球は閉じた空間でしかない。資源を先取りした先進国がこれからは有限思考でやろうと言っても、後進国は承知しない。南の国々では未だに人口爆発が続く。しかし、たぶん中国の少子化策が最大の理由だが、世界の人口はロジスティック曲線を描き、産業革命工業化社会化のあとの安定平衡期に入ろうとしている。図4に世界人口の増加年率を示すが、すでに減少期に入っている。
- 消費社会の変容をフォードとGMの対比で描いてある。大量生産で引っ張ってこられた自動車の販売戦略は、「デザインと広告とクレジット」による買い換え需要喚起で市場の壁を打ち破った。情報による消費の自己創出である。しかしGMの戦略は'08年に暗転する。物質的な高度成長には限界がある。消費の無限拡大と生産の無限拡大は、資源の無限開発と環境廃棄物の無限排出に繋がる。域外調達と海洋大気なる「域外」への排出で、一旦は有限性を乗り越えたが、どちらも今度は地球の閉域性にぶつかる。もう逃げ道がない。サブプライム・ローン問題は住宅市場を無限化する虚構が、購入者の支払限界という有限性のためにもろくも崩れ去った結果だった。
- 高度成長期には自然は「無限」の環境容量を持ち、開発と発展のための「征服」の対象であった。安定期での自然は、「有限」の環境容量として立ち現れ、安定した生存の持続のための「共生」の対象である。今人間は、かっては「無限」と信じられた世界の「有限」性の前に立って戦慄している。「無限」に面した文明の始動期に偉大なる思想、宗教を生んだように、「有限」を前にして、新しい局面を生きる思想とシステムを構築して行かねばならない。
- 「近代に至る文明の成果の高みを保持したままで、高度に産業化された諸社会は、これ以上の物質的な「成長」を不要なものとして完了し、永続する幸福な安定平衡の高原(プラトー)として、近代の後の見晴らしを切り開かねばならない」とある。
- 補章は「世界を変える二つの方法」。
- ベルリンの壁は「西側」の世界の自由と魅力性によって打ち破られた。だがその次に資本主義の壁が立ちはだかる。ピゲティの「21世紀の資本」が世界的話題になった。「新自由主義の帰結」('13)、「資本主義の終焉」('14)、「アベノミクスの終焉」('14)、ポスト資本主義」('21)、「おとなの教養3」('21)などに論者たちの「傾向と対策」を載せている。「北欧の歴史」('22)には、北欧が、資本主義でもない社会主義でもない、福祉重視のスーパー資本主義を開拓しようとしている姿を捉えている。
- ヒットラーのドイツ、スターリンのソ連を招いた3大根本原因は、憎しみからとりあえず打倒しようの否定主義、システムの合理性追求が抑圧的管理社会構築に繋がった全体主義(北欧社会の実験を高く評価している)、将来は極楽なんだ、終わりよければすべてよしとしようの手段主義だとする。
- 私はオリンピックのたびにアフリカ民族の優れた運動能力に感嘆する。太古の出アフリカ時代にアフリカ内に生き残った人間は優秀だったのだ。だが近代には欧米の奴隷刈りの対象だった。大戦後の独立でようやく愁眉を開いたと思ったところ、相次ぐ内戦と外国干渉で、先進国レベルから遠ざかる一方の国が出ている。近代化は最先端の殺人兵器を死の商人から買い集めることだった。各国の内情はよくは知らない。だが本書の指摘が当てはまるケースが感じられる。
- 否定主義に対抗して肯定的に生きよう、全体主義に対抗して多様性を尊重しよう、手段主義に対抗して現在の生活を大切にしようというのが、人類が活路を見出すための公準である。著者は公準の実現は、すべて人社会の1人1人の自覚にあるという意識からであろう、新型コロナウィルス感染拡散(実効再生産数が1以上)のように(本書の例は原子力(実効増倍率が1以上)だが)、個人単位の連鎖反応でもその増殖率を1以上に保つべく行動せねばならないと強調する。
('22/4/19)