日本人の先祖は縄文人
- 長浜浩明:「日本人の先祖は縄文人だった! 今明かされる日本人ルーツの真実」、展転社('21)を読む。著者は東工大出身の建築技師。私がまだ若かった時代、まだ文系の学問だった考古学に進出した工学系の学者(小林行雄氏)がいた。毛色の違うヒトの議論は新風を吹き込むときがある。本書の目次を見ると、これまでのルーツ論にかなり戦闘的に切り込んでいるらしいと解る。
- このHPには、日本人のルーツとか先祖に関する議論がいくつも出てくる。古いのに「楽園の先史人」('99)があって、「NHKスペシアル「驚異の小宇宙人体V遺伝子DNA」第3集「日本人のルーツ」」が、私の関心を呼び込む刺激剤だったようだ。最新の議論は「大論争 日本人の起源」('22)で、マックス・プランク人類史科学研究所中心のトランスユーラシア言語の発祥地と、京大収集の日本辺境民遺骨の取り扱いを巡る論争が発火点になった。
- 最近新聞に津田左右吉:「明治維新の研究」なる本の広告が出た。津田氏著書が復刻されていると言うことは、国内の史観に変化が出始めていると言うことだろうか。津田左右吉氏は神話時代の解釈に関し、皇国史観学者から告発・起訴(不敬罪)され、1940年(昭和15年)に早稲田大学教授の地位を失った学者。戦後、彼は独自の「日本民族史観」に基づいて今度は左翼学者と戦った。本書の「はじめに」には、著者はこの津田氏の思想をおおむね了とするとある。
- 第1章は「Y染色体が明かしたヒトの拡散ルート」。
- ブライアン・サイクス:「イヴの七人の娘たち」('01)の頃は、まだ、ルーツ探索にミトコンドリア遺伝子が幅を利かせていた。女性のルーツであるが、男女のルーツをほぼ同じように考えた。Y染色体が男性ルーツの探索に有用かつ唯一の方法であることはすでに解っていたが、その解析が当時は困難であったため、その活用は限られていた。ルーツ探索ではDNAに残る突然変異を系統的に調べる方法をとる。ミトコンドリアDNAの塩基対は1.65万個、Y染色体では5100万個。情報量が圧倒的に違うから、分析が容易になった今日では、ルーツ探索法はY染色体法が主流なのだろう。
- 著者が推す「新人の移動ルート」(図1-9、1-10)では、日本人のルーツが東南アジアからの北進で朝鮮半島から大陸や樺太からシベリア方面へも矢印が伸びていた。それは私が従来から持っていた樺太、中国大陸、朝鮮半島、琉球列島の4方向からの日本進出という構図からは、逆方向もいいところの、全く乖離したものであった。私は目をむいた。
- この「新人の移動ルート」図はジェノグラフィック・プロジェクト('05〜'20年)に基づくもので、大規模にDNAを集め、Y染色体から、多様な専門学者が検討した結果だという。ただこのプロジェクトからの、ほかのルートの提案の有無については、記載がない。Y染色体からのルートとして、最有力な案としてよいかどうかは判らなかった。現代人のDNA分布から太古を探る以上、ことにユーラシア大陸内に関しては異論がもっとあってよいはずだ。
- 第2章は「考古学から見た「新人」日本への旅」。
- 私らの世代は日本史は縄文時代から始まる、石器時代はあってもせいぜい新石器時代と思っていた。ことに旧石器捏造事件があって以来、旧石器時代の存在すら疑問に思っていた。本書は12万年前には、前中期旧石器時代の旧人が(おそらくマンモス・ハンターとして現れ)日本に住み着いたとしてある。詳細説明はないが、現日本人のDNAに旧人の痕跡があるという。
- 後期旧石器時代の4万年前ごろより東南アジアから丸木舟の新人が断続的だが次々に北上してくる。彼らは日本列島を目指す。種子島の遺跡遺物が北上を証明する。沖縄で定着した形跡はない。かの港川人はスンダランドから2.2万年前に来た人たちの片割れ。現在の沖縄人のDNAは広東や台湾先住民とは縁が薄い。本土人、朝鮮人、中国東北部人にはこの順で近い関係にある。縄文土器が出土するようになったころから、本土との絶え間のない交流が証明される。つまり、縄文人あたりからの出戻りが、沖縄人を形成する。
- 本土から北海道へ、さらに樺太を経て大陸へと北上が続いた。NHK「日本人はるかな旅」での、北九州縄文人人骨のDNAが、バイカル湖のブリヤート人と酷似していると言う指摘は、北上説でも説明がつく。北海道の黒曜石が樺太で発見されている。マンモスハンターの細石刃は北海道ですでに使われていた。アイヌは「元」の軍勢に追われて中国から逃げてきた新参者で先住民ではない。この話は耳新しかった。彼らは北海道の縄文時代の漆文化と無関係だし、日本語、土器、貝文化、農耕とも無縁だという。
- 第3章は「「韓国考古学会」が認めた衝撃の真実」。
- 北上には朝鮮半島から大陸へのコースもあった。地誌での半島の初出は、山海経の「蓋国在鉅燕南倭北。倭属燕。」である。北朝鮮の平壌付近に蓋国があり、南に倭国がある。倭は燕に従属している。ころは紀元前3世紀前半。文字になる以前の朝鮮は、韓国考古資料では、紀元前1万年から5千年までの前中期旧石器時代の間人影が消えたとある。後期旧石器時代に入っても、遺跡は希薄で、日本の同じ時代の遺跡数と格段の差が見られる。日本は寒冷期にもかかわらず温暖で、人口が増え移住を促す人口圧があった。
- 遺物特に土器様式の比較、遺骨の形状比較などから、半島の先住民・倭人は日本から移住した縄文人であったと著者は唱える。九州はことに人口圧が高くなり、集団で狩猟採取生活を営める限界を超えていた。釜山近くの東三洞貝塚の出土品は、縄文期の九州の倭人との交流を裏付ける。
- 有史時代に近づいて、鴨緑江の北からツングース族とか漢族が倭人を混血しつつ圧迫南下する。現在の韓国人は、この先住民である倭人とは異なった混血による新民族だとある。純倭人の最後の拠が弁韓とか伽耶、任那あたりであったのだろう。韓国出土の縄文期遺物に対する日本の高名考古学者の従来見解への反論は、なかなかの内容である。
- 第4章は「シナより早かった日本の稲作」。
- 薩摩半島からは12千年以上古いイネのプラントオパールが発見されている。日本には野生のイネはなかった。スンダランドからの移民が、丸太舟に載せて運んだ籾による稲作ものとしてある。岡山では6千年前の稲作が証明された。半島では4千年前とされている。従来説の稲作発祥の地・長江中下流域の稻作遺跡は7千年前。漢族はこの地に1万年前に到達した。東アジアでは日本の稲作が一番古い。イネ(ジャポニカ)の原産地はスンダランドを含む東南アジア。
- ジャポニカには熱帯種と温帯種がある。縄文期のコメはかなりが熱帯種だ。東南アジア原産の熱帯種が縄文人とともに運ばれ、彼らの品種選別で温帯種を生んだ。長江周辺出土品のDNAは、熱帯種が少なくかつ雑種的割合が多い。シナから半島周りで日本に来たのでは、説明がつかない事実だ。
- 半島の史書、三国史記には、1.7千年前ごろまでには米が出てこない。新羅の記事にも百済の記事にも麦や粟、稗などの雑穀に関する記載はあるのだ。北九州からは畦畔と灌漑施設のある水田遺構が縄文土器、農機具とともに発掘された。2.6千年前の縄文後期。稲田に関する比較がしてある。朝鮮半島のも長江周辺のも、遺跡の稲田は自然の沼辺を利用する天水田で水田耕作道具に関する出土品はない、野焼き→畑作→天水田→畦畔灌漑水田の技術進歩という観点からも、水田稻作日本起源説が自然で有力だ。縄文と弥生の間に、民族交替のような劇的変化を告げる遺跡情報は何もない。
- 著者の悪口を私なりに纏めると、従来の考古学権威が言う、長江中下流域周辺からの米生産技術の伝搬は、直接的証明とはほど遠い土器形式や遺骨骨相に「なんでも先進」の中国と半島という先入観が重なった幻影で、弥生人源流の渡来人が半島から水田をひっさげて「降臨」なされたなどとは、科学的には肯定できないということらしい。
- 第5章は「ゲノム解析が導く日本人のルーツ」。
- 土器の模様がどうで、出土地層との前後関係で文化の流れる方向と時代を云々するのには、不確定要素が多いと常々危ぶんでいた。骨相に対しても同じだ。身長だって顔つきだって生活環境とともに変化する。私など戦中成長派は、概して、背が低く四角い下駄顔なのに、栄養が足りて柔らかい食物を選択できる現役世代は、身長は高く三角のおにぎり顔だ。私は遺伝子解析とかSiO2のプラントオパール追跡は直接的資料として信用できる。鏃の黒曜石の産地がどこだという話は、分析化学を知るものでなくてもよく判る。
- DNA情報はますます精緻になり豊富にもなってきた。私は、本書前までは、ほぼミトコンドリアDNAからの結論による議論しか見ていなかったが、Y染色体を武器に展開する本書の内容には瞠目せざるを得なかった。旧来型考古学権威筋とそれに乗ったNHKが流す、渡来人弥生文化説が矛盾に満ちているから一旦はそれを忘れ、縄文人が弥生人になっていったのであり、縄文文化と弥生文化は連続しており、弥生文化の起点は北九州だったとぐらいに理解しておけばよいようだ。
- ミトコンドリアDNAのハプログループからは、日本女性は大半が大陸に祖先を持つ渡来系だが、Y染色体のハプログループでは男は縄文系だという奇妙な結果は、1本のDNA情報量の少ないミトコンドリア側の統計解析法に不確実性があるのではないか。もし双方が正しいのなら、渡来人の内、男性は先住の縄文人にほとんどが殺戮される一方で、縄文人の女性は消えてしまい、遺伝子を残さなかったか、女性だけが多数渡来して、しかも日本を覆ったかだが、どちらのシナリオもあり得ない。
- 確実に渡来系弥生人と考えられた女性遺骨の核(ミトコンドリアではない)ゲノムが、SNP(一塩基多型:塩基が単独で突然変異しているタイプ、ほとんどの突然変異がこれに属する)主成分分析(PCA)では、半島や中国人集団から遠く離れ、現代日本人の範疇にあり、その中でもやや縄文人に近いという結果だった(図5-3)。
- 隣接するSNPは所属集団の中で維持される確率が高い。DNAの塩基の位置を行(横)に、分析対象個人を列(縦)に、データを0(変異なし)、1(変異が片方だけ)、2(両方とも変異した)として埋めてゆく。この行列の数理計算解析の一つが遺伝統計学の主成分分析である。近年では疾病の遺伝的傾向の研究に多用されている。ついでながら、別のSNP分析の図5-4では、アイヌがシンガポール、漢族(北京)、韓国、日本本土、沖縄の並びからえらく離れた位置にプロットされていた。彼らは我らおよび周辺の縄文人につながる系列ではない。
('22/2/10)