人新世の「資本論」
- 斉藤幸平:「人新世の「資本論」」、集英社新書(2020)を読む。本書の「おわりに」の最後に、「資本主義が地球を壊しているという意味では、今の時代を「人新世」ではなく、「資本新世」と呼ぶのが正しいのかもしれない」とある。
- 環境悪化の一番のバロメータは氷。北極の氷が減少して北極回りの航路が開拓された、氷河の減退が方々で報告されている、巨大な海に浮かぶ氷山を見せて、南極の氷床が半ば以上も溶け出したら関東平野は海に沈む(1/9のNHKブラタモリ「南極〜なぜ人はわざわざ南極を目指す?〜」)などと、目に見えるあるいは想像できる形で、近未来の危機を報告されると、「ポスト資本主義」('21)に真剣味が増す。
- 「はじめに」の題は、「SDGsは「大衆のアヘン」である!」となっている。マルクスが「宗教はアヘン」と言ったのと同じ意味合いだ。開発を続けながら環境を持続するなどとんでもない呪文だというわけ。危機対策をあなた任せにしておいたら、所詮は超富裕層の優遇になる。それが資本の基本の基本のドグマ。本書は8章からなり、第6章:「欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム」で脱成長コミュニズムを提示し、第7章:「脱成長コミュニズムが世界を救う」で救済される人間社会を予測する。第8章は気候を壊さないための戦い。それで、第6章からの3章を読むことにした。
- マルクスの「資本論」の資本に対する洞察は生きているという。私は学生のころに「資本論」を読んだ。中年を経て少し社会が荒掴みできるようになってから読むべきだった。理解できたのは引用されていた中世の社会構造ぐらいで、議論の内容はてんで頭に入らなかった。本書は現代人にわかるように、必要部分だけだが、解説してある。
- 「NHKよみがえる新日本紀行「木曽妻籠宿」」であったか、江戸時代からあった村人の入会権(いりあいけん)がご維新で国に取り上げられ、苦渋した回顧談が出ていた。今までは無償であった山野の恵み〜薪炭、野草に柿栗etc〜が有償になる。本書には入会地は商品経済の拡大と相容れないから、排他的な私的所有に転換されるのが必然と書いている。入会地はコモンズの一つだ。コモンズはコミュニズムと語源は同じである。
- コモンズは利潤獲得が目的ではないから、共有財産として持続可能な経営管理がなされる。だが生産物が商品化されると、目先に左右されて、将来などお構いなしになり、ついには荒れ放題の放棄地になりやすい。「NHKスペシャル「北の海 よみがえる絶景」」では、産卵地保護とか稚貝散布などで、乱獲で激減した漁獲を回復させる努力が実を結びつつあると伝えた。漁獲も江戸時代は地域的なコモンズの一つだったが、昭和に入って利潤が要求する乱獲がスズキやサンマ、サバまで高級魚にしてしまった。漁獲技術向上による、再生産不問の商品化の拡大が、我らの生活の質を下げたのである。
- コモンズには使用価値がある。資本はあらゆるものを貨幣による価値に変換しようとする。水電気はコモンズの代表だが、公共財からの商品への転換が安心生活基盤を奪う。商品化とは、希少性を作り出しては、貨幣価値をつり上げることに繋がる。一等地のマンション価格を見ればわかるが、希少性を作り出しては、新高価値を生み出す。
- 使用価値をゼニ対象に移せば移すほど、公富が減少して私財が増し、個人が儲けることを強要する。1%の超富裕層をのぞく99%の我らは、働け働けの資本の脅しを身に感じることになる。資本は負債という人工的希少性によって、かき立てられた欲望を満たそうとする99%に鎖を付ける。今朝の毎日新聞に、「(このご時世の中で)「超高級」外車の販売好調」という記事があった。資本主義下の1+α%の象徴的な姿である。
- 資本主義が作り出す人工的希少性を排除し、<コモン>を取り戻して潤沢さを回復しよう。例えば電力の管理を市民が取り戻そう。市民電力やエネルギー協同組合による再生可能エネルギーを普及させよう。著者はそれを<市民>営化と呼ぶ。原発、火力発電とも環境問題の禍中にあり、電力会社が立ち往生している今がチャンスであることは事実だ。
- 風力発電も太陽光発電も立地を握る地域民が、<市民>営化した住民の住民によるネットワークに作り上げる有利な立場にある。日本で動き始めた地産地消電力の紹介がある。TV東京の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」では、会社路線バスの後退と自治体(コミュニティ)バスの浸透が、高齢化人口減少により、<市民>営化が避けられない現実として迫っていることを示す。
- ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)により生産手段を<コモン>で持てないか。経済の民主化はできないか。日本では介護、保育、林業、農業、清掃などの業種に組合化の40年ほどの歴史があるという。AIやロボットが入りにくい業種のようだ。利潤優先の経済システムではなおざりにされる人種、階級、ジェンダーなどに好結果が期待される。コープが社会システム全体を変える時代が来れば、「誰も取り残されない」社会へ希望が持てるようになるだろう。
- ラディカルな潤沢さが普遍化すると、商品化された領域が減る。GDPは貨幣価値の総量だから、当然GDPは減少し、脱成長になる。それを目指す活動を脱成長コミュニズムと言っている。資本主義が希少性を本質とするから、経済成長の呪いを受けて我々は貧しい。経済成長なるパラダイムからの決別が求められる。清貧に甘んじようというのかという反論は、そもそも物質主義、消費主義を念頭に置いた発想なのだ。「物質的欲求から自由になり、文化的な活動に人間らしさを満喫しよう。」と教祖マルクスは言ったらしい。
- 資本主義の世界にどっぷり、この老齢に至るまで漬かってきたわが身には、政府もメディアも国家間のGDP比較に神経を尖らかせている中で、脱成長がもたらす経済減速という毒薬を考えれば、何とも飛躍が過ぎて言葉の遊びのようにも思えるが、若い人ならついて行けるのだろうか。覇権統治者が若年層教育で「紅衛兵」を育てたい理由が判る。
- マルクスが晩年に出したこの脱成長の思想は150年もの間見過ごされてきたという。かのトマ・ピゲティも参加型社会主義への転換を主張している。気候急変に直面した今は、小数大株主の利潤追求意欲が方向を定める資本主義での危機回避は望めず、環境ガスを排出する生産の社会的所有を目指す労働者の経営参加を必要とする。自然の循環に合わせた生産をするのだ。マルクスの核心は労働変革論にあり、誤解されてきたような(?)所有のあり方(私→国)は彼の根本問題なのではない。官僚や専門家が情報を独占したソ連型では、そんな民主主義的な参加型は体制的に不可能であった。
- 脱成長コミュニズムのキモは「資本論」から5項目が浮かび上がる。(1)「使用価値」に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する。(2)労働時間を削減して、生活の質QOLを向上させる。(3)画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働の創造性を回復させる。(4)生産のプロセスの民主化を進めて、経済を減速させる。(5)使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワークの重視を。
- 今は社会の維持に本質的な労働よりも、あだ花的な仕事の方が高く評価されると感じるケースはままある。そこでは本質労働の評価が低い体制だから、人材確保ができない。インドのIT頭脳獲得競争に日本が負けているという記事を読んだときは、資本主義国の中でも日本は特に遅れていると感じた。ケア階級の反乱という一項がある。ケア階級とは保育、介護、医療、教育などオートメーションが入りにくい労働集約型の業務集団だ。その反乱が赤色革命、ベルリンの壁、今なら議会乱入のような社会改革に繋がる大勢力となるだろうか。
- 1/13の毎日に、著者の主張:「ケア型社会への移行を」が載っていた。大阪は保健所が削られ、地下鉄が民営化され、万博とかカジノの巨大資本誘致に血眼で、昭和モデルの資本主義と酷評されている。大阪を支配している「大阪維新の会」は改革を掲げる地域政党だ。だがスペイン・バルセロナで成功している、同じ旗印の地域政党(以下バ党と書く)とは資本に向き合う姿では正反対の、旧体制護持派である。
- 第8章は「気候正義という「梃子」」。
- 大阪維新の会も若いがバ党はもっと若い、創立7年である。EUの緊縮財政は各国に甚大な影響を与えた。スペインでも社会サービスの縮小で市民生活は多大の打撃を受けた。バルセロナは観光都市。観光資本のオーバーツーリズムが、観光客ではない元々の住民を街から追い出す。新自由主義的グローバル化への反対運動があちこちに発生。バ党が市長選に勝ち、社会運動と政治が繋がる。市長は反貧困運動の活動家だった。
- バルセロナはもともと協同組合活動の盛んな場所で、この「社会連帯経済」は雇用の8%、市内総生産の7%を占めるという。大阪維新の会がどんな基盤を持つのか一度勉強したいと思うが、バ党は実経済実労働のがっちりした支持基盤を持っている。これらが諸々の市民運動団体を組み入れて、市の「気候非常事態宣言」という膨大な運動方針を結実させた。「最富裕層による過剰な消費に、グローバルな環境危機、特に気候危機のほとんどの原因があるのは、間違いない。」と謳っている。
- 「気候正義」が経済モデル変革意識の梃子になった。先進国が繁栄を謳歌したあとの自然界からの反撃「気候変動」を、グローバル・サウス(南北問題の南)の人々と将来世代が受けねばならぬ。この不公正を解消し、気候変動を止めねばならぬ。これが「正義」だと認める人は多い、だが国家単位ではこの話は進まない。ミュニシバリズム(国境を越える自治体主義)という項にこの趣旨でバルセロナが呼びかけた「フィアレス・シティ(Fearless Cities 安心の街)」のネットワークが急拡大しているとある。日本からの加盟はまだないようだ。
- 立憲民主党も共産党も国民民主党も衰退気味だ。もっとも哀れなのは社会民主党で国会から消えかかっている。従来左派は、分配を公正にし搾取をなくそうとした。だが成長の論理からは開放されていない。今すぐ必要なのは経済、政治、環境の三位一体の刷新である。だが在来の左派にはそれに対する言及もなく、注目できるほどの標語も斬新さもなく、「賞味期限切れ」的ムードに陥っている。
- 「緑の経済成長」を目指すグリーン・ニューディール( 自然エネルギーや地球温暖化対策に公共投資することで、新たな雇用や経済成長を生み出そうとする景気刺激政策)も、ジオエンジニアリング(気候を操作する工学)のような夢の技術も、MMT(現代貨幣理論)のような経済政策も、危機を前にして常識破りの大転換を要求する裏では、その危機を生み出している資本主義という根本原因を必死に維持しようとしている。これが新自由主義論者の究極の矛盾であると本書は論じている。
- 「NHK有吉のお金発見 突撃!カネオくん「食の大発明!カニカマのお金のヒミツ」」を見ながら本書流に考えた。松葉ガニ1匹をお膳に据えるといううたい文句の山陰バスツアー(「冬の山陰観光旅行T」('15))に乗ったことがあった。カニを食いたいなどという物質的欲望が煽り立てられ人々がそれに囚われるから、カニの希少性が導びかれる。ウン。
- カニを越す味になったカニカマは、カニの1/11の値段。脱成長コミュニズム社会でもこれはあり得る発明かちょっと微妙。競争激烈で今や市場には100種を数える。差別化のための高級化と値上げは資本の思う壺。過当競争は大量の廃棄食品を必然的に生み出しているだろう。不可逆的環境悪化の元凶だ。原料のスケソウダラも毎年50万トン以上を獲られては、そのうちに鯨やニシン、サケ、イワシ、サバ、ハタハタの運命をたどるのだろう。戦中の標語:「欲しがりません勝つまでは」を思い出す。もちろん勝つ目的は「生活持続可能社会の樹立」である。
('22/1/16)