大論争 日本人の起源(その一)

斉藤成也、関野吉晴、片山一道、武光誠:「大論争 日本人の起源」、宝島社新書('19)を読む。このHPには日本人の起源に関する記事がずいぶん入っている。「楽園の先史人」('99)、「日本人の起源」('01)、「日本人はるかな旅展」('01)、「隼人の古代史」('02)、「日本語の歴史」('07)、「日本人になった祖先たち」('07)、「新進化論」('08)、「化石のDNA」('12)、「騎馬民族国家」('20)、「「馬」が動かした日本史」('20)などなど。
最近毎日新聞に本題に関連するニュースが2つ出た。
1つは「11月の概要(2021)」記載の「ドイツのマックス・プランク人類史科学研究所を中心に、日本、中国、韓国、ロシア、米国などの言語学者、考古学者、人類学(遺伝学)者で構成する研究チームは、日本語(琉球語を含む)、韓国語、モンゴル語、ツングース語、トルコ語などユーラシア大陸に広範に広がるトランスユーラシア語の起源が約9000年前の中国東北地方の西遼河(せいりょうが)流域で、日本には朝鮮半島を経て約3000年前に入り、先住の縄文人言語(アイヌ語)と置き換わった、沖縄先住民言語との置き換わりは11世紀と発表した(英ネイチャー11/10号)。」というもの。
2つは12/26の「沖縄論壇時評」に出た渡辺豪氏の「植民地主義のいま」と題する論評で、京大収集の日本辺境民遺骨の取り扱いから、霊とか戦没者遺骨収集を持ち出して、本土人の植民地意識を攻撃している。私の同胞意識に、思いもよらないところから水を浴びせられた気分だった。昔、アメリカ大陸とかオーストラリア大陸の先住民の遺骨が、白人世界の博物館などに標本として展示されていることに対する反発が、メディアで取り上げられたときがあったことは知っていた。その拡張主張か。
遺骨は日本人のルーツの研究のために収集された。その目的から逸脱していない大学の扱い(一般公開もしてはいない)に対して、難癖に近い発言をするジャーナリストに同感できない。今はどうか知らないが、国立の歴博に縄文人、弥生人の骨格標本があって、行くたびに我が身と比べていたことを思い出す。標本が模型でも本物でも彼らを侮辱しているなどと思ったことは一度もない。私は彼らの子孫だと思うから。
本書の第1章「遺伝学と人類学で読み解く日本人の起源」に、片山一道(身体人類学)の「身体史観から読み解く 日本列島人は、どこから来たのか」という論文がある。京大の先生(名誉教授)で、遺骨を扱う身体人類学が専門で、旧石器時代(縄文時代)と新石器時代(弥生時代)の境あたりをも論じているから、遺骨の研究とは何かを知るのにいい話だ。
片山論文の最後の項の表題は「日本人起源論と日本文化起源論とは、紙の表裏にあらず」。イギリスの太古史にも民族渡来=文化伝搬とする時代があったが、今は文化の拡散ほどには民族の進出は進まないという理解になっているという。イギリス人の血は先住民のそれにちょっぴり鉄器を伝えたケルト人のそれと、征服王朝を樹立し現在文化の底流を作った、アングロ・サクソンの一団が持ってきたもので成り立つと言うことだろう。
縄文人の日本列島に、朝鮮半島から騎馬民族が渡来征服して、彼らを駆逐し弥生人になったなどという理解はあり得ない。初期の明確な渡来はごく限定的で、九州北岸、山陰西方海岸あたりに渡来系遺骨や文物の遺跡が見られる程度という。縄文人は全国で20万を数えたとしてある。だが文化伝搬は確実だった。新石器が持ち込まれ、青銅や鉄の金属器時代を迎える。騎兵の重要性が認識されるようになった。制度の移入が国家を作ってゆく。
再現された縄文人の顔かたちは、世界独特で平べったい我らにはなじめない。だから我らの先祖ではないなどと思ってはいけないらしい。生活環境社会環境によって顔貌は変化するそうだ。確かに我ら世代は四角顔だが、孫の代はおにぎり顔が主流だ。大陸からの孤立で新しい形質の流入が止まり、それまでの在来のDNAのブレンドが進行する間に、ほかにない顔貌が平均値になったのか。多数派の形質が少数派の形質を飲み込む(「日本人になった祖先たち」('07))。そのサイクルが重なった結果とも言える。
氷河期が去って日本が孤島列島になってから2万年近い年月の間に、北から南から朝鮮半島から渡ってきていたヒトの子孫は、縄文人と総称される民族になって、渡海技術を覚えた朝鮮からの南下民を迎え弥生人に進化する。日本人の底流となった縄文人のDNA解析が、同じ章の斉藤成也:「ゲノムデータから探る日本人のルーツ」に納められている。
主にミトコンドリアDNAに基づく「日本人になった祖先たち」では、東アジアは東南アジア〜中国南部グループとバイカル湖を中心とした北アジアに分布するグループの2つに大別出来るとしている。NHKの「日本人遙かな旅」のプロローグでは、九州縄文人古墳出土のDNAが、バイカル湖畔先住民に酷似しているという、非常に刺激的な内容だったことを覚えている。(たまたまこの古墳は「(混血に対する)うちなる二重構造モデル」の第3層系(渡来ほやほやのヤポネシア人:後述)だった?。後述のゲノム解析を信ずれば、統計的には、本当の縄文人なら、スンダランド系のはず。) それが朝鮮半島経由であるらしいことを「日本人になった祖先たち」に記述している。
斉藤氏は国立遺伝学研究所教授。ヒトゲノムが容易に分析できる時代になった。その膨大な情報からは、過去の人口変動、近親婚の程度、髪の毛の太さや血液型、耳垢型など、様々な表現型の推定ができる。現在顔面形態に関連するゲノム多様性の研究が急速に進んでいるという。遺伝学と人類学がドッキングして、縄文人、弥生人、現代人の容貌の差はもちろん、「日本人の顔は・・、中世になるとやや低顔でそっ歯の人が多くなるが、近世から現代へと急速に細く面長な顔へと変化している。」(九州大Web)といわれている、時代が作る顔貌にまで言及できるようになるのかもしれない。
斉藤氏はヤポネシア人の渡来を3度とした。無人の日本列島に初めてヒトが上陸した4万年前から縄文の中期(約4500年前)までが第1層、縄文晩期(約3000年前)までが第2層、以降が第3層。日本語の祖先語を話したのが第2層、水田耕作をもたらしたのが第3層で、彼らは第2層と遺伝的に近かった。
ネズミには2亜種がある。大陸からヒトに伴って移住してきた。南アジアの亜種は日本列島の北部、東ユーラシア北部の亜種は日本列島の南部に住み着いた。これもご祖先(ヤポネシア人)の出身地を調べる参考資料になる。出身地を出てからどれほどの時間経過があるかは書いてない。でも第1層人が南方出身だと示唆する。第3層は東ユーラシア北部。第2層は微妙。
覚張ら:「縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史」('20)には、愛知県の2500年前の縄文人人骨が、東南アジアにいた人類集団から分岐した「東ユーラシア基層集団(東アジア人と北東アジア人が分岐する以前の集団)」の根っこに位置する系統の子孫であることを明らかにした。本書には、縄文人(および彼らの祖先であるヤポネシアの旧石器時代人)の故郷がスンダランド(現在の東南アジア)だったとすればと言う記事がある。正確にはスンダランドへ行った連中と同じと言うことで、南回りに琉球列島を島伝いに来たという解釈とは直結しないことに注意。乱暴な話、サハリン経由も朝鮮経由もあり得る。
縄文人の祖先系列はパプアニューギニア人の系列の分岐後、南北アメリカ人の系列分岐前に大陸集団から分かれていった。2万年前。縄文人のDNAは、アイヌ人にもっとも濃く、次いでオキナワ人に受け継がれているという。ヤマト人の受け継ぎ割合は12−3%。朝鮮半島の5千年前の遺骨から、縄文人ワールドがこの地方まで広がっていたと推測された。弥生人DNAは現代人DNAの多様性の中に入ってしまっている。
縄文時代は第1層と第2層が混在したが、第3層の急増で第1層系は北に押し上げられてアイヌとなり、第2層と混血層はさらに混じり合って現代人と化してゆく。琉球語はヤマト言葉と古墳時代から分岐し始め、それが(第1層の)「古オキナワ語」と急速に置き換わっていったとしている。最近の言語学の成果として紹介されている。
残念ながら本書で言語交代劇に触れた記事は、これだけだった。戦中、国民学校生(小学生)のとき京都の裏日本側に疎開した。地名にアイヌ語から来ているものがあると聞かされた記憶が残っている。日本語は他との同源語彙に乏しく、「インド・ヨーロッパ語族」で納めたような成果が比較言語学からは出なかったと承知していた。
Webを見ると、地名には6~7千年遡れるものもあるとあり、ズーズー弁は「裏日本縄文語」と説く人もあると見える。「砂の器」で有名になった出雲のズーズー弁は、裏日本一帯の縄文文化に、弥生文化が拡散し、追い込められた名残だというのも魅力的な説明である。

('22/1/7)