Xmas四日市クルーズ
- 12月にかかると飛鳥UはXmasクルーズになる。だからこのクルーズ(11/29-12/1)は今年最初のXmasクルーズである。乗客数は400ほど。この1年、乗客数不足で取りやめたクルーズも知っているから、まずはクルーズ旅の回復傾向に安堵。また新型コロナ流行でのクルーズ中止もあった。感染第5波の奇跡的な終息のおかげで無事出航できたとも言える。でも我が家に戻ると、オミクロン株患者が1人2人と増えていると知る。オミクロン株が第6波の引き金にならないように祈るばかりだ。
- クルーズ船の感染対策はかなり徹底していた。春のクルーズ(「新春 伊勢 四日市・南紀 新宮クルーズ」('21))の「ぱしふぃっくびいなす」でもしっかりやっていたが、今回の船はもっと厳重だった。2週間前からの体温体調記録(提出)、1週間前のPCR検査、ワクチン2回接種の証明持参。乗船前のPCR検査。幹部職員の儀礼的送迎は一切なく、社交ダンスも中止だった。
- 船の中では自室以外はマスク。我が家での習慣で、私は居住地帯ではマスクを忘れがちだったから、しょっちゅうクルーに注意された。他人との会話は不自由だと予測して、今回は4名で出かけたのだったが、レストランや喫茶室のテーブルは透明アクリル隔離板で囲まれ、仲間内の会話もあまり弾まなかった。隔離フィルムぐらいだったら会話の不自由は防げるのにと思った。大風呂からの帰りに、マスクを持っていないのに気づき、タオルで口を覆って帰った。
- 家に戻ってから1日5万人ほどの感染者を出す国々の、マスク普及状態をTV映像で眺めた。ため息が出るほどマスクがまばらな国がある。1日100人前後で推移する我が国の、衛生思想の普及はたいしたものだと思った。マスクはほぼ100%、アルコール消毒も自主的にきちっとやる。徹底して大声を控えている。エンターテインメントでの意思表示も拍手だけに押さえている。ワクチン接種では後手後手騒動があったが、それがワクチン有効期間内に第5波を迎えるラッキーにつながったという説もある。それを入れても、日本人伝統の清潔感と高い教育レベルが抑制成功の源であると思う。
- さて出発日。JR横須賀線で事故があり、快速が東京止まりでしかも遅延するとTVニュースが伝えたので、京葉線の快速に乗り、東京駅で東海道線の熱海行き電車に乗り換える方法をとった。電車に乗っている時間は横須賀線、総武線を利用するときとほとんど変わらないが、ことに横浜駅でみなとみらい線に乗り換えるルート探しに手間を食ったため、船会社指定の14時丁度くらいに、大桟橋の飛鳥Uの受付に到着した。1電車早く出発してよかった。
- 最終日、夕方5時半頃に、我が家に戻った。14時半ごろ離船し、いつものように日本大通りからJRの横浜駅に出、快速で千葉駅に帰った。このXmasクルーズを選んだ理由の一つが、船を離れる時間帯が午後になっている点だ。たいていの飛鳥Uクルーズは午前になっていて気ぜわしい。荷造りは前日に済ませねばならぬ。
- Xmasらしい催しとしては、まずはその名をつけたスペシャル・ディナー(乗船日)。ドレスコードはインフォーマル。私がクルーズを始めた20何年か以前には、こんな時は色柄ともシックな高級和装の婦人が目立った。今回も何人かの和装のご婦人は見かけたが、レストランをひときわ華やがせているとは思えなかった。和装はほとんど年配の方だった。総じて昔のセレブな雰囲気が薄まっていた。
- 総料理長は代替わりしていた。飛鳥U乗船は「歌舞伎クルーズ」('17)以来だから当然だろう。そういえば顔の繋がっているスタッフは全船で3名しかいなかった。料理はマイルドないい味付けだった。ディナー以外の料理もそうだったが、秋を強調するためか、キノコが多く使われていた。いつも思うのだが、でもどうしてこうメニューには意味不鮮明の仏伊語が並ぶのだろう。我ら理系では、大学の第2外国語に仏伊語を選ぶ人はほとんどいない。一種の、料理神話に乗った、まやかしのように思える。Webで調べてみた。
- ルーラード(フランス語で「巻いたもの」)、クロケット(フランス語で、小さな丸い揚げ物料理)、ゴルゴンゾーラ(イタリアの代表的なチーズのひとつ)、マリネ(肉・魚・野菜等を、酢やレモン汁などからなる漬け汁に浸す調理法、またその料理)、グリエ(=グリル)、タプナード(フランス南東部のプロヴァンス地方を発祥とする ペースト)、クレームシャンティ(=ホイップクリーム)、ジェラート(イタリア語で「凍った」という意味を持つ氷菓)。
- 飛鳥Uプロダクションショーは「Wonderful Christmas」。男子4名女子6名の専属チームによるクリスマスに因んだ45分の唄と踊り。我らは2回目の夕食を選んでいるので、ショーは食前。食後にクリスマスパーティーwith NAMAHA。NAMAHAは以前からのフィリッピン人の楽団だが、やはりメンバーは交替していた。皆で簡単なクリスマスナンバーを踊る。全員にサンタがプレゼントを手渡した。そのあと12Fの大浴場へ。お目当ては露天風呂。澄んだ夜空は寒かった。ろくろく星も数えずに屋内へ。あとで風呂好きに聞いたら、心臓麻痺に繋がらないようにか、連絡通路には温風吹き込みで温度のグラデ−ションを取っていたそうな。
- 次の日の午前は組み込みツアー「なばなの里」に観光バスで行く。コロナ対策の一環で、定員の半分以下の乗客。なばなの里は国道23号線を通って半時間あまりの位置。温室のベゴニアガーデンには驚かされた。ベゴニアとはそう立派な花をつけないとばかり思っていたのに、大輪の菊花ほどの大きな花が目白押しだし、垂れ下がる蔓に花がいっぱいという種類も見た。木立ベゴニアもあった。
- フクシアのコーナーがあった。バラ園のバラはベゴニアには圧倒されているという印象であった。モミジの紅葉も見た。ついでだが、飛鳥Uの5Fのアスカプラザで「ププレリウム」という、見知らぬ黄緑色の小さな花が目にとまった。花の名はスタッフに教えてもらった。胸の名札は希なお名前だったので調べたら、和歌山の一地方に多いと判った。そのスタッフが言っていたとおりだった。NHKファミリーヒストリーなどでゲストの家の歴史が紹介されるが、口伝で伝えられた家の歴史は案外に信憑性が高い。今回もその例だろう。
- なばなの里は全体が日本庭園風に作られた有料の公園だった。入場料は結構高そうで2300円と書いてあったと思う。各種料理店、ビール園に温泉まであった。建物は和風に揃えてある。残念だったのは、アイランド富士が昼から運転すると言うことで、午前組の我々は乗れなかったことである。アイランド富士は、45mの上空から周囲を眺められるという回転展望台である。客を乗せた円盤をフレキシブルな支柱で立ち上げる。
- バスガイドが言っていた安永餅(やすながもち)を園内の店で求めた。飛鳥Uでも売っていた。短冊状のあん餅。桑名宿名物。もう一つの名物は焼き蛤。桑名は木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川が海に注ぐ位置にある。ハマグリは淡水の流入するところで干潟から水深12メートル前後までの浅瀬に生息する。ハマグリが桑名の名物になった理由だろう。Webには、干拓事業や地盤沈下などの影響により生息適地が減少し、漁獲高は急減したが、種苗人工生産の努力で幾分回復したとある。
- ここらは歴史的には長島一揆(「新書太閤記 第五分冊」('20)、「一向一揆と石山合戦」('21))の土地だ。でもその遺跡はほとんどゼロのようだ。長良川と木曽川に挟まれた中州は水難を守る輪中構造(「カムイ伝」('21))になっていると知っている。その一部でも見ておきたかった。といってもただの堤防の繋がりを見るだけだろうが。洪水の時の用心に避難小屋(水屋)を人工の高台に作ったという話は、関宿城博物館かどこかで説明を聞いたように思うが、その高台の名残のような盛り土が車窓から見ることができた。そのガイドはなかった。だから私がかってにそう思っただけかもしれない。
- 遅い昼飯は「味噌かつ煮」。午後はフリーだったが、ゲーム、教室のいずれにも出席せず、昼寝をしてから大風呂へ。露天風呂は閉まっていた。停船中は港側から見えるからだろう。飛鳥Uプロダクションショー「Back To The 80's」は'80年代の軽音楽による唄と踊り。背景のスクリーンには、フロッピーディスク、テープレコーダー、カセットテープ、ルービックキューブなどが映し出されていた。伝説の名曲という宣伝だったが、私にはあまり馴染みのない曲が多かった。そのあと専属マジシャンによるクラシカルマジックシアター。クラシックとは明治大正昭和初期で演じられていたという意味。あああれかという奇術が並んだ。この日の夕食も洋食。
- 第3日の復路は揺れた。杖はかえって危ない。船酔いをした人もいた。前線が西から追いかけて夜中に船上を通過した。朝、窓から一面の白波を見た。波高2.5mと聞いた。青天で雪をかぶった富士山がくっきり見えた。船だとゆっくりと霊峰が拝める。朝食は5Fのレストランでおかゆの和食。昼飯は11Fでカレー味のハンバーグにした。昔、そのときの船長から、船のハンバーグを軽食の穴場と勧められた記憶が残っていた。ハリウッドシアターでのビンゴ大会では、我らの中の1人が当選した。奇数室と偶数室の2回に分けての大会だった。下船前の30分ほどを、11F前方で、飛鳥Uオーケストラの演奏を聴きながら過ごした。
('21/12/4)