カムイ伝
- 漫画家・白土三平氏逝去。彼を知ったのは中年になってからだった。のらくろ、フクちゃん、サザエさんなどの軽快な諧謔性を漫画の本質のように思っていた私には、その深刻な社会批判性は新鮮であった。あれからずいぶんと時間が経った。彼の代表作は「カムイ伝」であろうか。それを読んだ記憶はないので、この機にと思い図書館からまず4巻を借りだした。全15巻の大作(小学館、1988〜)だ。
- 本が来るまではカムイとはアイヌだろうと思っていた。カムイ(神威)がつく地名は、北海道にはいくつもあるから。第1巻は野生の世界から始まる。オオカミが出てくる、熊が出てくる。でも家屋やヒトの絵が出てくるとアイヌの話でないことはすぐ判る。表高7万石(1巻では実高はその半分、追々の新田開発と農業技術向上で表高を超す勢いになる。)の日置藩の出来事になっている。どうも関東を取り巻く周辺のどこかの山国に設定されているように思われる。
- 第4巻の最後の方では、公儀隠密集団から追われた抜忍・赤目が江戸の小伝馬町の牢獄に隠れる。日置藩はそういう距離にある。彼は牢屋で一暴れして、再犯者用の御蔵島への流罪になる。ついでながら幕府は、先ず遠流の地として、八丈島、中流の地として三宅島、近流の地として大島・新島を定めて犯罪者を送ったそうだ。御蔵島は、あまりにも過酷な環境のため中止されたという記事もある。
- 時代は寛永の末から寛文に至る30年間とある。年表を繰ると、寛永の飢饉(1641年)、天草・島原の乱(1648年)、佐倉惣五郎一揆(1653年)、振袖火事(1657年)などが目につく。徳川時代に入り、政権が安定して平和になったが、百姓一揆は17世紀ほどでないにせよしょっちゅう起こっていたようだ。地侍が参加して、強力な武力を背景に「百姓の持てる国」を実現した一向一揆(天草・島原の乱はキリシタン禁制への反発に土一揆が重なった最後の武力闘争)の頃とは違って、地域的な百姓の直訴型が多くなる。カムイ伝は村一揆の失敗から始まる。
- 階級社会、封建社会のきしみと下層の抵抗姿勢が主題だから、各階層の支配体制とか社会生活の内容を詳しく描写している。カムイは非人階級の男子だ。私が少年の頃には被差別民が存在して部落民と言われていた。身近な場所にそんな部落はなかったが、ヒトが忌避する仕事を受け持つ集団と聞いていた。歴博に部落民のコーナーがあって、彼らは戒名にまで差別を受けたとあった。藤村の「破戒」には穢多(部落民)が牛の解体を生業にしている話が出ている。
- カムイ伝の穢多は刑場の磔執行人、死体処理などを受け持つが、ほかにはまともな生業に就けない。日頃は物乞いやゴミあさりで命を繋ぐ。牛馬の内臓はごちそうだとある。日頃接する機会が多いのは百姓だが、百姓は非人が抵抗を許されぬことをいいことに、日頃の支配階級からの圧政の腹いせに非人をいたぶる。「破戒」にはその冒頭に、穢多のお大尽が入院したときの周囲の排斥運動について記されている。
- 非人の百姓への鬱憤は支配層の目の付け所である。一揆のスパイ役、制圧役などに決まって使われている。イギリスの植民地政策に、メジャーな部族をマイナーな部族の重用で支配し、部族間対立を煽るというのがある(「ビルマの歴史」('17))が、徳川時代の支配階級もその方法を採用していた。
- カムイはアウトローの道を歩く。抑圧忍従を肯んじることができない。ひたすら強くなろうとする。彼を育てるのは、これまた世のはぐれもの。その中に影組織を背景にした忍者と穢多がいる。影組織は全国組織で、忍者については服部とか伊賀とか甲賀とかが歴史的に知られた存在だ。ここでは伊賀の里。穢多の影組織は江戸に大頭を頂き、各藩に非人頭を持っていることになっている。
- Wikipediaには、大頭は幕府公認で歴代が弾左衛門を称したとある。支配は関八州とその周辺で、日置領の所在地はその中だろう。どの組織もカムイのたぐいまれな武闘能力に目をつけ、配下に取り込もうとする。カムイは抜忍・赤目の指導で下忍にまではなった。だがカムイは、自由独立の正義漢を目指す。
- 百姓にも大庄屋から下人までの階級があった。中間に庄屋、本百姓や水呑百姓〜小作。下人とは多くは庄屋の奴隷。村三役が庄屋、小頭と百姓代。小頭以上には藩から手当が出ており、いわば体制側。百姓代に百姓の期待がかかる。下人の子から出発した正助は「カムイ伝」の準主役。下人は学問を許されていないが、密かに学び、判断力を周囲から買われる存在になる。百姓代は正助に話の「筋」を仕込まれる。正助は養蚕の導入、工夫と普及に勤める(cf.「蚕糸王国・岡谷」('03))。導入先の百姓・苔丸がリーダーとなる一揆はつぶされ、苔丸は非人身分に落とされる。彼も準主役。庄屋も正助を重宝するようになり、彼は父を下人身分に残したまま、念願の本百姓の地位を勝ち取る。
- 領主以下の体制側のあの手この手の搾取方法が記載されている。五人組という連帯責任制、逃亡一家の幼児までの全員の見せしめの磔。百姓と領主は、年貢率と収穫高見積もりである検見で火花を散らす。島崎藤村:「千曲川のスケッチ」に7割5分を年貢に取られる小作と地主のやりとりが載っている。ほかに年貢米には検査の下っ端役人にせしめられる分もある。入り目の一部になっていたのだろう。多めの刺米を取る、計量升に山盛り載せるなど具体的に絵にしてある。体制側の内部抗争も激しい。正論派の次席家老が目付に嵌められて、一族で立てこもり全員憤死。ただ一人、子息の竜之介は助かり、剣客となって、仇討ちを誓う。彼もこの物語の準主役の一人になっている。
- 5巻目は御蔵島からの島抜けから始まる。房総に流れ着いた。そこから漁業海運業を巻き込んだ社会闘争が展開する。夢屋が漁民を傘下に収めて事業を展開する一方で、日置藩の城代家老に接近、目付側の豪商・蔵屋と対立。百姓一揆は、百姓の村落を越えた連帯とか穢多身分との和解の進展、指導層の強固な意志などで、目付では手に負えぬ姿となり、城代家老が出動。主謀者磔の定法を破って、家老は身代金を条件に放免する策に出るが、首謀者は全員が牢内で自決。火の手が収まらない。
- 超人的能力を手に入れたカムイだったが、忍者の鉄の掟からは逃れられない。上忍の小頭はカムイに抜忍・赤目の処刑を命令する。夢屋は同じ島抜け仲間の大阪商人の才覚による店、赤目は手代に化けている。カムイは目付の用心棒である美男剣士に姿を変えている。忍者はたちまちに姿形を別人に変身することになっているから、本が手の内を明かさぬ間は、誰がどうなったかさっぱり判らない。赤目はカムイを倒すが、とどめを刺さずに夢屋に託す。大頭は任務失敗と小頭を処罰。非人の下に、さらにこじき階級があるとは知らなかった。
- 一揆は村受けの新田開発を勝ち取る。さらに換金性商品になる養蚕業に木綿栽培('cf.「お祭り会館」('97))と、農村は経済自立による「もの言う」百姓に向って進んでいる。資金元に夢屋。この正助の思惑とは別に、武家支配を金融面から骨抜きにしようとする(大阪−江戸)商人の寄り合いが盛んになる。それを支えたのが流通業の繁栄だった。廻船問屋が物流を支配し、商人は発言力を増す。米の相場が立ち、買い占め投機によるボロもうけが起こる。火事は江戸の華。明暦の大火、俗にいう「振袖火事」が出ている。だが再建用木材の需要は商人を潤す一方だった。材木ブームは山の乱伐を起こし、水害の元となる。
- 新田の用水にダムを造る。急流の砂川だ。ダムにはすぐ土砂礫が沈殿して堰の機能を殺してしまう。正助の亀石と天狗の鼻をつけた袋堰が用水を成功させる。大工事と新田耕作へのニーズが、百姓と非人の両階級を共存協力意識へ導く。蔵屋の手引きで日置藩に融資した湊屋は、蔵米や用金立て替えに対する約束を藩に反古にされ、資金繰りに窮し自決する。袋堰も大名貸しの貸し倒れも史実。大頭の放つ刺客を倒したカムイの使った忍法「輪中」は、もともとは水害地集落が作る村落を囲う堤を意味する言葉で、今月予定のクルーズの行楽先「長島」はその典型的な地方である。
- クルス(十字架)にパライゾ(天国)の節が出てきて、キリシタン狩りが描写されている。だんだん日置藩がどこにあるのか判らなくなった。山国だが耶蘇教が浸透し大型船舶が出入りし漁業も盛んな港町がある。公儀隠密が日置藩の秘密を捜している。彼らとて山の者(山窩)を敵に回せない。山窩は正助に好意的だ。カムイは藩侯の犬追物や鷹狩りの動物飼いにも化けている。鍬下年季(無税期間)5年の短縮を狙う藩に反対し、騒動を起こした百姓に、藩は引き下がる。ここまでが8巻。
- 第9巻は財政に窮した領主側が藩札を発行し、市中の金銀の正貨を強制回収する。藩札には実際には兌換性がなく、領外では通用しない。発行数には制限はなく、赤字に見合う分を出せばいいという姿勢。今の日銀への負債にすればいいという姿勢とそう代わらない。偽札も横行する。藩内は超インフレ状態。蔵屋は斬られ、大蔵屋(三井につながる)に代わる。夢屋は手を引いてゆく。百姓・非人の団結規模が広がる。
- 唐箕(とうみ)が実用化される。唐は中国由来を示す。籾殻を米から風車の風によって分ける分級道具。それまでは、箕に少量ずつとって,ほうり上げるように揺すりながら,自然風にあてて選別した。大きな合理化だった。籾は「七人の侍」に出てきたように筵に広げてたたき、米と殻をばらす。この棒打ちは臼引きに代わってゆく。私の少年の頃にはどの農家でも唐箕を使っていた。
- 第10巻になるとついに日置藩を幕府がつぶせない事情が出てくる。「神」となった徳川家康が、実は穢多出身である証拠を、この藩が握っているのである。竜之介率いる野武士集団という新たな第三極が現れる。飢饉がせまっている。ヒトは人肉すら口にする鬼となると描かれている。
- 徳川史に記録が残っている様々な事件を、地域とか時間を超越させて抗争史、抵抗史的史観により凝集させ、1本の漫画本にしたのが、このカムイ伝だと思った。ここまでで2/3。第11巻以降は読まなかった。
('21/11/19)