三体問題

浅田秀樹:「三体問題〜天才たちを悩ませた400年の未解決問題〜」、講談社BLUE BACKS、'21を読む。三体問題に一般解が無いことは知っている。解析解がでなくても数値解なら可能なはずから、超高性能になったコンピュータを限りなく精密にセットして計算させれば、実用には差し支えのない数値が得られよう。とまあ横着に構えていたが、人生も終わりに近づき、この際正面から見直そうという気になった。
この本は250pほどの教養書で、高校数学程度の学力があれば読めると書いてある。それに、新書版で索引がない本が多くなった中で、親切な索引がついているのは立派だ。数値解で引いてみたら、7章「三つの天体に対する新しい解が見つかる」にあるとわかったので、7章から読み始めた。数値解の一般的な解釈上の注意がまず出てきて、数値解で初めてクローズアップできた宇宙の特殊構造が解説してある。
連星は二体問題で解けている。実際に観測されている星だ。さらに1体加える。3体が8の字軌道に乗ると永久の三体運動になることが発見された。もっと多体(四体以上)になっても類似の永久運動軌道があるという。観測されたとは書いてない。銀河や星団のおおざっぱな性質を調べる重力N体数値計算には、こんなどうどうめぐりに近い計算は研究目的には邪魔なので、すり抜ける方法があるそうだ。1銀河に1個ぐらいの確率で、こんな3体が現れるという。
1章「解ける方程式」、2章「解けない方程式」、3章「ケプラーの法則とニュートンの万有引力」はイントロなので省略し、4章「三つの天体に対する解を探して」から始めた。4章には三体問題の特殊解2つが出ている。1つは4-5の「オイラーの直線解−5次方程式が再登場」、もう1つは4-6の「ラグランジュの正三角解」である。
オイラーは3つ目の天体の質量が無視小であるとし、しかも他の2つの天体を結ぶ直線上にあるとして、連立微分(運動)方程式が解ける条件を求めた。それは5次方程式で天体間距離の比として求まる。5次だから答えは5個、しかし正の実数だけが物理上の意味を持ち、その数は1個。ラグランジュは、正三角形配置の有限質量の3体が重心の周りに回転(円でも楕円でも良い)する特殊ケースを解析した。質量に無関係に解が存在した。
太陽と地球と質量が無視小の小惑星という組み合わせの特殊解は5つ。ラグランジュ点という。太陽系では太陽が馬鹿でかい事が理由になって、安定なのは正三角解の2点である。太陽と木星の場合の正三角解の位置に小惑星が発見された。その後続々正三角解相応の発見が続く。直線解対応のラグランジュ点には、観測衛星や宇宙望遠鏡が送り込まれ、常に直線上にあることを利用しての、太陽のフレアの観察や、太陽光の影響のない観測が実施されている。
5章は「一般解とは何か」。6章は「つわものどもが夢のあと」。二体問題には一般解が存在する。3次方程式が解け、4次方程式が解けたのだから、三体問題も解く手立てがあるのかもしれない。三体問題は太陰暦に代表される、人類にとって何千年ものなじみ深い問題だ。一般解への挑戦はニュートン力学をハミルトン力学で表現することから始まった。二次微分である加速度が運動量の一次微分に置き換わる。一次だから求積法にもって行けるかもしれない。ハミルトン力学は大学で学んだが、以来今日までの何10年間、一度もお目に掛かったことがない。覚えているのは名前だけだ。
三体問題を求積法で解くには、17個の独立な「運動の常数」が必要。でも12個しか発見できなかった。1887年、もうほかに運動の常数は存在しないことが証明されてしまう。その証明を踏まえて、翌々年、スエーデン王にしてノルエー王のオスカル二世が天体数学の懸賞問題を出す。「多体問題を無限級数で解け」。コロナの専門家が五輪による感染リスクの評価を提言しようとしたら、政治家がよってたかって「越権行為」と非難する国に住む私には、国王が出題するとはうらやましい限りだ。
若きポアンカレーが、制限三体問題ですら級数は一様収束しない、つまり級数による解はないことを証明してしまう。これは当時の科学としては信じがたい発見だった。でもただでは起きないのが科学の世界。この発見がカオス理論の始まりになる。Web(京大理など)を訪ねると、「現在これだけ科学技術が発達しているにも関わらず、天気予報がなかなか当たらない。カオスは、初期値を少し変えただけで全く異なる結果を生み出すという性質(初期値鋭敏性)を持っているから」とある。電気回路にカオスを世界で初めて発見したのは京大工の学生だったとある。
8章は「一般相対性理論の登場」。アインシュタインは、時間軸と空間3軸の4次元の幾何が万有引力の正体だと唱えた。等価原理のリーマン幾何学が、対応する数学的表現である。時間空間の曲がり具合を決める方程式が、一般相対性理論の出発点である。私の一般相対性理論はさわりを読んだ程度(「相対論的宇宙論」('04)、「宇宙の未解明問題」('10)、「重力とは何か」('12)、「重力波とはなにか」('17))だから、本書の記載も鵜呑みする以外ない。
太陽近辺を通る光線の、太陽重力による湾曲ぐらいは、一般相対性理論(アインシュタイン方程式をアインシュタインは「重力場に対する方程式」と言った)の成果として、受験勉強時代には知っていた。にもかかわらず、太陽系では古典力学はほぼ安泰である。でも超高密度の中性子星やブラックホールを含む連星などの高速(光速の10%のオーダー)世界では古典力学は破綻する。重力波をばんばん放出、つまりエネルギー放散し、軌道は渦巻き線香のようになって一定しない。
一般相対性理論から導かれる天体間引力には、古典力学のそれに、質量の2次、3次、4次・・と無限に続く補正項が現れる。それ以外に「逆3乗則」項まで出てくるという。これではたとえ二体間問題であっても、よっぽど大胆な近似をせざる限り、解は求まらないことは明らかだ。近似には遅い近似と弱い近似が代表格(ポスト・ニュートン近似)だ。前者は光速に比し運動速度がはるかに遅いという近似、後者はちょっとややこしくて、1個の天体のときはその天体の質量と大きさの比、2個以上の場合には、それぞれの天体の総質量と天体間の距離の内最小のものの比が「ある値」以下であるとする近似である。中性子とかブラックホール、それらを含む連星は、この範疇からはみ出る場合が多い。
9章は「一般性相対理論の効果を入れた三つの天体のユニークな軌道」。一般相対性理論では「二体問題」にすら厳密解が求まらないのが現状だ。そんなとき物理屋は常套手段として摂動近似を使う。私も高分子物性でお世話になったことがある。三体問題で古典力学では成功した特殊解のケースについて、筆者等は、ポスト・ニュートン近似を一般相対性理論に適応した。その結果三体問題では直線解は存在するが、三角解は不可能だという結果を得た。
一般相対性原理をさらに検証するには、重力波観測波長範囲の拡大が必要である。そのためには地球の規模を飛び出さねばならない。欧州宇宙機関が'34年を目指している重力波望遠鏡専用衛星は1辺の長さが250万kmの正三角形配置の3衛星を、太陽と地球のラグランジュ点に設置しようというものだそうだ。
10章は「天体の軌道を精密に計る」。三体問題があって天体観測で確かめる。太陽系での惑星運行あたりなら古典力学の世界だが、宇宙をより広くより精密に計ると、一般相対理論の世界が出てくる。量子力学と相対論との統一は、今の物理学の一大目標である(「物理学の世紀」('00)、「ニュートリノ天体物理学入門」('02)、「量子力学と私」('04)、「万有引力則の破れ」('11)、「現代素粒子物語」('12)、「ダークマター」('21))。統一理論の実証には、より完璧な宇宙データが必要になるだろう。太陽から銀河の中心までの距離は10キロパーセク。最新鋭の宇宙望遠鏡は'13年に欧州宇宙機関が打ち上げたガイア衛星。これなら10キロパーセク先の恒星までの距離を、誤差10%ほどの精度で計れる。
近年話題のいて座の巨大ブラックホールは銀河中心付近に位置し、それを回る恒星の運動からその質量が解った。太陽系以外の惑星は、まず中心となる恒星のドプラー効果から求められた。惑星の食が恒星から来る光線量を変化させる事からも、発見されている。

('21/6/13)