昭和史(戦後編)その2

戦後初の総選挙は'46年に実施された。婦人参政権のある初めての総選挙で、自由党−進歩党の吉田茂首班の保守系連立内閣が誕生した。新憲法発布、財閥解体。'47年総選挙で社会党が第1党になり片山内閣誕生。イスラエル建国、中東紛争勃発。ベルリン封鎖、米ソ対立激化。米国は中国共産党軍が国民党軍を圧倒し、ついに台湾へ追い出すと、日本を共産主義に対する防波堤にしようと方向転換する。朝鮮半島の南北分裂も対日政策の転換の理由になった。日本は相次ぐ「民主化」改革強要で悲鳴を上げており、「愛される共産党」人気が語られていた。
'48年米本国政府はマッカーサーに占領政策の大転換(右旋回)を命じる。改革より経済復興で、「ドッジ・ライン」は国民の耐乏生活を強要した。政府は金を使えない状況に追い込まれた。公務員26万人の首切りが始まる。国鉄では12万を超す解雇が発表され、未だに原因不明の下村総裁轢死事件が起こる。共産党策謀説が唱えられ、共産党人気は下降する。アメリカ「キャノン機関」暗躍説も有力である。デフレ(金づまり)の中、為替レートは1$360円に固定('71年まで)され、貿易がスムースに進むようになる。ストリップ劇場のストライキ、数え年齢から満年齢への転換、湯川さんのノーベル物理学賞受賞はこの頃の話だ。
共産党弾圧、レッドパージが大規模に行われる。三木鶏郎の世相批判「冗談音楽」が大衆に受け入れられる。金閣寺放火事件、つまみ食い(公金横領)事件、「オーミステイク」事件、アプレゲールとはその頃の若者気風を指す言葉。
'50年北朝鮮が韓国に突如攻め込む。韓国にはその備えが不完全で、米軍の駐留はほとんど無かった。米国は事前に察知していたのか動きは速かった。韓国軍があと釜山を残すのみに近かったとき、日本駐留の米軍7万5千を中心とした国連軍が、マッカーサーを指揮官として、北朝鮮軍を追い返す。補給路中央の仁川に上陸する作戦が有名になった。鴨緑江まで追い詰めたが今度は中国軍が義勇軍の形で参戦し、もとの38度線まで押し戻され、その線で膠着状態となる。
兵站になった日本には、特需という神風が吹き経済復興に役立った。「ガチャ万」の好景気である。トヨタ自動車やソニーが大拡大して、今の基礎を造ったことが書いてある。鋳掛け職人のバケツの納品における米軍の検査を覚えている。いきなりバケツを足で何度も蹴り飛ばして水を張って漏れなければOK。そなんな経験をしながら、日本は真面目に努力して、米国の大量生産方式と品質管理をマスターする。神風には軍需製品の納入はなかった。サービス部門への特需は、3Pだった。そのひとつがパンパン(アメリカ兵相手の売春婦)だったとある。
'51年マッカーサー元帥がトルーマン大統領に罷免された。シビリアン・コントロールの実質を思い知らされもし、感心もさせられる。我が国では満州派遣軍の暴走を、中央では事後承認するしかなかったのだから。罷免の理由は、マッカーサーが膠着状態の打破のために、満州の後方基地を、事もあろうに原爆でたたこうと本気で立案したことであった。日本でのマッカーサーは神様であった。本国へ出立する日には、20万余りの見送り人が羽田空港への沿道に出た。マスメディアの熱狂的送辞が転載されている。マッカーサー神社(銅像、記念館)の設立が真面目に議論された。しかし帰国後の彼が日本人を「十二歳」と呼ぶにいたって、立ち消えとなった。
共産圏を除いた多数との講和条約を、敗戦後6年も経ってからやっと締結することが出来た。賠償金は避けられたが、安保条約というお荷物をかなり一方的に押しつけられた。1年前にはその前提とも言うべき日本の再軍備が、マッカーサー書簡の形で、日本が要望しているかのような表現で、命令されていた。警察予備軍という名で、朝鮮に出動する米軍とほぼ同数の隊員の軍を組織した。表に裏に旧日本軍の有能軍人が参画している。
日本を徹底的に守る義務はないが、米軍が半恒久的に基地を保持し、基地内はむろん基地外を含む公務!も治外法権という内容は、当然国内での反発を招いた。基地提供の義務を背負っているのに事前協議制度がない、言いなりにならざるを得ない制度になっている。沖縄統治の主権も曖昧模糊のままであった。「血のメーデー事件」は、今のミャンマー国軍クーデター後の騒乱に似た様相だった。あちこちの都市で類似の事件が起こった。天皇は3回目になる退位のご意向を漏らされたが、周囲が押しとどめたという。戦後の保守系「大物」たちが、自由と責任の手本となるべき天皇の行為を止めたことは、国に身勝手無責任時代の風潮をもたらす一因になったのではないか。
講和条約を全面講和でやるか単独講和でやるかは、国内では、たいそうな議論になった。南原東大総長が吉田首相に名指しで「曲学阿世」の徒と罵られたのはこの頃である。私は高校生になっていた。だらだらといつまでも居心地の良い占領状態でおりたい米国国防省も、講和後の米軍駐留を日本からお願いする形も考えようと持ちかけられて、早期単独講和に踏み切った。ダレス特使が日本の反米風潮を大統領に報告したのも促進材料になった。折しも朝鮮戦役真っ直中、米軍は中国軍に圧されて苦戦中、ダレスは日本再軍備を条件に持ち出す。吉田は再軍備反対のマッカーサーを交えた3者会談に持ち込み、将来構想として納得させた。マッカーサーは警察予備隊設置と海上保安庁増強を命令する。そんな経過だった。
講和と共にアメリカ人、アメリカ兵の姿が目立たなくなった。「君の名は」人気で真知子巻きが流行った。「忘却とは忘れ去ることなり」で、戦争のいまいましさから脱出したかった民衆の願望を捉えていた。美空ひばりの歌舞伎座リサイタルがあった。息子の引き揚げを待つ母の歌:「岸壁の母」がヒットした。Wikipediaには実話に基づいているとある。家族関係の変化を取り上げた「東京物語」が歴史的作品になった。
水爆実験が行われた。第五福竜丸の「死の灰」事件は2回目実験で起こった。「ゴジラ」の筋書きは死の灰への抗議が込められている。基地問題の象徴は内灘闘争である。ヘルシンキ五輪への参加が認められた。エリザベス女王戴冠式に日本の皇室代表が出席した。朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた。スターリンが死去した。
'54年には自衛隊法が公布された。再軍備論が復活し、そのための改憲論が唱えられる。日教組封鎖のために教育二法がつくられ、デモなどでの威力顕示を抑える警察法改正が検討される(内閣内ですら調整が付かず成立しなかった)。近江絹糸での争議は、戦前の女工哀史を彷彿とさせた。宗教強制から手紙の開封まで工場側はやっていたという。抵抗する女工を、抱き込んだ親に引き抜かせるような労務管理であったことを覚えている。'53年の国民所得は戦前の高水準時を抜いた。
吉田内閣は第五次までの6年2ヶ月続いた長期政権('48−'54年)であった。軽装備の軍で防衛はアメリカ頼みとし、復興に尽力した。党務は大野伴睦(新幹線の岐阜羽島駅で著名)、広川弘禅(堂々の派閥の首領だったが落選後消えた快僧)にまかせ、政策面では池田勇人、佐藤栄作、岡崎勝男などの官僚出身者にやらせていた。当時の官僚は既述の通り優秀だった。
そこへ追放解除になった大物が復帰してくる。鳩山一郎、石橋湛山、三木武夫、安藤正純ら。岸信介ははじめは様子見。吉田のアメリカ依存を是としない面々である。赤坂の料亭(今なら永田町−霞ヶ関)を描いた清水崑の政治漫画には、たいそうな人気があった。「抜き打ち解散」もやったがどちらも絶対優位にはならない。社会党も有力でしつこく食い下がられて、吉田首相は「バカヤロー」と発言し懲罰を受けた。
日本民主党が鳩山総裁、岸幹事長で発足する。'54年暮れに鳩山内閣が成立。党人派、戦前政党政治家が閣僚に並ぶ。中ソとの国交回復、再軍備のための改憲を打ち出す。しかし総選挙では改憲のための2/3が得られなかった。社会党の右派と左派は改憲危機に対抗すべく合同する。それを見た保守派も合同を急ぐ。その合同の立役者がもと読売社長の正力松太郎だった。戦前からの大政治家・三木武吉(武夫とは姻戚関係はない)のプロフィルが出ている。妾6人を連れ選挙区に入ったとあり、(6人の)面倒を見るのは男の責務と堂々と反論した豪傑だったそうだ。
第三次鳩山内閣は、改憲に必要な2/3を取るために、中選挙区を小選挙区に改めようとしたが、与党内の反対などで参議院会期切れになり廃案になってしまう。今は日本は小選挙区で、社会党とか共産党は凋落している。だから狙いは良かったのだが、根回し不足だったのだろう。
石橋内閣は石橋・池田コンビで積極財政に舵切った。しかし病魔に冒された野人首相の内閣は短命であった。引き継いだ岸首相は鳩山氏以上の憲法改正・再軍備論者であった。それが容易でないことは解っていたから、せめて安保の不平等性は正したいとした。第一次防衛力整備計画では思い切った戦備拡張を了承する。頃を見計らって、旧吉田派を内閣から追い出し自派に切り替える。自前の金で政治活動をやり最後はからっけつになった藤山愛一郎は、この内閣の外相としてスタートしている。'58年勤務評定問題では教職員や父兄の猛反対を受けた。警職法は「オイコラ」再来をもくろむものと閣内ですら大もめになり不成立になった。
本書はさらに3章続く。第13章では正田美智子さんのミッチーブーム、池田首相の所得倍増計画。私はこのころに社会人生活に入り、実地に社会の変動に向き合うことになった。第14章は「嵐のごとき高度経済成長」。第15章ではまず世界の激動(ベトナム戦争、中国の文化大革命、イスラエルがエジプトに電撃作戦を仕掛けた第三次中東戦争)を告げ、国内の騒乱(全共闘、安田講堂落城、三島由紀夫事件)が山を越し、万博が大成功で、佐藤内閣での沖縄返還により戦後が完結したとする。高度成長のツケである公害問題が噴出した時期でもあった。これで本編は終わる。

('21/3/27)