疣痔処置顛末記

私は痔持ちである。他人にそんな話をしたことはほとんど無かったのに、いつの間にか知られるようになって、痔に差し迫った人が、病院の評判とか手術の内容を聞いてくるようになった。いっそのこと患者側のK/HをHPに書いて参考に供しようと思い、最新の入院を中心に公開することにした。
肛門科とか外科で外科的処置を受けたのは今回で3回目。10年強の間隔で処置がやってくる。処置に踏み込む決心をさせるのは、出血の程度。手術しても1年ほども経過すると、出血が始まる。だんだんその間隔が狭まる。出血があるたびに軟膏(座薬)を肛門に注入してきた。現在は強力ポリステリザン軟膏、その前はネリザ軟膏、その前はプロクトセディル軟膏、その前は・・。軟膏に市販品ボラギノールを使った頃もあった。どれでも効果は同じようなものだった。疣痔を収縮させるような力はない。
最初の処置は、疣をゴム輪で縛って腐らすといった手術だった。愛媛県の専門の医院での日帰りの手術だった。2回目の処置は、転居したために、遠くの別の専門病院で手術して貰ったが、執刀医は、昔の処置法を私から聞いて、古い方法だと笑った。一昨年頃から出血が再々起こるようになり、手で触れると疣が外に飛び出していることが解るほどになったので、3回目の処置を、近くのかかりつけの病院の外科の医師に相談した。
その病院では施設体制が不十分とのことで、外部に依頼するための紹介状を書いてくれた。大きくもない「できもの」を切るぐらいのことではないか、片手間にチョンチョンと出来るのじゃないかと、幾分不審に思ったが、すぐ候補の病院の外科に手術の相談をした。ところが意外なことに、ここぞと思っていた大病院が2院とも断ったのである。今思うと切ってくれと言ったのが悪かったのかもしれない。
座薬でだましだまし、1年間は肛門を持ちこたえたが、再度かかりつけ病院のその外科医を訪問し、実際に処置してくれる医院を探して貰い、そこ宛の紹介状を書いて貰った。行ってみると、私にはぴったりの雰囲気の、老先生2人が肛門専門医の病院だった。老先生と言っても私よりはずっと若かった。診断の結果レベル4の疣痔だと言われた。最悪レベルなのによくもまあ今まで我慢したものだと言うこと。本当は処置医が見つからなかったと言うこと。
ぴったりの雰囲気と言ったのは、この増田病院の第一印象が映画:「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」で三田佳子演じる女医の勤務先の小諸病院に似ていると言うことだった。駄作が多いこのシリーズで、「寅次郎サラダ日記」だけは抜群によかったので覚えている。ただし、建物は黒いどっしりとした不燃構造体で、これは木造の小諸病院と違っていた。映画での婆さんと同じく、そこの2Fの個室に入院することになる。鈴木光枝が婆さん役だったが、彼女の演技力が、この映画に対する私の高い評価の一つの理由である。
待合中央の大きな柱時計の振り子がまず目に入った。それから大きい円筒型ガスストーブの赤い炎。総合病院だが、広い待合室に順番待ちの患者の数は少なかった。都会の真ん中にある古くからある病院は、たいていはわんさか病院なのであるが、珍しいことだ。古い住宅街の真ん中にある。私は半世紀近くこの近所に住んでいるのに、紹介されるまであまり注意したことがなかった病院であった。宣伝広告もしていない。
疣痔の処置は外科手術だとばかり思っていたし、かかりつけ病院外科の先生も否定しなかった。だが最初の診察で老先生は、注射療法を推奨した。長年切除の腕を磨いてきた。まともな医者になるのに10年は必要だった。ところが注射療法が出現して、ド素人(の外科医)でもモグリ的に痔の処置が出来るようになった。全く医者殺しの方法なんだよと初対面の私なのに気軽に内容を説明した。我が家に戻ってからWebで調べた。なるほど「診療所」クラスの医院のHPにも、日帰りできる痔処置の注射療法が説明してあった。
注射療法とは漢方医学と西洋医学がドッキングした新しい方法だという。ミソは「ジオン注射薬」を使うこと。薬液の成分は五倍子タンニン酸、カリウム塩、アルミニウム塩、クエン酸ナトリウム。タンニン酸はインキの素材、鉄をキレートして黒色染料になるとは70年近い昔に高校化学で習った。クエン酸もキレート剤。痔とキレート剤はいい関係にあるらしい。キレート剤がヘモグロビンの鉄を取り上げるのではないか、効能書に注射液は「痔核周囲の血流を阻害し」と書いてある。
痔核を線繊維組織化させ、更に縮小させる硬化療法のひとつで、手術に比較し、痛みはほとんどないそうだ。欠点は2〜3年後に再発する恐れ。その頃はもう私は棺桶の年齢を超えていると了解。先生、笑う。
筋肉注射ぐらいに思って「そりゃ簡単だ」と喜んでいたが、そうでもなかった。前日夕食後下剤を飲み、あと翌日手術日の夕食までは絶食。10:10〜10:40の30分で、注射療法が終了した。担当医以外は麻酔医らしい老女医、手術助手の看護師1名に手術台運搬など雑務の看護師、介護人が4人ほどと多人数であった。脊椎に針を入れて下半身麻酔(脊椎麻酔(腰椎麻酔)だろう)にされた。
家内は自身の膝関節手術では局所麻酔だったという。脊髄注射は危険を伴うらしい。調べてみると「脊椎(腰椎)麻酔は、専用の細い針で硬膜を穿刺し、クモ膜下腔に局所麻酔薬を注入します。手術後に脳脊髄液がこの時の針穴から漏れ、脳圧が下降し、そのために激しい頭痛が生じることがあります。」という記事があった。術後1時間おきに体温と血圧、血中酸素濃度を測りに来た看護師が、頭痛の有無について問うたのはこのためであったらしい。麻酔は3時間半ほど取れなかった。足の筋肉は動かせたが他人の足のようで、とくに皮膚の触覚が常態でなかった。
体温は35.2〜.6ぐらいといつもより低めで、夜中寒気がしたため部屋の設定温度を26℃に3度上げた。ところが朝方になると暑く感じだしたのでもとの23度に戻した。体温は朝36.7℃だと看護師が言った。1℃以上上昇しているし、私の常時の体温よりも0.8℃ほど高かった。夜中小便は4度、大便は出なかったが便座に座るとガスが出た。一番いやだったのは、大便の残留感が、麻酔が取れるに従って出てきたことであった。11時半頃、処置医が回診に来、来来週にまた来院するように言った。(便残留感は、次の日午後に、家内が退院を迎えに来てくれた頃には、淡くなっていて、歩行の心配は取れていた。)
午後6時になってやっと病院の夕食にありついた。空腹で完食した。おひたし、鶏肉と野菜の炊き合わせに味噌汁、飯。明くる日の朝飯も和食。昼食はスパゲティだった。おいしいおかずだけ食べてあとは残したから、カロリー的には1/3ほどだったろう。看護師が食欲減退を「病院食はまずいのか」と心配してくれた。部屋で寝ているだけだからだろうと答えておいた。その日の我が家の夕食は完食した。新しい座薬、肛門塗布剤、便軟化剤、肛門用ガーゼなど、おのおの10日分を病院から発行された。ドーナツ型の座布団(真ん中が空いているため患部に尻が触らぬため具合がよい)もアフタケア品に入っていた。
最初の診察から処置完了までほぼ40日だった。最後にとっておきの話。退院のとき病院から「長田神社のお守り」を贈られた。神戸・長田神社の末社・楠宮稲荷社は痔からお尻を守ってくれる神様をお祀りしている。遠い昔、目を患ったとき母が平癒祈願にお寺に連れて行ってくれた。それ以来の神仏頼み。なぜか嬉しくなってありがたく頂戴した。

('21/2/21)