魚食の人類史
- 島泰三:「魚食の人類史〜出アフリカから日本列島へ〜」、NHK出版、'20を読む。著者はサル学を専門とする動物学者で、夫妻の家系は漁業に縁が深いという。エピソード豊富でいい読み物だ。異論が多い学問だが、きっちり著者の判断を示している。
- 初期人類の主食を探す旅は、植物食から始まった。果実は草食動物も雑食動物もたいていが好む食料だ。でも石果(クルミなど)になると、チンパンジーはやれてもアウストラピテクス属ヒト属の臼歯では力学的に無理。ヤムイモはいいが、芋に対してはたいていの植物根にある毒をどうするかで行き詰まった。クワズイモ(「にっぽん丸春クルーズU」('06))など好例だ。生大豆は食ってみたことがある。豆腐の味がする。1粒ぐらいはいいが、トリプシン分解阻害物質があって、豆腐製造過程を経なければ有害だ。平べったいヒトの臼歯は草の種子食には向いていない。
- 動物タンパク源は昆虫食あるいは肉食だったか。戦中戦後の食料調達困難期に、私はバッタを脱糞させてから焼いて食ったことがある。疎開先の村の子は、蜂の子や蚕が甘くて美味いとおやつにしていた。本書には昆虫食はヒト属将来の救世主と書いてある。これは養殖技術あっての話で、古代のヒト属がバッタのような不安定な対象を主食にはしないだろう。活動的な哺乳類に昆虫が主食というのは思い当たらない。
- 私にはトゥルカナ湖沿岸で見つかった195万年前のホモ・エレクツスの遺跡の話は衝撃的だった。ワニ、カメ、カバ、ウシに魚。量からいって魚は補助的動物食で、大型動物が主要食だったとある。あの凶暴なワニをいかに仕留めるのか。ヒトは食うためには何でもやるのだ。インドネシアで現に行われているワニ狩り風景が描写してあった。ホモ・エレクツスは我らより肉体的には優れていた。それから捕食対象動物は大型だが、比較的のろまな動物だと言うことも指摘せねばならぬ。
- 湖畔でない草原地帯ではどうか。俊敏な草食動物を捕獲するのはホモ・サピエンス時代もかなり経ってからだろう。肉食動物には倒した動物を食う順序がある。ライオンが満腹したらハイエナ、ジャッカルそれからハゲコウ。ここらの事情はTVのアフリカの野生動物保護区の映像で皆よく知っている。きれいさっぱり肉は片付くが、骨は食い残される。
- 骨は栄養価満点。豚骨スープを思い浮かべたら、いちいち栄養学的データの比較はいらない。骨を砕けるのは、大きな石ころを握れるヒトだけ。人の手は拇指対向性によって石ハンマーを握るのに適している。あとは霊長類でもっとも厚いエナメル質のある臼歯を使うだけ。つまりヒトは最後の相伴者になりうる。骨肉仮説という。思考実験の結果だ。考古学的に証明されているとは書かれていない。
- 体重あたりの脳容積は進化とともに増大した。後期人類の脳容積増大は、魚類摂取に支えられたという学説がある。サプリメントで著名なEPA、DHAは脳構成物質で、サバやウナギ、さらに一般的に言ってお魚に多く含まれる。だから日本人は賢いなどとは書いてない。直接的な証明のない仮説である。
- ネアンデルタールはホモ・エレクツスのヨーロッパ亜種とする方がいいと著者は言う。彼らは数多くのヒト属種の中で最も長く生存した。170万年ほどだ。著者は、2003年にインドネシアのフローレス島で発見されたホモ・フロレシエンシスは、ホモ・サピエンスの病的矮小化個体群であり、別種とするのは間違いであるとしている。ネアンデルタールはホモ・サピエンスより大型だった。男子で9kgの差があり、178cmの長身だったという。だがこれは基礎代謝熱量が大きいことを意味する。ホモ・サピエンスはネアンデルタールより10℃は寒冷な土地で暮らせるという計算がある。
- ネアンデルタールは最終氷期の寒冷気候でついに滅びる。彼らは中大型哺乳類の捕食者であった。氷期に入りことに大型獣が姿を消す。寒冷気候を生き抜けた大型肉食獣はヒグマだけだった。そのヒグマはホモ・サピエンスと同じく水域の動物(サケなど)を食べる雑食タイプである。ネアンデルタールよりは幅広く魚介類や鳥などの小型動物まで食物としている。植物食は双方に確認されているが、主食の幅の狭さは覆い隠せない。
- マンモスやサイの大型草食動物はもちろんだが、ライオンやハイエナの肉食獣の骨が大量に出土した遺跡がある。百獣の王はライオンだが、彼らを食卓のメニューに載せられるほどに身体強健だった。骨折の比較からネアンデルタールの「ロデオ・ライダー説」を出した学者がいるほどに、彼らの野生は逞しかった。
- ホモ・サピエンスは、30万年前ごろからまずアフリカ中央高原沼沢地に出現すると著者は主張する。北へはナイル河、西へはコンゴ河、南へは大地溝帯によって海岸線までのルートが水系によって確保され、東へは陸続きで簡単に到着できる。ほぼ一気に広がることの条件をこの地域は満足している。湖沼のホモ・エレクツスの遺跡のようなワニの骨はほとんど出てこない。華奢(かしゃ)なホモ・サピエンスは「王獣」ホモ・エレクツスとは棲み分けているのだ。
- ころは最終氷河期。アフリカ大陸は砂漠化進行で、半分を氷床に覆われたヨーロッパ大陸より生存に過酷な地帯になった。アフリカからの脱出は一つ前の最終間氷期から始まっている。丸太舟とか筏という海上移動手段を発明したホモ・サピエンスは、すでに漁労に馴染んでいた。海洋の豊かさに支えられて6万年以上昔にすでにオーストラリア、ニューギニアに到達している。東アジア進出とほぼ同じ頃である。
- 欧米系人類学者にはホモ・サピエンスに特有の技術群が、4-5万年前にヨーロッパに入った一団〜クロマニヨン人〜によって「文化革命」的に開発されたと信じたいヒトがいる(いた)そうだ。一種のヨーロッパ人種優越性の主張である。しかし革命的である(細)石刃(「日本人の起源」('01)、「5月の概要(2018)」、「リニューアルの歴博第1展示室」('19))や同じ黒曜石尖頭の投げ槍が、27万年も昔のエチオピアの遺跡で見つかっている。
- 出アフリカ第1波はインド洋を東に向かう。現れたのがスンダランド、さらに東のサルフ大陸。海岸には魚介類の海の幸が、森には主食候補となる植物群(サゴヤシ、サトウキビ、パンノキ、サトウヤシ、サトイモ、マンゴー、ドリアン・・)が待ち構えていた。ニューギニアに取り残された日本兵17人の自給自足生活の記録は、第1波の頃の処女地の食糧事情を想像させる。試行錯誤の中に、バナナは主食にならない経験が書いてある。バナナにはカリウムが多すぎるため、胃腸をはじめ体をこわすのである。
- もう大型獣と危険を冒して格闘する必要はなかった。第1波は海辺に定住し、根菜農業を始める。水辺のサトイモ(田芋:タロイモ)、山辺のヤムイモの栽培だ。穀類の生育収穫と加工の煩雑さ非能率に比べれば、これらの栽培は至って簡単でかつ速効的食料だ。元々ヒトには小粒の種子を拾い集める習慣はなかったし、野生のイネなど1株の収穫量は今とは比べようもなく少なかった。コムギの栽培は根菜よりは数万年は遅い。著者は陸稲と水稲を発展経路につなぐことはしない。水辺の漁労、サトイモ水田栽培が水の縁でイネ水田に繋がるとする。
- 我らがブリヤードと近縁であることは、「日本人の起源」('01)に書いている。「日本人になった祖先たち」('07)では遺伝子解析から、そう単純でない日本人像を描いている。本書はあらっぽく出発が氷床その他の地理条件で妨げられて遅れた北方ルート組(時期的には後述のヨーロッパ行きの第2波とアバウトで一致するが、本書では第1波に入れている。)の後裔に日本人が入っていて、キルギス、イヌエット(エスキモー)からアメリカ先住民まで最近縁だとしたる。中国、インド、オーストラリア原住民らは近縁。南米最南端に到達したのが1.1万年以前だった。アメリカ大陸の先住民は環境により様々な生活をしており、大型獣から魚介類、豆類やヒョウタンの栽培など、その柔軟性に驚く。大型獣絶滅とともに死に絶えたネアンデルタールとは違うと思った。
- 西ユーラシアに進む第2波は、地中海東岸を含む中近東に留まっていたグループの移動(第1グループ))で起こる。4万年前にはヨーロッパを席巻する。まずネアンデルタールとの交代劇が起こる。2つの人類は中期旧石器を同じように利用していた。中石器文化(〜2万年前)には野生の大麦と小麦、堅果類、豆類、果実など定住生活を思わせる遺物を残す。1.2万年前前後の1200年は最後の寒冷期で遺物は絶滅の危機を物語る。
- 最終氷期が終わると気温が現在より2〜3℃高くなる。3大文明域では1万年前あい前後して牧畜の原型が始まっている。アナトリア(小アジア、トルコ地方)からの農耕民移住(第2グループ))は、遅れて入ったロシアからの牧畜民(第3グループ)の侵入と重なり、ヨーロッパに、後期旧石器時代の狩猟採取民と混淆した狩猟、牧畜、漁猟、農耕の新石器時代をもたらす。6千年前からと言う。牧畜民は乳糖耐性を遺伝子に持っており、大人になっても動物乳が飲めるから、肉だけの場合よりも5倍のカロリーを牧畜で利用できる利点を持っていた。これがヨーロッパの3主要遺伝子系統のヒストリーでもある。かくて第2波の人々は、東南アジアへと拡散して漁労を中心的な生計手段とした第1波の人々とは異なり、農耕と牧畜を主たる生計手段とするようになった。
- 毎日'20/10/13「地球のミライ」に厳しい指摘がある。「世界の天然魚の漁獲量がほぼ横ばいで推移する中、日本の漁獲量は過去30年以上の間、減少の一途で、重要資源が「総崩れ」と言える状況にある。大きな理由は日本が漁業資源の管理と漁獲規制をきちんとしてこなかったことにある。」悪口を言えば、自民の大票田だから、せっせとばらまく(立派な漁港にちょっとの漁船(「中秋の大人の休日倶楽部パス旅行」('20)))が、漁民がいやがる規制には手をつけないという政治事情の結果だ。数字で見ると、'85年に1300万トンあった漁獲量が、昨年には400万トンちょっとになった。乱獲の影響甚大とある。
- 縄文人は古本州島を南下して3万年前頃には九州に至った。その頃の沿岸は、スンダランドに第1波が来たときの情景と同じく、魚貝のあふれる光景だった。今日の貧相な海辺と違っていた。加曽利貝塚を見学に出かけたことがある。その広大で分厚いこと。資料館が遺跡にあって、「マンモスハンターの流れを証明する細石刃は、この貝塚からは発見されていない。」「彼らは平和に暮らしていた。埋葬遺体に戦争傷を受けたものがない。」などのメモを「加曽利貝塚遺跡」('07)に残している。
- 豊かな漁獲が体質にまで影響を与えている。日本人は、腸内に海藻の細胞膜を溶かす酵素を生むことの出来る遺伝子を持つ細菌を共存させている。世界のどこにもそんな民族はいないそうだ。その海藻の豊かさは日本沿岸から姿を消した。魚の産卵地であった。襟裳岬の昆布漁の回復に努力して成功した話が載っている。日本の漁業の衰退はいろんな要素が絡まっていようが、第1の第1は、獲るだけで漁場保存をしなかった漁民にあることは明らかだ。
- 豊かな漁獲はすばらしい食文化を生んだ。鰹節は発酵技術の粋を集めて製造される。全9工程に分かれ、5番カビまで書いてある。2番以降は麹カビだが、一般に麹カビを利用する発酵食品は日本でのみ生産されている。「国菌」に指定されているのだそうだ。うま味という第5の味覚は日本人研究者が発見した。昆布の出汁味の主成分がグルタミン酸ソーダで、鰹節のそれがイノシン酸のヒスチジン塩、椎茸のはグアニル酸塩。同定はいずれも日本人研究者であった。
('20/10/31)