
- インパール作戦で敗退した日本軍の退路は人骨街道であった。この話は、二次大戦で我が国の軍隊ひいては伝統思想の欠点がもっとも著しく表に出た例で、永遠の反省材料として記憶されている。
- 人骨街道が北海道にもあったとは私は知らなかった。ロシヤの南下侵略をおそれた政府は網走の監獄に政治犯を集め、北海道の開拓に酷使した。その一つに森林と山地を切り開く道路工事があった。明治の中後期である。士族の反乱、農民の一揆も収まり、新政府の秩序が確立した頃である。
- 網走から北見に抜ける道路脇には土饅頭が40基以上見つかっているという。その1基の側に車を止める。倒れた囚人に土をかぶせたものだそうである。足鎖は付いたままだったそうだ。逃亡を防ぐために鉄のボールを端に付けてある。鍵は監獄に置いたままだから事故があっても外せなかった。
- 政治犯のシベリア流刑、オーストラリア送りなど史上に名高い。新植民地の開拓に利用したという意味では同じだが、政治犯の抹殺をかねて、重し付きの足鎖で寒天下の作業をさせたとは聞いていない。彼らは生きる新天地を与えられた。江戸時代の、刑法に触れた流人の佐渡金山送りのような扱いを政治犯に科した点では、薩摩長州の政治家の人権思想は、旧時代の徳川にも劣るものであった。
- 満州で捕虜となった日本将兵が、シベリアでの重労働の結果、何割という高い割合で死亡した。法的にはどうだか知らないが、捕虜は一種の国際政治犯なのだろう。戦中のイギリス・オランダの捕虜の扱いを巡って、未だに彼らから賠償の話が起こり、天皇訪問の障碍になっている。虐待の末、大多数が死んだというのではない、殆どが生還できているのだが、捕虜側は収まらぬ。シベリアの日本将兵が死んだのは戦後である。去年、近くの百貨店で捕虜を経験した人たちによる収容所スケッチ展が開かれていたが、檻に入れられた労働者の惨めさは察するにあまりある絵だった。
- ロシヤとの国交回復に向けての交渉が始まる。強制労働で死んだ将兵の恨みがきっちり歴史に残るように、条約を締結してもらいたいものである。
('98/03/11)