サコ学長、日本を語る
- ウスビ・サコ:「アフリカ出身 サコ学長、日本を語る」、朝日出版、'20を読む。毎日新聞に書評が出た本である。アフリカ出身者の日本評判記とは珍しい。履歴を読むと、マリ共和国に生まれ、日本国籍取得。当年54歳。京大院工学研究科(建築学)を出た博士(工学)である。現職が京都精華大学長という異色の人材だ。大坂なおみの全米オープンテニス優勝と差別抗議のニュースを聞いたばかりである。米国在住だが日本人の彼女は黒人系ハーフ。単一民族国家を自認していた日本が少しづつ変わって行く。少しづつがいいのだ。
- 私が京都で生活していた頃は京都精華大学はなかった。沿革を調べると'68年創立の京都精華短期大学が前身で'79年に大学を設置、短期大学は'91年に廃止したとある。マンガ学部、マンガ研究科を置くことで著名となった芸術、人文学系の私立大学とある。校舎は上京区岩倉にある。明治の元勲・岩倉具視がかって隠棲したことがあるので有名な、私が住んでいた頃はひなびた風景が連なる叡山電鉄沿線にある。中京区の旧・龍池小学校跡地にある京都国際マンガミュージアムは、この大学の提案により設立されたという世界的に珍しい漫画博物館である。京都アニメーション放火殺人事件で、京都にアニメの中心の1つがあることが知れ渡ったが、京都精華大学が撒いた種も、そのドライビング・フォースの一つになっているのだろう。
- 「第6章 ここがヘンだよ、日本の学び−サコ、教育を切る−」から終章までを一気に読んだ。第6章の陣立ては、「学校に期待しすぎる日本人」「平等を履き違える日本人」「能力を生かせない日本人」「すぐにあきらめる日本人」「若者を自殺に追い込む日本」で、痛烈である。でもどこかで一度は聞いたことのある批判だ。この調子で「第7章 大学よ、意志を持て−サコ、大学を叱る−」、「第8章 コロナの時代をどう生きるか−サコ、日本に提言する−」と続く。
- 「なるべくぶつからない」「できるだけちょっと避ける」「意見を言うとあの人は傷つくから言わない」「何かごまかしてたり見て見ぬ振りをしたり」。「空気を読んで行動」「重要案件は根回し根回しで会議の議論は形式だけ」「本音と建て前の世界」といったパターンは何とも理解しがたい進化を阻む文化だ。お説ごもっとも、一理あるお話だ、しかし一理で十理ではない。
- 私は「京大的文化」('20)で「私はよそから見た我が村の話を聞くのは好きだ。ただ貶すばかりの話では脳が拒否反応を起こす。3つ褒めて1つ貶すぐらいが一番売れ筋の本になる。」と書いた。「一理」で「十理」でない本の著者は、たいていは自分が生まれ育った環境で生得した「文化」を無意識に正しいと信じての比較論をやっている。第5章までは、マリの首都バマコに生を受けて今日の地位に至る著者の稀代の経験を、平坦に著述してある。第6章以降への考察に、たいそう参考になった。
- アフリカ・マリ国。そこの超大家族制度には仰天させられる。我々の家族はせいぜい直系の3世代だ。サコの直系は6名。だが30人ほどが同じ竈のご飯を食べていた。親類を省いても半数が「赤の他人」という。これがマリでは当たり前とある。父は国家公務員で生活は安定していた。同郷人が上京してくるとサコ家が宿になる。長逗留の果て家族同然に振る舞う。子供の教育から大人に対する姿勢までどんどん口出ししてくる。子供は我が家だけでなく地域全体の所属になっていて、隣のお母さんから用事を言いつけられるなんてなことは当然らしい。
- 私も戦後遠い親戚筋の引き上げ家族と同居したことがある。古い道徳が生きていた時代だった。それでも踏み込んではならぬ敷居はあった。子供の私ですら生活上の2家族の摩擦は感じられた。赤の他人をいれた30人と同居するにはマリのような渾然一体でないと、家が機能しなくなるだろう。ワイルドライフ「アフリカ大草原 サバンナのオオカミ 知恵と絆で生きる」にでてきたキンイロオオカミは、血縁とは無関係に集団で子育てして、強い絆を保ち、ライオンやチーターと競合するという。プライバシーの壁をどこに引くかは、所属集団が成り立つ限界までである。マリから来たサコが日本の日常の「弱すぎる」絆に、好意的な危機感を表明するのは当然かもしれない。
- マリはフランス植民地であった。独立後も私立の男子カトリックスクールがエリートの辿る勉学の路である。公用語はフランス語、フランス流の教育、フランスの価値観。祖父は妻4人のイスラム教徒だったという。父は「西洋文明へのあこがれ」からかマリ式生活の庶民派ながらサコをその小学校に送る。サコはフランス流とマリ流の2重文化生活を使い分けなければならなかった。小学生4年生から6年間中学を出るまで叔父に預けられる。叔父はスパルタ式でしつけた。電気も水道もない家で、勉強中に居眠りでもするとベルトでしばかれるとある。
- 首都の我が家に戻り名門の「マリ高等技術高校」に入る。グレン青年団で「成長」教育を受ける。グレンは今はないが昔の「割礼」(男の通過儀礼)に根ざす同世代の若者の出会い、娯楽、交流の場で年齢幅のある10-15人が一緒に成長し、絆を深めるという。我が国でもたとえば、薩摩藩には「郷中」、会津藩には「什」という藩士の子弟を教育する組織があって、士魂の鍛錬を行ったことは有名である。新日本風土記「伊勢志摩の海」('19?)、新日本紀行「現代若衆宿」('70)では寝屋親を中心とする若衆宿が出てくる。映画「潮騒」(原作は'54年)の舞台あたりの風習である。グレンでは時には腕力を使う激しいディペートも常時で、忖度して平穏無事の道を選ぶ日本とは違う文化になっている。藩とか島とかの閉鎖社会と大陸の非閉鎖社会の違いと私には写るのだが、それがサコには異常に不思議に見えるらしい。
- 国外留学の奨学金を獲得。割り当ては中国。南京の東南大学で建築学を専攻。学生寮では地元学生よりも格段に優遇された。それもあり中国人の偏見もありで、中国人学生と対立、暴力沙汰事件になった。天安門事件前夜である。'90年初めて日本を訪問、興奮の連続、日本留学生から感じていた印象とは違い、日本は清潔で住民はロボットでないと知る。'91年日本に留学。まずは大坂の日本語学校。4畳半の下宿でびっくり。京大院の研究生となる。国際交流会館に入居したと言うからラッキーだった。マリの住居と日本の畳は、空間の融通無碍の利用という点で共通点があると感心。同い年の「おない」文化に謎を感じる。日本にはアイデンティティの枠の一つに「おない」があるが、マリにはないらしい。
- 博士課程在学中に日本人女性を娶る。結婚後も中国赴任の仕事を続ける国際派の女性のようだ。彼女の両親は結婚に反対だった。京都精華大学の教職員に採用され、日本国籍を取る。マリ文化を持った日本国籍の人間と自覚する。同化はしないと言うこと。マリは父系社会ということで「佐古」姓を名乗る。妻はカナ姓はいやだと言ったからとある。マリの二重文化、日本の文化それに中国が絡んだ環境を2人の息子が生きる姿のスケッチがある。
- サコは人文学部に席があった。冒頭のマンガ、アニメ文化の推進とは直接の関係はないようだ。'17年に学長選挙で3人の候補の中から選ばれた。民主的な運営を心がける学園のようだ。次点とはたいそうな接戦だったとある。創学の理念「人間尊重」「自由自治」「全員参加」に改めて共鳴する。どうも雇われマダム的、腰掛け在籍的ムード一掃の理論兵器にしたようだ。
- 学長になって、新しく「自由論」という科目が共通教育としてつくられ、サコが担当する。学生たちが、「他者が、誰かが自分に自由を与えてくれる」と誤解していることに気が付く。ことに大学では、自分の価値観で判断して自分で自由を獲得する場所だ。「「誰か私を自由にして」って、なんでやねん! 」とある。現実の周辺を傷つけないように気配りしながら語る微妙な話だから、具体的例示が少なく「歯に衣」着せているところがあり、そこはちょっと迫力に欠けるのは仕方がないだろう。
('20/9/21)