京大的文化
- 杉本恭子:「京大的文化事典 自由とカオスの生態系」、フィルムアート社、'20を読む。毎日新聞の書評は好意的に書かれていた。評者は加藤陽子・東大教授。著者は同志社大出身のライター。主題からはピンとこなかったが、副題を見て学生の行動に焦点があるナと思った。私はよそから見た我が村の話を聞くのは好きだ。ただ貶すばかりの話では脳が拒否反応を起こす。3つ褒めて1つ貶すぐらいが一番売れ筋の本になる。私は京都育ち、京大=京都大は私の母校である。荒神橋事件の頃の学生だ。京大しか受験しなかったのが私の密かな誇りである。
- 京都は絵になる町。TVでは、たぶん日に1度は、どこかの番組で関連のドラマや芸術や風景や歴史や風俗あるいは行事などが現れる。20年ほどは住んだはずの私が知らなかった京都が出てきて、驚くことがある。でも私が知っている京都、京都大はもう半世紀近い昔の姿。NHKの「新日本風土記・選「京都 青春物語」」と「京・ぶらり「京都大学界隈」」を録画で残していたので、見直してみた。前者に今時の吉田寮、後者に下宿屋のある風景が出ていた。私は自宅からの通学だったから、寮生活も下宿生活も友からの間接的な情報だけだったが、そのころと基本は変わっていないナと感覚的には感じた。鴨川の等間隔カップルなどは、我々世代では意識になかった話であったが。
- 「第4章 自治寮」から読み始める。私は吉田寮しか知らない。著者は学生時代は同志社の自治寮で暮らし、京大の学寮との交流を活発にやった経験があるという。内容が具体的で生き生きと書かれている。映画「ダウンタウン・ヒーローズ」(本HP:「〃」('18))は学制改革直前の旧制松山高校の寮生たちの寮生活を描いた記念碑的作品だった。ストームもあったし、バンカラな寮祭も出た。石田えり演じる足抜き女郎をかくまったことから暴力団と対決するシーンがあって、教授も警察も、ましてやヤクザも手の届かぬ治外法権地帯としての学寮と、それを守る自治会が描かれていて面白かった。
- いくら外に開かれた寮だと言っても、寮内のカオスぶりは尋常でない。学生の頃だって中に入るのには勇気が必要だった。自治には厳格な自律が必要だ。自治の自由さだけを享受して、自治に必要な活動には参加しないといった姿勢は許されない。ボランティアではなく義務としてやらねばならぬのだ。匿名で批判だけするという姿勢がメディアで時折取り上げられる時代になった。自治寮はface to faceで「民主的」に纏めて行動に移す社会訓練場になっている。
- 何とかもっともらしい名前の委員会が五万とあって、寮生はどれかに参画し行動せねばならない。NHKには大掃除に奮闘する学生が写されていた。最後はその委員会幹事が作る大鍋のライスカレーが出た。労働の学生は「これが楽しみで出る」と言った。自由主義国での飴と鞭の意味を体験するのだ。新入生が大部屋にゴロゴロしている。近頃の新入りはリッチだからか、足の踏みいれ場もない。旧印刷室というのだそうだ。2ヶ月そこに寝泊まりして寮の生活を体得する。終わったら2人1部屋の個室。外国人学生がいる。女子学生がいる。ジェンダーによる分離は全くない。親ならはじめは目をむくだろう。新入りはぬくぬくの親元から新環境に放り込まれて、ガックリどころか喜々としている。あらかじめ調べて、わざわざ京大を選んだと答弁したものもいた。
- 大学に女子寮はあるが、月2.5万円と高くつく。日本最古がうたい文句だが、吉田寮は狭い空間に現代感覚ではぎゅうぎゅう詰めの生活(新型コロナの集団感染にもってこいの条件なのに、自治がよく押さえているように見える)だ、しかし月2500円。調べてみると、JASSOの第一種奨学金は大学生に対し最大51000円/月。NHKの番組では、先輩からの古洗濯機が500円だった。もう寮食堂はないようだが、界隈の食堂は安い。世の中旨くできていると思った。
- 吉田寮は元々は男子寮。自治会が女子学生に門戸を開放したのはいいが、便所に困った。「ダウンタウン・ヒーローズ」では臨時に1つだけ女子専用にする。そうとは知らぬ汲み取り役の「渥美清」が「石田えり」と遭遇して仰天するシーンは面白かった。本書にはオールジェンダー・トイレが書いてある。吉田寮新棟建設の時に「男女二元論」脱皮を込めて大学側に了承させたという。シャワー、浴場、脱衣場いずれもその議論に沿った構造だという。私が入った学科は医学部薬学科で、女子学生が多かった。でも彼女らから女子便所の話は聞かなかった。新棟の計画は2012年の頃と言うからずっと後だ。意外と大学構内でも不自由していたのではないかと思う。
- 熊野寮は知らない。京大には併せて5つの寮があるという。400人以上収容の鉄筋コンクリート4階建ての寮という。吉田寮は240人収容の木造主体の寮だ。「・・・カオスに近いものを感じる。“京大らしさ”を求めるなら、熊野寮に行くとよい」とある。食堂があってその管理運営も自治会。吉田寮食堂は今では食堂機能を失ってイベント会場化し、寮生は外食に頼っていると思っているが本当だろうか。
- 熊野寮の食堂はWebに朝飯170円、昼飯260円、晩飯390円と出ていた。どこでも学食は安い。ここは1000円以下で1日何とか生きられる。「衣食足りて礼節を知る」だから、自治を言う以上食管理がないと生半可だ。そうは書いてないが、著者が熊野寮を薦める理由には、そんな意味も下地にあるのではないか。explicitかinplicitかは、食に対する飽食時代人と饑餓時代経験人の感覚の差だろう。ひもじい時代。芋一本に込められた人情を「ダウンタウン・ヒーローズ」は教えてくれるが、私はそれがわかる年層だ。
- 自治と言ったって言葉では観念的になってなかなか門外漢にはわからない。“京大らしさ”の説明に寮の催し物が書き上げてある。新入生歓迎で「一気のみ」を強制して死に至らしめたという記事を春に時折目にするが、自治と裏腹の自律がしっかりしていないとこんな事件になる。日大のアメフト部事件(「5月の概要(2018)」)、同じく日大のラグビー部事件(「8月の概要(2020)U」)もその範疇にある。事件のあった運動部は上下関係が厳しい。TV紹介でまるで将軍(監督)と当番兵(部員)だナと感じたことがあった。Wikipediaの吉田寮に、「寮生を対等にするための取り組みとして「後輩は先輩に敬語を使用しないでよい」というタメ口文化が存在する」とあった。
- 厳冬の奇祭と紹介のある熊野寮祭は、若さ爆発のすれすれ行動に満ちあふれている。参加したことも見たこともないのが残念と思うほどだ。初日の「時計台コンパ」はいいとして、「鴨川いかだレース」「仮装した寮生が四条周辺に繰り出して二人三脚や借り物競走」「四条大橋上での綱引きをする「四条大運動会」」「池を挟んでミカンを投げ合うだけの「みかんまつり」」などなど。京都は学生の人口比が明治以降ずっと日本一だそうだ。市民が寮祭を排除しないのが自治を育てている。差別とハラストメントがなければ、企画人本人の自由主催。本人の「やりたい」が自治の始まりと書いてある。
- このHPに「京都帝国大学の挑戦」('97)がある。創建当初、法科大学教授陣(東京帝大卒)はドイツ留学生でしめられ、彼らはドイツ学術界の神髄:「大学に十分の自治を許せるごとき、教授方法を自治に任ずるごとき、学生に科目選択の自由を与えるごとき、試験制度をもって学生を束縛せざるがごとき、教授の選任を教授会の投票に委任するごとき、学生に自由転学を許すごとき、生気ある学問研究を重んじる精神の発動に出たるものにあらざるはなし。けだしドイツ人は・・・・・学問の進歩、人物の養成は拘束を脱せしめ、自治自修自制の精神を発揮するにありとなせるもののごとし。」を奉信していた。
- 「中央はこの「自治自修自制」を目の敵にした。富国強兵に邪魔だった。卒業生たちの高等文官試験の結果は東大に比べてさんざんだった。京大はほとんど合格ゼロだった。試験官は東大で占めていたからである。京大志願者は激減した。」という主旨の著者・名大教授(東大卒)の解説があった。京都帝大は「自治自修自制」に対する中央の干渉に立ち向かう。
- 滝川事件の当事者の滝川幸辰教授が戦後復活して総長になった。彼からは確か「ただ飯は食うな」という式辞をもらったと記憶する。社会に出てこの意味をいやと言うほど味わせられた。京都帝大事件の成果でもっとも価値が高いのは京大事件('13)で、「教授の選任を教授会の投票に委任する」のをルール化したことである。教授罷免に走った沢柳政太郎総長は依願免官になった。沢柳政太郎総長は東京帝大卒の文部次官出身。
- 太平洋戦争指導に官界の果たした役割は大きかった。東京帝大は隠れた戦犯になった。京都帝大法学部教授は「自治自修自制」路線を歩んだが、所詮戦争への道には蟷螂の斧だったとは思う。それでも「自治自修自制」の卵は、敗戦後の大学生を通じて民主日本の思想的成長に貢献したと思う。文明先進国とは自覚できない国の民は、一極化による高効率に魅せられやすい。低俗なメディアがその気運を煽り立てる。東大一極化、政界、政党の一強多弱化などはそのいい例だ。極に立つものはそれに悪乗りして、多極化を排除するのを、国民は妨げないでいる。もう余命わずかな私だが、目の黒いうちに多極化への進化の兆しが我が国に訪れるのを見たいと思う。
- 卒業式コスプレはメディア格好の話種になったので覚えている。そのときは卒業式に芸妓だったか舞妓だったかの女装で現れ、悪ふざけが過ぎると世間の顰蹙を買った(「ストリーキングをやれ」('98))。'82年頃からぼちぼち始まり、今では年中行事になっているらしい。ここまで行事意義の無視がはびこると京大生の価値すら低下する。
- 京都大学新聞はやがて創刊100年になるという。独立採算制で学生側の主張を伝えてゆく報道を目指しているという。大学が近く125年で、記念行事の寄付を募っている。たいした歴史だ。京大の学生自治の姿は、このバックナンバーが伝えなかったら把握しかねたろうと著者は書いている。継続は力なりか。軍国時代の論調はどうだったか、一度バックナンバーを見てみたい気がする。私は中年になってからふとした縁で何年間かこの大学新聞を購入していた。同窓会で話したら「あんなものを」とネガティブに捉えた教職員がいた。記者が台湾に行って、先日亡くなられた李登輝・元総裁(「台湾の主張」('99))にインタビューした記事があったことは覚えている。氏は京大農学部中退であった。
- 読んだのは1/3ぐらい。残りの2/3には興味が進まなかったが、おそらくその京大的文化に参与していないためだろう。理系学生はとにかく本業に忙しかった。
('20/9/5)