青玉獅子香炉
- 陳舜臣:「青玉獅子香炉」、埼玉福祉会、'89を読む。'69年発表の直木賞受賞作。作者は神戸出身。受賞時は中華民国(台湾)籍だったが、'90年に日本籍をとった。この小説は清朝王室遺宝とくに玉工芸品「青玉獅子香炉」の数奇な運命が軸になっている。この玉工芸品が世に実際に存在するわけではない。
- 私は台北の故宮博物館を一度訪れている。「台湾」('05)に見聞録を入れている。「中国文明の珠玉の美術品70万点がそろっている。蒋介石軍が中共に破れたとき、蒋介石はアメリカ軍艦三隻に乗せて、故宮の皇帝の宝物をごっそり台湾に運び込んだ。蒋介石は戦中を考えて、地下に貯蔵庫を拵えた。現在は博物院の改修中だとかで、いつもなら3万点ほども展示されているのがこの期間は1万点だという。・・・・。中国玉器の白眉は、翠玉白菜という15−20cm程度の、白菜に群がるキリギリス2匹をあしらった彫刻である。玉をコランダムのような硬い砂で削ってゆく工法らしい。時代が新しくなるほどに彫りが精巧になる。翠玉白菜は清時代だ。家内はそれと並んで展示されていた玉の豚肉に感心することしきりであった。」と記した。
- 「NHK特集 シルクロード〜絲綢之路(7)砂漠の民ウイグルのオアシス・ホータン」を見た。そこでは崑崙山脈から流れる白玉河と墨玉河の河岸で玉原石を漁るウィグル人を紹介した。お役人による玉原石の買い付け風景もあった。「シルクロード交易の秘宝と言われた「崑崙の玉」の産地であり、その一帯にはかつて玉貿易で栄えた王国があった」と解説されていた。
- 玉には硬玉と軟玉がある。硬玉は中国に産せず主にミャンマー奥地でとれる。軟玉は上記の新疆ホータンが主産地である。工芸品はもっぱらこの軟玉を素材とする。軟玉は角セン石の微細結晶の集合物であるネフライト nephrite である。モース硬度6〜6.5。原石は色模様によって価値が変わることを上記NHK番組が強調していた。硬玉は鉱物学的にはヒスイ輝石(ジェダイト jadeite)の微細結晶の集合物である。モース硬度6.5〜7。
- 中国人の玉に対する執心は我らには異常とも思えるほどだ。清朝では崑崙山脈の玉採取は国営だった。かって中国の考古学遺物が歴博で展示されたとき、金縷玉衣の遺体を見た(「漢王朝」('99))。美しいという以外に、呪術的意味をも込めてこんな豪華な死衣装にしたらしい。本書に死者の口に含ませると、死体が腐らないという迷信があったとある。漢時代でもそんな効用が信じられていたと「漢王朝」に書いている。本書は20世紀前半の話だが、玉彫りで出てくる玉の屑は薬屋が買いにくる。重病人を持つ家族に売れるのだとある。なんだか犀の牙が、漢方薬として珍重されることと同根のような気がした。
- この物語の玉から眺めた筋書きは次の通り。
- 辛亥革命で廃帝となった清朝のラストエンペラー溥儀は、しばらくは多くの取り巻きとともに紫禁城の生活を許された。規律が緩んだ紫禁城からは、管理の目を盗んだ宦官たちによる宝物の盗難が始まる。青玉獅子香炉(乾隆34年の銘、乾隆帝は清の第6代皇帝)もその一つであった。気がついた溥儀が、帳簿合わせを命じる。名品であったから管理の宦官は急いで、模造品の製作を、本小説の主人公・李同源の師匠に依頼する。模造品で数合わせをやり誤魔化す気だ。任された李同源は、渾身の力を込めて模造品を製作し、無事納入を終えた。その出来映えは、専門家が贋作と気付かぬほどの見事なものであった。
- 中国の国難は故宮の宝物すべてに数奇な運命をもたらす。国民党幹部が中国文化の粋の保存に高い優先順位を与えたことが、好結果をもたらす。拡大する戦火に追われて宝物は次々と安全を求める移転をしたが、北京を出たときは2万箱近かったのに、台北に到着したのは3千箱弱だった。でもその内容は白眉中の白眉だった。南京には故宮博物館南京分館が建設され陳列にこぎ着けていたが、日本軍の南京入場が迫ると大急ぎで引っ越ししている。ついに3千箱が置き去りにされる。終戦後この3千箱の梱包を開くとすべてが無傷であった。著者は、「日本人も、やっぱり古物を尊重することを知っていたのだ」と書く。著者は新疆の遺跡を荒らし回ったヨーロッパ探検隊に悲憤慷慨しているが、南京での経験が親日気質につながる1要素になったようだ。
- 文物は受難続きだった。まず軍閥に狙われ、国民軍の北伐で生気を取り戻すとすぐ満州事変が勃発('31年)する。まず上海に引っ越し、次いで南京、漢口、長沙、陜西省宝鶏、四川省成都、重慶と移転を重ねる。日中戦争が終わった('45年)ときは、重慶に近い楽山、峨眉、安順だったという。それから国民党軍と共産党軍の抗争になり、台湾に避難してやっと落ち着いた。20年近く放浪していたことになる。日本でもヨーロッパでも国宝級美術品の疎開はあった。しかし20年にわたる移動移動は前代未聞の大事業だった。根本的には、中国民の自民族の文明に対する矜恃がそうさせたと思う。立派なものだ。
- 李同源は才能を買われて、故宮博物館の下級職員に採用され、玉工芸品の担当を志願、ついに台湾にまで同行する。彼は心血を注いだ「贋作」青玉獅子香炉の移転に懸命だった。長い歴史を誇る中国では、清朝時代の作品は古文物に分類されない。移転用の箱の割り当ては古文物のあとになるから、新文物を入れる隙間を細工した。台湾で梱包を解く作業に李同源は立ち会うことができた。彼は上海で検査を受けたとき以来17年も自分の作品を見る機会がなかった。胸躍らしてみた青玉獅子香炉は、なんと彼の作品のレベルの低い贋作であった。
- 博物館の職を辞した李同源は、香港で裕福に暮らしているかっての上司の未亡人から、上司が地位を利用して彼の作品を盗み出し、アメリカの古美術商に売り渡していたと知る。古美術商はアメリカ人コレクターに売却していた。このアメリカ人の死後、遺族が蒐集品で小さな美術館を開いている。李同源は未亡人と渡米、美術館で23年ぶりに自分の作品と再会。
- そこで李同源は、「アメリカには青玉獅子香炉が2基ある。1基は北京で宦官から入手したもの、もう1基はこの美術館のもの。入手経路の確かさ、玉質、彫りの精緻さから、後者つまり李同源の贋作がオリジナルと認定され、宦官ルートのものはコレクション・リストからすでに外されている。」という意外な事実を知る。
- この本には、「青玉獅子香炉」のほかに「年輪のない木」「太湖帰田石」「小指を追う」「カーブルへの道」の4編の短編小説が入っている。書かれた時代は青玉獅子香炉とほぼ同じ頃という。読まなかったが、壮年期の著者の傾向を覗くにはいい読み物なのだろう。Wikipediaで「青玉獅子香炉」を検索すると、これら短編に対する抄録も書いてある。
('20/8/24)