ダムの科学(改訂版)

ダム工学会(近畿・中部ワーキンググループ):「ダムの科学 改訂版〜知られざる超巨大建造物の秘密に迫る〜」、サイエンス・アイ新書、'19を読む。改訂前の本書('12)に対しては「ダムの科学」('20)を書いた。第2部 「ダムの再生」の78pが旧版の第4−7章と置き換えられた。日本列島でのダム建設はあらかた終わったから、今後は既存のダムをいかに維持管理するか機能向上へ改良して行くかである。温暖化が進み集中豪雨が当たり前になってきた。この環境変化へのダムの対応にも関心が高まる。
7/7のNHKブラタモリ「黒部ダム スペシャル」は、'17年放送の「#86黒部ダム」「#87黒部の奇跡」を1篇に再編集したものだった。立山連峰と後立山連峰が並ぶ地質学的理由をプレート移動とマグマ生成から説明した。アーチ型ダムとはいいじょう、実際は中央がアーチ式、両端が重力式になっている。アーチは前屈み状態になっていて水圧を下の岩盤に伝える工夫がなされている。両端はすぐ隣に谷があり、ダムと谷の狭い出っ張りに大きな圧力が掛かるのを防ぐため重力型になったと云った。
発電所との落差は545m、10km先だ。配管による圧力損失を入れても50気圧ほどの高圧水を水車が受け止めるのだろう。Webを見ると高圧用水車であるペルトン水車だとある。黒4前の黒部の発電力は24万KW、黒4完成でそれが90万KWに上がった。ダム・コンクリート内の点検用通廊の紹介、放水形状の意味など興味津々のインタビューが続いた。かっての私たちの黒部ダム見学は景観観賞目的のツアー(「立山と急性高山病」('01))で、ダムのガイドは付かなかったから、話はいろいろと新鮮だった。
原発立地の活断層をめぐって、電力会社と原子力規制委員会の意見対立から安全審査が長引いているという。台湾の石岡ダムは地震により決壊した。河床部に7.5mの断層変位を生じたとあるから、活断層上にダムが載っていたのだろう。ブラタモリでの説明では、ラッキーであった重要要素の一つに、黒部ダムの設置位置に、断層がなかったことを上げていたように思う。中部日本には日本の代表的な断層群・糸魚川−静岡構造線が南北に走っている。大町トンネル側の幅80mという黒部ダムを難工事にした破砕帯は、後立山連峰を、地図上では太線で少し西にずれた位置に描かれることが多い構造線と並行に走る。破砕帯を生じた断層は、構造線に含まれる断層群の一つと認識して良いのであろう。
ブラタモリでは湖底堆積泥吐き出し口(排砂ゲート)の説明はなかった。Webの立体図を見ると、黒部ダムには放水口が3段になっているから、あるいは最下部の放出口がその役割を担っているのかも知れない。土砂の流入は結構大量だから、そのコントロールを黒部川のその他のダムと合わせて有機的にやっている。全国平均でダムは400年で貯水池容量を失ってしまうと云う。中部は土砂流入が烈しくその半分。ダム堆砂はダム機能を劣化させるほかに下流域に思いのほかの悪影響を及ぼす。天竜川河口部では約18年間で遠州灘の汀線が100mも後退した。
天竜川には土砂バイパストンネルがいくつも掘られた。黒部川にはフラッシング排砂をやるダムが設置された。宇奈月ダムと出し平ダムが連携して排砂(通砂)をやる。排砂はダムに溜まった砂を一気に流し出す方法。雨期前にダム貯水を排砂ゲートを開いてドカンと流し出し、後は閉めて洪水に備える。ダムにはゲートが複数付いていて目的により切り替える。通砂は排砂が終わって開いたままの排砂ゲートの流水が自然流になったときを指す。フラッシュ放水は貯水に取られて川環境が悪化するのを防ぐために、ときおりバッとフラッシュして環境を元の姿に戻す操作らしい。
我が家の出身地は鮎で有名だった。少年時代にその清流(由良川)で遊んだ記憶がある。かなりの急流で一緒にいた弟が流されかけ、必死になって救い出したことは忘れられない。Webを見ると、「かっては『やな漁』と呼ばれる、杭に簀の子(やな)を斜めに敷き詰め、流れ落ちてきた魚を簀の子で受けとめる漁をして」いたとある。だが多目的ダムが造られた。数10年昔だった。魚道はないようだ。今は「天然遡上はありませんが、地元漁業共同組合は、毎年稚魚放流を行」っているとあった。通し回遊魚の行方は興味深い。
本書に琵琶湖の鮎が書いてある。琵琶湖が海代わりとなっていると云う。ダムも同じだろうともある。琵琶湖の鮎が小さいことは有名だ。Webを見ると「ほんのちょっと前までは、全国の鮎の7割近くが琵琶湖で生まれたものを放流していたそうです。琵琶湖では成長しても6〜10センチ程度の鮎が、他の川では30センチを越す大きさに成長した(川の流れや餌の違いだと言われているそうです)ことからこのように(註:「琵琶湖の鮎は外へ出て大きくなる」、近江商人への比喩に使ったらしい)言われるようになったとか。」という記事があった。
大阪の狭山池は7世紀前半につくられた日本最古のため池で、国家の土地開発政策と深く結びついていたという。奈良時代(8世紀)の改修では、僧・行基が活躍した。大阪府立狭山池博物館には土木遺産が展示されている。周囲にはまだ多少の田畑は残っているが、殆ど住宅そのほかの建造物で覆われている。池の本来の使命はまず終了していると云える。本書には敷葉工法で作られたとある。
現役の農業用水として活躍しているのが、香川県の満濃池だ。よみがえる新日本紀行「満濃太郎〜香川県讃岐平野〜」という昭和47年記録のNHK番組が先日放映された。最後に今日の映像を比較のために出した。8世紀早々に築堤された。何度も堤防決壊があり、9世紀に空海が修復したことで有名。Wikipediaには堤防は土堰堤供型とある。
奈良文化研究所のHPに、「 敷葉工法とは、積み土の下に植物の枝や葉を敷きつめて、土を滑りにくくしたり、土中の水を逃したりする技術です。」とある。どちらも最初は均一型アースダムであったろう。地震の時や洪水のときに何度も決壊している。満濃池のデータをWikipediaから見ると、空海のころに比べて10mは嵩上げされ、32mの堤になった。もう低くはないから遮水性材料の入ったゾーン型になっているのだろう。湖面側の写真にはロック材が見られる。貯水量も空海のころの3倍ほどになっている。近年の災害記録はない。
最近の豪雨で球磨川が氾濫した。球磨川は、最上川、富士川と並ぶ日本三大急流の一つである。最大流量は三大急流の中で一番多く、利根川と肩を並べる。さらに三大急流の最小流量に対する最大流量の比でみると、球磨川は232倍、富士川は131倍、最上川は27倍であり、三大急流の中で最も大きく、時には大量の川水が激流となって流れ下ることがわかる(水資源・環境研究Vol. 27, No.2 2014、若井 pp.51〜56)。本書にはコラムに荒瀬ダム撤去の前後を紹介している。荒瀬ダムは発電ダムで、撤去理由に住民の経済から環境への価値観の変化が上げられていた。その位置は水害のあった峡谷部の下端附近である。球磨川河系には治水ダムが少ない。流域6ダムの中で唯一、市房ダムが洪水防止機能を担っていた。建設中止になった支流の川辺川ダムは80年に1度の球磨川洪水を防ぐはずだったという(7/26西日本新聞)。
本書には黒部川水系には12箇所に発電所があり、IoTやAI技術で相互関係の最適化を摸索できるシステムになっているとある。治水効果は複数のダムを抱えることによって、相乗効果を発揮してくる。球磨川流域住民がダムのない治水を理想とすることに異論はない。だが今日の大災害。ことを冷静に受け止め、最大多数の最大幸福とやらだ。川辺川ダムだけにはGoサインに合意すべきだろう。

('20/7/26)