びいなすシネマクルーズ

横浜→神戸→釜山→神戸のびいなすシネマクルーズに乗ってきた。釜山は4回目で、初回については「釜山印象」('04)に、2回目は「初めてのダイアモンド・プリンセス」(16)に、3回目は「ミレニアムで行った韓国慶州」('17)に旅行談を載せている。観光資源はそう多くない街なのに、釜山行きのクルーズを選んだ理由は2つあった。
1つは最終の船賃が、売り出し時の3割カットになったことだ。この値段になると、総じて安値で客集めをしている外国船の中の、プレミアム級に実質はほぼ等しい価格になる。日本発着の外国船のクルーズコースには釜山寄港が多いが、同じ釜山寄港なら日本船の方がいい。外国船では有料レストランに行かない限り、いつも同じメンバーで食事を取ることとなる。座席指定だからだ。2-3日はいいが、それ以上になると大げさに言えば苦痛である。それからいやなのは、外国船は便所にウオッシュレットを採用していないことだ。日本ではホテルでもマーケットでもレストランでも、はてはコンビニでもウオッシュレットでない場所を探す方が困難だ。清潔感の強い日本人にとって気持ちがいいはずがない。
2つは神戸が終着港であることだった。ここしばらく関西に旅していない。港には夕刻に到着し、入国手続きが終わる頃はもう夕食時になる。だが船はもう1泊させるという。夜食朝食付きで500円というから破格の値段だ。泊まらぬ手はない。乗船後の船長の話では、乗客数は270名だったが、ざっと見たところもう1泊した乗客は200名近かった。今回クルーズは神戸港乗船客が全体の8-9割を占めていた。だから土地の人ももう1泊していったようだった。
翌日は4/12。Webで「旧造幣局サクラの通り抜け」を調べたら、満開が4/13と出ていた。私の住まい周辺には結構サクラが植わっている。でも殆どがソメイヨシノとオオシマザクラで、名の通った大きな公園にでも行かない限り、品種を楽しむことができない。私は京都の嵐電沿線に住んでいたころがあって、御室や嵐山のサクラはよく知っている。関東に来てからは特にヤマザクラの群生林を見たことがないので、開花期も合っているからと吉野や嵐山を真っ先に考えたが、造幣局のサクラを見物することとした。一度通り抜けをしたことがある。八重のサトザクラが中心で、満開予告日が皇居や靖国神社などよりずっと遅いのは当然だ。
クルーズの話の先にこのお花見を紹介しておこう。9時前に船を辞した。埠頭横の神戸新交通ポートターミナル駅から造幣局近くのJR西東西線大阪天満宮駅までは小1時間だった。通り抜けは約1時間半。我らは花見のあと片町線で木津に出、奈良線で京都、あとは新幹線、京葉線で千葉に戻った。戻ったのが8時頃で思っていた通り、一日がかりの遊山だった。
造幣局サクラの通り抜けは、南門から北門への一方通行である。門前に長蛇の列。聞くと記念コインを買おうとする人たちだという。何百人のオーダーだった。数百mの遊歩道をそぞろ歩き。両脇のサクラには一重もあるが八重が多い。一本ごとに品種の名が付いている。いわれを伝える立て札もある。「蘭々」のような現代の新種もあるが、「御室有明」や、昔荒川の土手に植わっていたという品種「長州緋桜」「泰山府君」「雨宿」「日暮」「麒麟」もある。江戸のソメイヨシノばかりではなかった春の風情を偲ばせる。
「紅笠」「松前紅紫」「松前琴糸桜」「幸福」は北海道松前の新種とあった。「八重紫桜」の出自は小石川植物園。「鬱金」と「御衣黄」もあった。後者の方がずっと緑が濃い。「二尊院普賢象」は京都嵯峨の二尊院。「永源寺」は滋賀県の永源寺にあった。「琴平」は香川の琴平神社。「伊豆最福寺枝垂」は静岡の最福寺。「南殿」は京都御所。「太白」は日本で品種が絶え、イギリスの蒐集家から里帰りさせて貰った。「手弱女」は京都の平野神社。「胡蝶」は京都仁和寺。「玖島桜」は長崎の大村公園。「御信桜」は京都西本願寺系新種。
どれだったか忘れたが、元の木は枯れたが挿し木だったか接ぎ木だったかで品種を繋いでいるサクラもあったように記憶している。シンガポールの夜間動物園で、品種保存も設立の目的といった説明があったことをおもいだした(「台南、シンガポール、香港」('19))。今年のサクラはベニテマリ(紅手鞠)で、両門の近くに各1本ずつあった。北門近くの白のオオテマリとともに丁度満開で、印象深かった。家内が、索内に入った中国人観光客に注意を与えたが、モラル違反の不心得者は彼ぐらいで、花見客は気持ちよく流れていた。
東西線から片町線で木津へ。初めて走る片町線の車窓は貧しかった。奈良線沿線には昔の集落の雰囲気の残る車窓がある。だがだいぶ新しい住宅に蚕食されて風情が悪くなっていた。京大阪奈良は日本でもっとも歴史のある地帯なのに、もっと風格のある街並みに出来ないのか。戦前の風景の方がはるかに美しかった。木津付近は竹林が目立ちタケノコ名産地の看板もあった。モモの林があって桃色の花が畑を埋めていた。宇治、黄檗、六地蔵、伏見桃山、稲荷、鳥羽街道、東福寺など懐かしい駅名が目に入った。片町線は松井山手からは単線になり同志社前を過ぎると、いくぶんひなびた雰囲気が出てくる。奈良線はかなり複線化されている。
クルーズの印象に戻ろう。
テーマを「シネマ」にしたクルーズである。メインエンターテイナーになったのが、往年の人気俳優・宝田明で、船内では歌とトーク(井料瑠美と)で活躍した。松本晋一の「ダンス!ダンス!ミュージカル」では、ミュージカル映画のタップダンスの入った名場面の映写と彼のタップダンスを見せた。片山一郎の「カツベン!サイレント映画の黄金時代」は2回目を見た。映写画面の横に立って弁じる(活弁)のである。映画は新劇由来の「不如帰(ホトトギス)」、一番古い「オズの魔法使い」だった。「Shall Weダンス?」の周防監督の次回作『カツベン!』のお手伝いをしていると言っていた。
映画「放浪記(昭和37年作品)」を見た。映画館の大画面で見るのは初めてのように思う。映画「放浪記」と原作者・林芙美子については、このHPにいろいろ書いている。「林芙美子」('03)、「放浪記」('05)、「衆愚の時代」('10)、「映画女優」('15)。改めて主演の高峰秀子の実力を知った。宝田明は先の夫で売れない小説家。妻のおふみにさんざん当たり散らして結局は分かれるが、家出した妻の勤め先の酒場に押しかけて、飯を食わせて貰うだらしのなさを好演した。最初と最後のシーンでは、まだおふみが少女で、両親と共に行商に歩いている。最後は出身地の鹿児島だったかも。私は桜島に林芙美子の石碑があったことを思い出した。記念碑は下関でも見たように思う。尾道には文学記念館があって、彼女の文机が置かれていたように思う。「カサブランカ」も見た。これも大型画面では初めてだった。ハンフリー・ボガードが渋いニヒルな男を好演している。イングリッド・バーグマンには毎回感心。
ダンスタイムは初日と2日目にだけ出席した。3日目と4日目は波が荒く止めた。前回乗船時にパートナーに転ばれて以来、出席に慎重になった。船で転ぶ姿は以前にも見ている。もうダンス歴が20年に近くになり、この間私のペアは一度も転んだことがなかったので、油断していたのかも知れない。転んだときのパートナーは優れた踊り手だった。彼女は何度も気にするなと私を慰めてくれたが、やっぱり気になった。ダンス教室にも出席した。横のインストラクターにはお構いなしに、そこで私を指導してくれるパートナーに出会い、驚いた。それを聞いた私の常の先生は、「教え魔」は何処でもいますヨと言って笑った。
家内は両膝手術の回復が思うに任せず、いまだ歩く速度は三歳児同然である。私は出来るだけペースを合わせるようにした。それが板に付いているように見えるのか、周囲に私が「婿養子」らしいという噂が立った。船内生活は食事を含め快適だったが、とんだアクシデントにも見舞われた。インフォーマルの日、家内のダイヤ入りの装身具2個が消えてしまったという。輝けるアジアクルーズでは、私が封筒入りのドル紙幣をまるごと落としている(「ボン・ボヤージ日本の船旅・世界の船旅」('19年5月号)寄稿文)から、お相子さまと言ってやった。どちらもそろそろボケ出したのか。「ビンゴ」ゲームには二人揃ってまたまた完敗。たまには良い思いをさせろと、気の良さそうな取り仕切りのマネージャーに冗談を飛ばした。
釜山の港を含む海岸線一帯で大規模な再開発事業が進んでいた。国際市場の看板には日本語表示がしてあってわかりやすかった。店員もかなりが日本語を操る。食い物屋が並ぶ一角の匂いの悪さは相変わらずだった。南浦地下ショッピングセンターと言う地下鉄に沿った商店街があって、そこに下りると公衆便所が配置されていた。便所は清潔であった。地下鉄の南浦駅改札口は、日本式とはちょっと異なる自動改札で、男が1人張り番をつとめていた。スイカのような電子マネー式の切符で乗り降りするようだった。この国では入国審査のほかに別途出国審査をする。出国の方は空港のように厳重だった。入国審査をパスすると船との往来は自由なので、何のための出国審査かよく分からなかった。

('19/4/19)