和久峻三の推理小説U
- 「仮面法廷」「雨月荘殺人事件」および赤かぶ検事シリーズの中の「京都東山「哲学の道」殺人事件」を読んで、書評を「和久峻三の推理小説」として上梓した。書いた通り私にはいい読み物であった。だから、そのつもりはなかったのだが、さらに3冊を読んでみようと思った。「京都鞍馬 火祭りの里殺人事件」('92)、「京都 時代祭り殺人事件」('94)と「恐るべし少年弁護団」('14)で、いずれも赤かぶ検事シリーズに入っている。最後の1冊は、Wikipediaのリストでは和久峻三の最後の作品になっている。
- 「京都鞍馬 火祭りの里殺人事件」は、先に読んだ「哲学の道」と同じ年の出版だが、ちょっと前に書かれていることが解る。後者では赤かぶ検事は京都へ転勤になるが、本書では、まだ転勤前と記されていた長野地方検察庁の松本支部長のままになっている。火祭りの日に検事の娘の弁護士が拉致され、幽閉されるところから物語が始まる。幽閉される場所は、あとで鞍馬の離婚手続き依頼女性の旧家の土蔵とわかる。たまたま検事は暴力団情報交換会議で京都に出張している。
- 鞍馬の火祭の解説が出ている。鞍馬寺の祭りではなく、仁王門に続く九十九折の終わり近くにある由岐神社の秋祭りである。このHPの「時代祭と鞍馬の火祭」('04)に見物記を載せている。まだ観光立国などといわなかった時代だった。それでも真っ暗な広くもない夜道を駆け巡る松明を、立錐の余地もないほどに取り囲む群衆で、祭りは熱気に溢れていた。ろくすっぽ見えなかったから、電信柱のような外人が羨ましかったと記載している。今も時代祭のような観覧席は造りようがないだろう。Webを見たら料理屋が仮設観覧席を設けていた。食事込みで16千円とあった。
- 依頼女性は鞍馬の参道九十九折の脇で、離婚慰謝料に当たる株券を管理していた税理士は自宅の近くで、どちらも他殺体となって発見された。株券は奪われていた。娘弁護士は、たまたま税理士と同性であったために、間違えて拉致されたと推定された。
- 株券は非公開のお香の店(株)の45%で、依頼女性の夫は、その店を兄と親から引き継いでいた。店には土地の値上がりで莫大な含み資産がある。だからこの45%は店の将来を左右しかねない。面白いのは45%分の株の意味である。商法では株の譲渡は自由だが、特例があって取締役会の承認を必要とする場合がある。このお店ではその可能性がある。45%分によって、争う両者がそれぞれどんな戦を持ちかけるつもりであったか。私はTVドラマ:「科捜研の女」の事件分析にはなんとかついて行ける。私は技術士で、その専門分野の一つに応用理学が入っている。でも司法のK/Hはさっぱりだから、本小説のように解説されるとまったく感心してしまう。
- 夫と兄嫁も屍体で発見される。誘拐殺人事件のどれもが兄の妾が、お店乗っ取りのために暴力団と組んでやったものだった。暴力団組長がその妾の兄。
- 鞍馬は源氏物語と縁のある場所。夫は会社には名を貸すだけで、実際は源氏物語に陶酔した艶福家としての人生を送っている。家族縁者に源氏物語を彩る人物名を割り当てて、「あざな」としている。自身は光源氏を気取っている。殺人犯のあざなは「弘徽殿の女御」で、兄嫁が電話中に殺されるとき「コキデンの」と言って事切れるのが一つのヒントとなる。弘徽殿の女御は源氏物語では敵役だ。九十九折解説に遠くて近きものの枕草子が出てくる。祠の由来は「義経記」にあるとも。京都ならではの凝った筋書きになっている。
- 「京都 時代祭り殺人事件」では、編集プロダクションがメディアに売ったトリック写真が重要な意味を持ってくる。先の「和久峻三の推理小説」で作者が写真家であったと紹介したが、本小説ではその知識が遺憾なく発揮される。残念ながら写真術はここ30〜40年ほどの間の技術革新で、この小説の時代のフィルム・カメラから電子カメラに変身したが、私などはフィルムカメラ時代の方がずっと長かった。大学では感光材料の講義があったように記憶する。だから滔々と出てくるアナログ時代のお話は、なんとも懐かしい。そのころのプロの写真家が担ぐ望遠レンズ付きの写真機は、補助電池も入れると2.5kgもあったとある。凶器代わりになる重さだった。
- 一時京都地検時代のあった赤かぶ検事は、この小説では長野地検の検事に戻っている。だが時代祭を平安神宮大鳥居疏水橋の袂で見物していたとき、目の前に来た先導馬車の京都府知事が、アーチェリーの毒矢で瞬時に殺されるという事件に遭遇する。つづいて馬車直後にいた坂本竜馬が飛んできた短刀に刺され即死する。竜馬に扮していたものは、県職員で知事の懐刀であった。明らかに政治がらみの事件だが、事件を迷宮入りに導くために、予めスケールの大きな偽装工作が行われた。
- 偽装は、凶器が被害者を射す瞬間を捉えた大スクープ写真をメディアが発表し、知事改選の対立候補を安全に無競争状態に持って行くのがねらいだった。スクープ写真は、犯人捜査が困難になるように、凶器の方向が逆転しているトリック写真であった。だがそれに気づいた目撃証人が現れる。彼らはすぐに殺される。さらに捜査の手が伸びたのを知った主犯は、共犯のカメラマンをも殺害する。赤かぶ検事は京都地検に配置換えとなり、この事件を担当する。
- 時代祭以外の殺人現場は信州である。マイカー時代に私は再々信州を訪れた。その一つの杖突峠は、高遠に向かうときに使う好きなドライブコースであった。高遠の固有種タカトウコヒガンザクラは今年は4/10が満開だと出ていた。私の周辺は、なぜかと思うほどに、サクラはソメイヨシノが優勢である。少し紅色が勝ったコヒガンを見るのは楽しみだった。駐車場探しに苦労した記憶が残っている。
- 「恐るべし少年弁護団」は「京都 時代祭り殺人事件」から20年後の作品だ。とりまく社会情勢も技術背景も変わったはず。そう思ってこのHPの書かれた頃の毎月のまとめ('03年は「○月寸描」、'04年は「○月のニュース」)をさらっと眺めてみた。イラク戦争ではアメリカの情報網が活躍している。中国人・韓国人の強盗団が春節前に暴れていた。我が家にも来た、国際宝くじ詐欺への誘いが載っていた。中国人留学生が日本人の勤勉は昔の話と云ったとあった。
- 「パソコン棋士」('99)には私が市販の囲碁ソフト将棋ソフトと闘った結果を書いている。とうとうIBMのAIは'97年にはチェスの世界王者を倒し、'11年にはTVのクイズ番組の勝者になった。電話にはまだスマホはなく、PHSか携帯の時代だった。
- ロシアの国営事業に雇われた産業スパイが、超電気伝導物質を開発するベンチャービジネスのオーナー社長を射殺する。この産業スパイはヒズボラ組織に繋がりがあり、親ヒズボラの中近東諸国の公館を最大限に利用している。公館は治外法権で日本の警察力が及ばない。このベンチャービジネスにはすでに米国大手の資金援助が入っており、ロシアは産業秘密入手に万策尽きて殺害を指示した。これまでに読んだ和久の小説にはない国際規模の小説だ。スパイの隠し口座はタックスヘイブン(租税回避地)の外国銀行にあったりもする(「タックス・ヘイブン」('13))。
- 安価な高温型超伝導物質の開発は今でも産業界の夢である。私が現役のころ、我が国でも集中的に研究が行われていた。「放射光の応用U」('11)に研究の方向を3種上げている。住友電工という中規模の会社が、ある時期に、多大の特許出願をして注目を浴びたことがあった。先日のブラタモリで見せた山梨のリニアモーターカーは、車両側の一次コイルだけが超伝導システムになっている(「新世代鉄道の技術」('09))。この程度なら今のニオブ合金で実用化できるが、砂漠での太陽光発電の電力を長距離送電するような目的には、常温での超伝導が可能でなければならぬ。「低温「ふしぎ現象」」('12)には当時の最高温度が-116℃だったと書いている。
- 相変わらず赤かぶ検事は名古屋弁だ。彼は今回は事件解決の主役ではない。もっぱら解説役と相談役を引き受けている。スパイ逮捕に活躍するのは長野時代からの繋がりのある女警部だ。彼女が、事件に巻き込まれた社長女秘書と、殺害現場のベルリン交響楽団京都公演のシンホニーホールで、射殺を目撃した高二男子生徒の協力で犯人を追い込んで行く。この生徒の友人2名も協力する。女子生徒は面通しのために危ない囮役を買って出る。
- 女秘書はバツイチの30歳前後となっている。NY時代に元夫の関連からスパイと面識以上の関係があり、話を混乱させる。最後は彼女がスパイを公館の外に連れ出すことで逮捕できた。彼女の自由奔放な性格の中に、自分の将来を天秤の片方に置きながら、「正義」を取るに至った経過が事件解決の鍵であると思わせる。その揺れ動く心情の説明に、男子生徒との出会いから情慾の交換場面までを精密に描写してある。この場面だけを切り取って眺めていると、作者は純文学の道を歩いても成功したのではないかと思えてくる。ここまでに読んだ彼の作品とは違った印象を与えてくれた。
- スパイであるから米国国家安全保障局への身柄引き渡し(情報提供次第で被告の延命の可能性が出てくる)問題があり、法廷に被告がいないという状況が出てくる。スパイ逮捕の時に警部は2発被疑者の足を打った。それを「正当行為」とする検察庁判断に対し、スパイ側は準起訴手続きの申し立てをする。いわゆる強制起訴で、弁護士から検察官役が選ばれる。被告の延命のための引き延ばし作戦である。法定内K/Hがいろいろ語られていて、素人の私には面白かった。
('19/4/15)