植物たちの戦争T

世界の日本発理系論文引用数はがた落ちだそうだ。書店に並ぶ理系一般教養書に興味をそそる新刊書が並ばなくなった。その中で日本植物病理学会編:「植物たちの戦争〜病原体との5億年サバイバルレース〜」、講談社Blue Backs、'19が出た。人体と病原体との戦争については今までに多くの教養書が出版され、このHPにも書評や抄録の形で紹介しているが、植物たちの戦争についての成書は見た記憶がない。序章のアイルランド飢饉は「ジャガイモの歴史」('08)でも紹介している。
私には高分子屋をやっていた時期がある。鞘付きRNAのタバコモザイクウィルスTMVの立体構造と増殖機構は著名で、たいていの高分子化学の教科書に掲載されていた。本書には「分子生物学におけるタバコモザイクウィルスの役割」という項に、数ページが割かれている。別途キュウリモザイクウィルスCMVの説明があり、ウリ科、ナス科、アブラナ科に対する多犯性があると書かれている。タバコもナス科だ。
天明・天保の大飢饉はイネいもち病の蔓延だったという。大飢饉は文明の区切り点をつくる原因の一つだ(「日本史のしくみ」('19))。宿主特異性の条件的腐生菌、つまりイネだけに取り付くが枯れ葉の中でも生存する糸状菌である。近所の生垣のマサキの葉がうどんこ病に罹っている。さび病も似たような症状だ。糸状菌で絶対寄生菌だと言う。つまり宿主細胞内でしか生きられない。私は和蝋燭の原料になるハゼに見たことがあるが、小枝や葉が異常に密生して小鳥の巣のような外観を呈している場所は、てんぐ巣病に罹っている。サクラてんぐ巣病の病原は糸状菌だ。
私の少年時代はナシと云えば鳥取県産の二十世紀だった。ここ千葉県はナシの名産地で、二十世紀もここで自然変異種として見出された。ただ千葉の市場には幸水、豊水、長十郎、かおり、新高は毎年見るが、二十世紀はめったに出回ってこない。二十世紀には黒斑病に対する抵抗性がないという欠陥がある。宿主特異的毒素の存在が世界で初めて発見された研究は、二十世紀と長十郎の比較からで、やったのは京大農学部学生だったという。どの宿主に対しても有毒な、非特異的毒素は昔から知られていたという。植物新品種に限って特異的毒素が現れるケースは二十世紀だけではない。
これは病原菌側に野生状態で常にその必要性があることを意味し、旧品種ではその防護策がすでに出来上がってて、たまたま新品種がその点に関しては欠陥品種であったと云うことだろう。染色体上の類似特異的毒素の遺伝子の配置は、ほかの菌からの水平伝搬であることを物語っている。
トウモロコシのヒストン脱アセチル化酵素阻害による宿主特異的毒素(HC毒素)に抵抗性を与える遺伝子が、オオムギ、イネなどにも共通に備わっていることが、その欠陥品種の研究で明らかになった。イネ科の祖先の時代にその能力を獲得している。
病原カビの糸状菌は胞子発芽で植物細胞表面に付着器を下ろす。植物は、細胞壁に加えワックスやクチン質からなるクチクラ層(角皮)からなる表皮細胞で、病原菌の侵入を防ごうとする。発芽過程で高濃度にグリセロールが付着器に蓄積され、その浸透圧が細胞壁に侵入穴を貫穿、糸状菌は菌糸を植物体内に挿入する。黒斑病ではメラミンが生成し、付着器からのグリセロール流出を防ぐ。
後述の通り、植物側にはオキシダティブバーストの機能があるが、ナシ黒斑病菌の付着器底面からは類似のバースト機能があって、細胞壁の貫穿に関与しているという。酸化で穴を掘るのだろう。分泌量は感受性ナシの方が抵抗性ナシより多いという。
胞子には加水分解酵素エステラーゼが存在して、葉のクチン層を分解する。分解生成物の一つが胞子の付着器への分化を誘導する。分化必要要素製造のためにオートファジーが働く。ワックス成分は付着器生成の時の植物認識に強く関わっている。
葉の表面は一般に疎水性で、風雨に乗ってやってくる病原菌をはじこうとする。植物の防衛策の一つである。細胞壁にはリグニンの三次元網目構造があり、病原菌を認識すると、植物はこの構造をより強固にしようとする。細胞壁には物理的な防壁としての働きのほかに、病原菌のペクチン分解酵素の阻害タンパク質を出して、ペクチン層の完全分解から守る。おまけに部分分解成分(オリゴ糖)を認知して抵抗反応を強める。
付着できた病原菌は角皮の貫穿が出来ないときは、気孔や傷口から侵入しようとする。気孔の場合植物は病原菌関連分子パターンを検知して穴を閉じてしまう。病原菌にわりに一般的なべん毛は、構造が比較的保存されているという。つまり共通性があると云うことらしい。それを検知するケースが知られている。病原菌側の対策は気孔を開く植物ホルモン類似の化学物質を毒素として生産する。
お茶のカテキン(渋味、ポリフェノール類でタンニンに相当する)は、予め用意されている化学防衛兵器である。このHPに「お茶の科学」('15)がある。タネ本は'92年の刊行だから知見は古い。お茶はもともとお薬として中国からもたらされた。「茶の主要成分カテキン類の生薬としての貢献は、複合的相乗的で、機構までは解析できておらず、実験事実程度の話が多い。生活習慣症のうち高コレステロール症に有効という記載には注目した。ラットでの実験で著しい効果が示されている。ほかに血圧上昇抑制作用、血糖降下作用も報告されている。やはりラットの実験で、抗腫瘍、発ガン抑制作用が報告されているという。」としている。
本書には病原菌の付着器形成と侵入を防ぐ感染阻害因子だと具体的に述べている。お茶に対しては書いてないが、エンバクの抗菌性物質に対し、コムギ立枯病菌は歯が立たないが、エンバク立枯病菌は無効化している。トマトにも菌種によっては無効化されている類似の例がある。病原菌側も絶えず対抗策を進化させている。
動物の免疫システムに類似の機構が植物に備わっている。ファイトアレキシンと言い、微生物の攻撃によって植物中に新に生合成される低分子の抗菌性物質と定義されている。ジャガイモ、サツマイモ、エンドウなどの例が出ている。この免疫物質を無効にする病原菌も発見されている。
PRタンパク質は誘導性の防御関連タンパク質で、食害を含む外敵侵入の信号により転写が活発化して、液胞に蓄えられたり細胞外に放出されたりで、防衛に回る。病原菌やウィルスの侵入あるいは障害ストレスと同時に、局所的に活性酸素種が生産される現象をオキシダティブバーストと呼ぶ。活性酸素はオキシドールのように「殺菌」に役立っている。昆虫による食害を受けた植物は、ときにその昆虫にとっての天敵を呼び寄せるフェロモンを空中に揮発させることがある。
イネ科の雑草は生命力が強く、私の周囲ではありとあらゆる空き地を占領している。その中でことに目立つのがスズメノチャヒキ属で、ヒゲナガスズメノチャヒキなどはあちこちに大群落を造っている。そのなかにガボッと茶色に枯死している地帯がある。花は終わった、これから実る時期だから、あるいは病気にやられたかと思っていた。
本書に過敏感反応という節があって、スズメノチャヒキ属のさび病の研究によって明らかになった現象だとしてある。強力な敵と出会ったときに、敵と心中する最終的防衛手段である。時には部分的な細胞死ではなく株全体、群全体に及ぶ。動物にはアポト−シスが発生の段階からすでに行われていることは知っているが、見かけはこれに受動的である点以外は類似している。プログラム化された細胞死であることは似ているが、メカニズムは異なる。
動物の場合は、DNAはヌクレオソーム単位で切れるが、植物の場合はそうはなっていない。過敏感反応を担うプロテアーゼは液胞にあって液胞膜を破壊する。その破壊は液胞内の分解酵素を放出したことになり細胞死に繋がる。液胞は植物で非常に発達した存在で、動物のアポトーシスのプロテアーゼが細胞質にあるのと違う一つの理由だ。過敏感反応は他の抵抗反応を発生する機構と遺伝子から見た展開状況は、一連のものと理解して良いようだが、他の抵抗反応が一過性であるのに対し、過敏感反応は持続性という点で発現形態がまったく違う。容赦のない遭遇戦に挑むのが後者である。
病原菌が来たら、その周辺の栄養素を吸い取って、菌の生活を困難にするという防衛法が発見されている。シロイヌナズナは動物のラットのように植物研究の標準材料によく使われる(「発生生物「学」」('08))が、その遺伝子欠陥種でメカニズムが研究された。べん毛タンパク質を受容体で認識し、その信号をBAKIタンパク質に渡す。BAKIは糖トランスポーターを活性化し、細胞内に糖を取り入れてしまう。「七人の侍」が守った農村のような行動だ。

('19/5/18)