フィリッピン民族の祭典
- ぱしふぃっく びいなすの輝けるアジアクルーズでは、1/26と1/27にバナイ島イロイロに寄港した。当地のこの期間にフィリッピンの民族の祭典「ディナギャンフェスティバル」が開催され、その観覧が今回クルーズの一つの目玉になっていた。クルーズはフィリッピンでは1/24にまずセブ島に入港し、1/25にボホール島を訪れた後イロイロに向かった。このフィリッピン訪問の4日間を纏めておく。
- 24日午前を半日観光セブシティ歴史地区のバスツアーにした。車窓の活気は戦後の日本の闇市もどきで、違うのは品物に溢れているところだった。サンペドロ要塞は小さな三角形のスペイン人のもので、最初は石塀ではなく木造の砦だった。ガイドがこの土地の生活事情を紹介した。カトリックの教えはしっかり守られているようで、結婚は生涯一度きりと強調した。8時間働いて1000円弱ほどが底辺労働者の収入だという。富裕者番付トップ10の7人までが中国系で、残り3人がスペイン系だという。市場などでスリや置き引きは女という。ガイド自身が、車窓で通り過ぎた市場で、ナイフで切られたことがあるという。船のガイダンスでも、セキュリティへの注意はいろいろ聞かされていた。
- 昼食は我らの「ゆたか倶楽部」の招待で、フィリッピン味中華料理を頂いた。ウォーターフロントセブシティホテル&カジノのティン・ゴウなるセブ随一の中華料理店と聞いた。ウエイターとウェイトレスは清潔なユニホームで好感が持てたが、接客業務はのんびりしたもので、このため空路はるばる日本から到来した(セブ島までの直行便がフィリッピン航空により始められている。)社長以下の主催者はイライラしていた。ゆたか倶楽部会員が今回クルーズ参加者の2割を超すと知った。
- 戻りのバスは途中総合マーケットに立ち寄り、われらはドライ・マンゴほかを多量に土産として買い入れた。支払いはペソ以外通用しないとわかり慌てたら、後ろに部屋担当の乗務員が大量の品を篭に入れて並んでいた。フィリッピン育ちの彼女が立て替え払いをしてくれ、助かった。
- この日のエンターテイメントは神田鯉栄の講談会で、七五調の名調子と迫力でよみがえる歴史の名場面と言う触れ込みだった。家光の前で愛宕山の86段を馬で往復した出世馬術家の話を名調子で聞かせた。講談専門の催し場は今は東京にも無くなっているという。
- 25日早朝ボホール島に着く。午前に「ターシャの森とバクラヨン教会半日観光」に出た。接岸できる岸壁がないために、びいなすのテンダーボートを通い船にしてタグビランに上陸した。岸壁では歓迎の首飾りを美人群団に掛けてもらった。ターシャとはメガネザルで体長10-15cmの世界最小の種という。昆虫食で27、8年生きると言った。自分の主張する生息域の木に止まってびくとも動かなかった。褐色の毛で身を覆う。保護色で見付けにくいから、そこの職員が居場所を教えてくれる。写真もついでに撮ってもらった。目はうごかず梟のように首を180度回転させて周囲を眺めるという。
- バクラヨン教会はフィリピンで2番目に古い教会とかで、1番目はマニラにある。本式の建築で鐘楼と付属の学校があった。見学料を取っていた。小さいながらも祭壇や壁画は立派だった。このボホール島にはまだスペイン語を日常的に話す部落もあるとか。なにを言っているのか不明朗な日本語のガイド女性は、スペイン系のような姿態でマニラの大学を出たという。
- 道路周辺の民家は貧しそうだが洋風に造られていた。市外は一戸建てで周りは農地。痩せた牛や野犬が時折見えた。道路は狭く信号はほとんど見かけなかった。車の往来は激しく日本車が多い。フィリピンのどこでも見られる小型バスは、中古の小型トラックをフィリッピンで改造して製作する。車検などいらないようだ。ベトナムで多く見かけた2輪駆動の改造3輪タクシーがいっぱい走っていた。1回乗車で10ペソと言った。距離は言わなかった。20円ほどとは安い。昼食時間のため家に戻るらしい学童や学生を多く見かけた。市に大学がある。教育熱心は喜ばしい。
- 26日はいよいよイロイロのフェスティバルの日。天気予報は晴れ曇りで正午の気温 26℃という。炎天下を覚悟してきたのだが意外と涼しい。朝8時出発だったが強風での接岸遅れがあって15分ほど8台でフェスティバル会場に進んだ。パトのオートバイ2台が先導した。テロ警戒で電波まで切断されていた。警官その他係員が山のように取り囲んでいた。添乗員はもちろんガイドも会場関係者もとても親切だった。我らの指定席は10数段上がったところの一番端に近い場所で、必ずしも好くはなかったがコンクリート壁にもたれることができて楽ではあった。
- 10チーム出場に対し中間の4チームが終わったころに早帰りのバスが来たので、引き上げることにした。相棒の健康が心配だったのである。演技は歌劇のようおなもので、物語に合わせて背景を動かしながら、強烈なリズム音楽の下で、派手な衣装の男女の若い踊り手が踊りまくる。収穫の喜び、宗教的色彩の高いもの、高貴身分の男女の結婚を扱った恋愛ものなど、なにがテーマかは分かった。動画で30分も撮ったろうか、電池に赤信号が出た。
- 岸壁に出店が並んでいた。家内はマンゴを買った。1個200円弱のようだった。甘酸っぱかった。午後2時半シャトルバスでショッピングモールへ出発。やっぱりパトカーが先導。そこのけそこのけで、インドネシアの時ほどは強引ではなかったが渋滞らしい渋滞にはぶつからず、10分ほどで到着。モール3Fの為替両替所で1万円をペソへ変換してもらう。レートは非常に良く4730リラを得た。船のレートでは3700リラほどにしかならなかったはず。
- モール内でスーパーに立ち寄り買い物をしようとしたが、店頭の表示とレジにおける請求額が異なり、レジでは3-4割高かったので、結局なにも買わず、両替しただけのシャトルバスになった。戻りバスにはさすがに白バイ先導はなかった。道路脇にはいくつもの学校を見た。この国の将来のために大いに結構。この国の人口ボーナスは国を豊に実らせるだろう。教会の数も多く、カトリックがしっかり根付いている。戻ってから展望風呂でシャワーを浴びた。夕食の仔牛のカツレツは美味かった。エンターテイメントの地元一貫校による伝統ダンスは、半分以上は洋風の踊りだが物語は伝承のものと思った。恋のやりとりを舞踊で表す。半分以上を動画にした。
- 27日、曇り。正午の気温26℃でお祭り日和だ。お祭り会場には8時半発の会場行きに乗った。会場はまだ市長の挨拶待ちでそれが終わってから第1組の踊りが始まった。遅便で好かった。最初の7:50のバスで行っても市長の到着まで待つだけだった。本日日曜日が祭りの本番で、観客も昨日より多かった。大相撲のように、パーホーマンスの間に広告の入った旗の行列が通る。
- 踊りは勇壮な群舞で、スペイン人が初めてこの島にやってきたときの原住民がそうであったような衣装で、物語はキリスト教聖人がやがて福音をもたらし、戦乱の社会に平和をもたらすと言った筋書きが多かった。黒塗りの土民軍団が槍と盾で武装して踊り狂うものもあった、兵器に飛び道具は不思議に出てこなかった。ビバ・サントニーニョと最後に全員で大声で叫ぶ。サントニーニョとはキリストの幼少時の姿で、スペイン人が布教するとき、何か畏怖感を与える白人の大人の姿よりは、幼少のキリストの方が布教に都合がいいと、神父が考えてサントニーニョ信仰を広めたためという。住民の9割はカトリック信者という。私のキャノンのメモリーがつきた。動画ばかり合計で1時間も取ったのだろうか。仕方が無いのでそのあとはスマホ撮影である。
- 昨日同様に4回目のチームがショーを終えて後、白バイ先頭の戻りバスに乗って戻った。埠頭には臨時の出店が10軒ほどお土産物を売っている。昨日3千ペソあまり残していたので、この出店で買い物をした。Tシャツ2着まけて850ペソが最大の買い物で、黒地に金ぴかのフェスティバル模様。その日だけの着用だったが、人目に付いたようだった。あとはココナットオイルの小瓶に消えた。
- 出航の時間に8Fから埠頭の見送りの楽団の演奏を聴いた。楽器がほとんど竹でできていて前列に竹琴6-7台、後ろに太い竹筒をハープのような形にしてそれを打楽器としている民族楽器のほか遠目にはよく分からぬ竹の胴をたたく楽器や太鼓が演奏していた。船は3回汽笛でこたえ、しばらく走って方向転換を終えてからまた3回汽笛を鳴らした。
('19/3/1)