
- 向島は、明治以降に大幅な河川改修がなされたために、捕物帖を読むのに苦労な場所である。江戸時代の綾瀬川に沿って荒川放水路ができ、蛇行の著しかった旧中川を南北一直線の新中川に引き直した。旧中川は沼として残る一方で、いくつかの中小の河川堀割が埋め立てられた。
- 曳舟川は業平橋あたりから旧中川にほぼ南北一直線に引かれた堀割である。多分河口に近くになって荒川が分岐し、その支流の一つが手を加えられて出来たものであろう。荒川放水路までの曳舟川は昭和の初め頃までは残っていた。東武博物館に展示されている昔の航空写真に川筋が見える。今は埋め立てられて曳舟川通りとなった。
- 本所深川の西寄りを除いたら隅田川の東は田園地帯であったと、捕物帖には描写されている。生活しているときは、どこにでもある風景だから誰も記録しない。時代が変わって大都会に組み込まれた後では、振り返っても過去を語るものは大抵殆ど残っていない。都市特に大都市の失われた過去は想像するだけである。曳舟川筋もその一つであると思っていた。
- 千葉県立美術館の常設収蔵作品展「浅井忠、その生涯」を見た。浅井忠は近代日本洋画の父と云われる人で、千葉県佐倉の出身であるためか、この美術館で集中的に作品蒐集されている画家である。
- 展示作品の中に'85年(明治18年)制作の「曳舟通り」があった。ペン画である。ペンの黒線で描かれた、写真のような写実的な画である。運河を中心とした風景である。船頭の乗った猪牙と筏がすれ違おうとしている。もう一艘分ぐらいの水路があるからまあ川幅は4間である。両川辺に平行に細い道が続く。片側に藁葺き屋根の小屋が三棟見える。その一つは川にせり出し屋根の下は吹き抜けである。道を挟んだ残りの一つには小さな幟が幾つも見える。馬を曳いた馬子が通りかかっている。どうやら三棟纏めて一軒の茶店らしい。川の先に簡単な橋と人が見える。
- まだ江戸時代をそのまま引きずっていた頃のスケッチである。高い土手を作っている風でもない。曳舟というから昔は上りを引っ張ったのだろうが、その人物は描かれていなかった。
- 浅井忠は農婦や漁婦を写実的に描いた。日清事変の従軍画家としてのスケッチも情景を彷彿させる。たとえ同じ情景が写真で残っていても、彼の絵やスケッチの方が、見る目により真実に近いと映るに違いない。
('98/02/02)