ゲノムが語る生命像(再読編)U

「ゲノムが語る生命像(再読編)T」の続編である。
ペニシリンを嚆矢とする抗生物質の発見は、病原菌に対する人間の勝利宣言であるように讃えられた時期があった。だが耐性菌の出現で、たちまち新抗生物質発見とのイタチごっこになる。薬剤耐性の獲得は突然変異であったり、他の微生物種からの遺伝子取り込みであったりだろう。その耐性が仲間に急速に伝搬する機構として、渡辺力(慶応大)の研究が紹介されている。細菌に寄生する独立のDNAであるプラスミドは、細菌の分裂と共に増殖するが、細菌から細菌に移動することもある。渡辺は薬品耐性因子(R因子)がプラスミドであることを見付けた。別々の耐性因子を持った菌を一緒にすると、複数の抗生物質に耐性のある菌になる。
トリパノソーマ寄生原虫によるアフリカ眠り病(嗜眠病)の原虫と動物の攻防が書いてある。トリパノソーマ感染で動物はその表面抗原に対する抗体を作るから、一時的には眠り病が抑制される。しかしトリパノソーマの表面抗原の遺伝子は、その形を変えて動物の抗体から逃げる。この追っかけごっこが続いてついに宿主が死に追いやられる。R因子同様のトランスポゾンの典型としてこの例が出ている。特殊な塩基の配列を両端に持っていて、この塩基配列の中の遺伝子が、一つの場所から別の場所に高頻度で飛び移る。遺伝子はダイナミックに動くのである。
トランスポゾンの構造は、発ガンウィルスであり逆転写酵素を持つレトロウィルスと非常によく似ているとある。このレトロウィルスは、宿主細胞のDNAのいろんなところに潜り込むが、発ガン遺伝子の周辺に潜り込むと、その異常発現の引き金を引き、ガンを発生させる。ガンは遺伝子病である。
生命を維持するには細胞は増殖せねばならない。増殖に関わる遺伝子はガン原遺伝子になる。突然変異を受けた遺伝子もこの範疇に入る。放射線は有名だが、近頃内在的突然変異誘発物質として、AIDが疑われ出していると云うから複雑極まりない。AIDとは、Bリンパ球が抗原刺激によって作り出す分子で、対抗抗体を作り出す制御物質だ。遺伝子を動かすドライバーになる。勝手気ままに増殖されてはたまらぬから、生物は他とバランスよく増殖させるようにコントロールする。ガン抑制遺伝子である。こちらの破壊によってもガンが発現する。
今までのガン治療薬は、原理的にガン細胞にだけ特異的に働かせることは不可能であった。必ず正常細胞にまで害を及ぼす。ここにいたって登場したのが、分子標的薬だ。ガン細胞で特異的に活性化されているタンパク質リン酸化酵素に対する阻害剤だ。ほかの種類もある。問題はターゲットが明確になっているガン種だけにしか利かないと云うことと、投与継続により新種のガンが発生するという点だ。
ノーベル賞対象となった免疫チェックポイント分子(リンパ球リセプター)「PD-1」は、ガンの免疫療法に画期的な道を開いた。大きなガン腫を持った生体は、大量の抗原に常時さらされているから、リンパ球は慣れっこになった免疫寛容の状態にある。だからその状態でガンワクチンを投じても、免疫系のキラーT細胞は、PD-1を無力化された状態だから、ガン細胞を殺そうとしない。本書はニボルマブ以前の出版らしく、その薬の名は出て来ないが、キラーT細胞のPD-1のマスキングにより、ガン種を問わずしかも副作用極小の薬が治験効果を上げているとある。図を入れても1ページ半ほどの短い解説である。再改訂版では詳しい話になるだろうと期待している。
このHPの「脳・心・人工知能」('16)、「神経とシナプシス」('16)、「つながる脳科学」('17)、「痛覚のふしぎ」('17)、「新しい人体の教科書(下)」('18)などには神経興奮が伝わるための閾値の話が出てくる。また「食欲の科学」('13)、「なぜ皮膚はかゆくなるのか」('15)、「脳内麻薬」('15)、「脳・心・人工知能」('16)、「おいしさの科学」('18)、「サイコパス」('18)などでは脳内の報酬系の働きをいろんな角度から書いている。
脳内の機構はまだまだ未知分野が多い。ここでは、殆ど増殖しない脳細胞だが、軸索がシナプスを介して他細胞の樹状突起と結びつき、回路を形成、受けた電気信号の加重平均が、報酬系が関与する閾値を超えると、初めてパルスを次へ繋いで行くと解釈しよう。一方「人工知能(AI)いろいろ」('17)、「AIは神にはなれない」('18)のような記事には、人工知能の学習方法を解説している。双方の類似性は明らかだ。本書第4章の34項と35項は脳の機能の理解という題である。光遺伝学が、ニューロンレベルで、脳機能と神経回路の対比を可能にした。またシナプスでは放出化学物質の種類により、興奮性伝達と抑制性伝達を区分けしていることが判った。
高等動物ほど脳内のヒエラルキー構造は高次になる。脳の高次機能が個々の遺伝子の発現というよりは、胎生期から発達期までかけて形成される神経細胞の作り出す電気回路に依存していることは明らかだと記されている。たとえ一卵性双子であっても、生育環境によって外見、行動、性格などと同様、脳の働きも違って来ると云う所見はWebのあちこちに見られる。脳の高次の働きには蓄積データがものを言う。脳内の記憶回路は私の関心の焦点の一つだ。「昆虫−驚異の微小脳」('06)、「もの忘れの脳科学」(14)、「つながる脳科学」('17)ほかいろいろ読んでは見たが、もう一つ納得した気持ちになれない。一番難しい分野で研究の進展を待つより仕方がないのだろう。AIの機作と異なり、コンピュータの記憶媒体に対応するような機構は脳には多分無いだろう。
第5章「ゲノムから見た生命像」には著者の宇宙から40億年の昔に及ぶ生命観が語られている。本章を先に読んだ方が、この本を流れる生命の哲学がはっきりして、判り良いのではないかと思えるほどだ。本書を読むと、進歩は進化とする宗教文化の影響を受けた学説よりは、進歩は単なる変化であると捉える木村資生の中立説(「新進化論」('08)、「進化生物学」('14))の方に分があると感じられる。生命は知れば知るほど柔軟性に富むことが解るが、異常に早い人間活動による環境変化に対応できるかどうかと云う疑念も起こる。
多様性の維持尊重が人が生き続けるための大前提だ。究極はクローン人間のような、凝り固まった価値観で、社会を覆い尽くそうなどと云う考えは、人間の存在を危うくする。日本は今旧優生保護法により、精神病患者に不妊手術を強制実施した事実の責任について、大きく揺れている。政治家も学者も負の歴史からは、目を背けようとする。曖昧模糊の先送りが後世に何を遺すかは、日韓関係などが良い例ではないか(とまでは書いてない)。
初めて火を使うことを覚えた人間集団の中では、賛成派と火の恐ろしさに怯える人たちとの間で喧々諤々の闘争があっただろう。新機軸の発想や未経験の事態に対しては必ず執拗な反対論が出てくる。歴史のある産業でも極端な事件があると、全部を否定して掛かるやからが出てくる。私が勤めていた化学会社の食塩水電気分解工場は、その一つだった。水俣病の原因が有機水銀であったために、水銀電極が否定され、排水に水銀イオンを検出しないという条約を結ばされた。水銀イオンは有機でないし、そのうちに自然には検出できる量の水銀が分布していることが世に知れ亘った。でも会社は工場を別法に変換したあとだった。
放射能被爆も然り。針小棒大に反対論を唱える議論に満ちあふれた時代があったが、人は日常的に自然放射能を浴び、人体は破損DNAを修復する機構を持つことが知れ亘ってやっと非科学的な煽動が修まった。食糧問題、エネルギー問題が首を絞め掛かっている人類にとって、ゲノム工学技術の応用推進は今後に必須の要件である。品種改良、微生物による食糧生産、バイオエネルギー、グリーンケミストリー、バイオエレクトロニクスなどが挙がっている。経済性の点でまだ最後の3者は問題が多いが、不足と枯渇が現実化したときは進めざるを得ないだろう。
安全安心の科学的評価に、大規模な疫学的研究が開始されている。過去の膨大な集積データを活用する疾患遺伝子相関研究と、多数の健常人を登録して20年に亘り発症疾患と遺伝子を調べるゲノムコホート研究である。コンピュータの処理能力が向上しAI技術の発展でマスデータ解析が容易になった。それでも多数の研究者の参加と、統一された診断法およびより高能率で容易な分析機器が必要になる。断片的知識、異常な拡張解釈などで政治思想のプロパガンダに使われやすかった安全安心だが、科学的に互いに納得できる資料に基づくものとなることを期待したい。
第7章「生命科学者の視点から」では、著者の人間哲学、社会哲学が語られる。人の幸福感の土台は、他の動物と変わることがない生存競争への意欲から来る。それが欲望充足型の本能から来る幸福感だ。だが我らには高次制御中枢がある。学習や記憶のフィードバックで、一時的な感情や暴発行動を抑えることが出来る。考えた行動とは不安の閾値を底上げする行動だ。不安除去型の幸福感と呼んでいる。それは宗教が目指す幸福感だろう。心頭滅却すれば火も亦た涼し(快川和尚)とか、生きるために生物を喰うことは必要悪で、最低限にして生き物を慈しまねばならぬと云う仏教の教えは、ずいぶん無理しているとは感じるが、宗教界最高峰のものであろうと私は思った。
本書にもあるが、牛は喰っても良いがクジラはいけないと、かの宗教文化圏の人は堂々と論じる。命の格差を認めるもので、ユダヤ人アフリカ人に対する過去の忌まわしい行動の土台になっている。彼らの何代か前が太平洋のクジラを鯨油採取のために全滅状態にしたことを棚に上げている。この正月にNHKの美の壺は「精進料理」をやっていた。宇治・黄檗山万福寺の普茶料理をいただきに出掛けたことがある。もうそのときの記憶は薄れているが、改めてTV画像で、命を尊ぶ僧侶の本能制御への努力を垣間見た思いであった。この高雅な精神を仏教以外の宗教に伝えることはできないものだろうか。

('19/1/8)