醍醐寺展
- サントリー美術館の「京都・醍醐寺〜真言密教の宇宙〜」展を見た。醍醐寺は山科盆地の中央東寄りにある。山科川を挟んで西に勧修寺や大石神社、東に醍醐寺だ。今は京都地下鉄東西線がJR西・奈良線の六地蔵まで延びている。私の京都時代には、国鉄か京阪電鉄の山科駅からバスで行くのが普通だった。街道両脇は民家が連なっていたが、少し奧にはまだ農地が広がっていた。真言宗山階派大本山でお庭が有名な勧修寺へは、稲荷山を越える山道ルートがあったと記憶する。
- 昔のサントリー美術館は赤坂見附にあった。今のそれは、昔に比べて、それほど広くなったのではなさそうだった。入居した東京ミッドタウンの建物は、たいそう近代的で豪華な総合施設だ。私はタウンを取り巻く環状の庭が気に入っている。その日はツワブキとフウチョウカの花を見た。ただレストランは瀟洒すぎて、昼食に一人で入るには気が退けた。それに概して満席で、美術館片隅の和風カフェにも入り損ねた。週日だというのに入場者は多かったのである。私はいつものように音声ガイド機を借り、人垣でキャプションが読めないときの用心をした。
- 醍醐寺が歴史に華々しく登場するのは、何と云っても醍醐の花見である。太閤が出てくるドラマでは、しばしば取り上げられた。招く方も招かれる方も仮装を愉しんだシーンのあるドラマも見たが、それは作者の創作で、Wikipediaによると、花見に招かれたのは女性ばかりで、(男の名は「醍醐花見短冊」には)秀吉・秀頼の他には唯一前田利家の名が見えるのみと言うのが史実だそうだ。応仁の乱で丸焼けになった醍醐寺をこの催しを切欠に復興したのは秀吉−秀頼親子である。秀吉の関白就任のときの前任関白が座主・義演の実兄だった。太閤シダレザクラのクローン植栽が成功し、寺の三宝院の庭で次世代として成長しつつあるという。
- 入替を含めての展示資料120点の殆どが国宝ないし重要文化財である。1寺だけの展覧会で、これだけ揃えられるとはと思う。創建以来1100年有余という。兵火やその他の火災に何度も危機に曝された。近年では上醍醐の薬師堂を落雷で焼失させている。建造物では僅かに五重塔のみが創建来のものという。塔の旧連子窓羽目板断片が展示してあった。災害にもかかわらず、今日にいたるまで仏像を始めとする資料を守り伝えた関係者の宗教心と寺宝維持の執念に、ただただ驚嘆の念を禁じ得ない。
- NHKのドラマ「京都人の密かな愉しみ 縁結び篇」に泉涌寺の走り大黒天がある塔頭・雲龍院が出てくる。そこの後円融天皇と後光厳天皇の座像について、住職の娘が、座像は首だけ抜けるように造られている、火災の時には等身大の座像を背負って逃げるのは難しいから、せめてお首だけは避難させるようにと小さいころから教えられていると話す。木造文化財を守る姿勢として受け継がれてきた寺訓であることは本当だろう。建礼門院が平家滅亡後隠棲した寂光院本堂が放火炎上した事件では、尼僧たちの懸命な消火活動が、新聞に取り上げられていたことを記憶している。
- 秀吉の猿面は本当だったらしい。「第4章 義演、醍醐寺を再びおこす」に豊臣秀吉像の1幅があった。写真では見馴れた画幅である。18世紀の作だから、想像逞しく描かれた絵かと思っていたが、豊国神社とその末社に生前の姿の下絵が保存されていたそうだ。鬼平犯科帳などの江戸時代の捕物帖では、容疑者の似顔絵がよく登場する。線画でもなかなか特徴をうまく表現できるものだと感心して見ている。室町時代の座主或いは院主が、或いはスケッチ風の線画として、或いは掛け図の着色画像として、数多く展示されていた。個性溢れる面立ちに描かれていた。上野の西洋美術館の油絵を見ていると、それらしい表情に描いていると感心することがあるが、我が国の画工の腕も昔から確かなものだったらしい。
- チケットやパンフレットの背景の如意輪観音座像は、手足が3対であることを不思議に思わせない。小首を傾けたポーズは魅力的だ。薬師如来像は展示最大の仏で、薬師堂本尊だ。薬師堂火災の時たまたま難を逃れたという。鎌倉大仏もそうだったように思うが、礼拝者が見上げたときにバランスよく目に写るように造られているという。その両脇侍像は、本尊を引き立てるためにだろう、多分意識的に、本尊よりぐっと小さく造られていた。仏さまの表情は、信者が納得して敬い礼拝できる平均的なお顔だから、そうやたら異次元な顔にはできぬ。平安時代の仏は、奈良時代や鎌倉時代よりも、概して穏やかで優美だという感覚は、ここでも維持できた。
- 真言密教は加持祈祷や修法(儀式)に仏の道の真髄を求める。現世利益のおこぼれを求めて、国のエリート層が群がった理由でもある。明王たちことに不動明王は願掛けと祈りの中心にあった。仏像仏画の設計図とも云うべき白描図が残されている。全国の不動明王がそのいずれかのパターンを使っているという。加持祈祷修法の記録は、歴史を動かしたエリートたちの精神構造を探る貴重な資料だ。よく残ったものである。如来さまや観音さま、菩薩さまと違い、平安期であっても明王たちは火炎を背にいかめしい顔つきだ。像内に快慶作のト書のある木造不動明王像も展示されていた。
- 宋版一切経は6000帖あまりが揃った国宝である。絵画は何と云っても三宝院障壁画が圧巻だった。狩野派ではなく長谷川等伯一派の画だという。色褪せ茶色に変色しているのが残念だった。六曲一双の松檜群鴉図という大型屏風絵があった。鴉が何10羽も飛び交い枝に休んでいる構図は特異だった。
('18/11/09)