京都浪漫 悠久の物語T

この春頃からKBS京都・BS11の「京都浪漫 悠久の物語」が始まった。今月半ばですでに14回を数える。55分番組だ。初回の「京の春〜都に語り継がれる桜秘話〜」は、「「東西美人画の名作」展と谷中散策」('18)に引用している。TBS京都は京都新聞社を中心に設立されたが、お家騒動が起こり、一度は経営破綻の会社更生法適用を受けた。今は京セラを筆頭株主とし、関西の有力資本が参加する会社に変わっている。地方製作番組で長寿なのは珍しい。テーマの京都はそれだけ国民の心のより処なのであろう。
どの話もゆったりとしたテンポで話が進む。我ら老人にはまだ良いが、忙しい現役のヒトは最後まで見るのは苦労だろう。私にとって京都は故郷だから内容がほぼ頭に入っているし、現地もたいていは見学しているから、よけい悠長に感じるのかも知れない。でも物語を語る音声、ことに司会者の幾分間延びした京都調の言葉遣いは私にはなつかしい。見続けるのは、この言葉遣いに癒されているからかも知れない。ナレーターの「にしむらまや」は京都市出身の声優だそうだ。
京言葉はこの100年ほどの間にどんどん標準語に近づいた。国語元年前の京言葉で語られた源氏物語のCDを聞いたことがある。平安京の宮中では、そんな音韻で言葉のやり取りが為されていたのであろうとどこかに書いてあったと記憶する。京都府立大学名誉教授・故中井和子氏の労作が基本になっている。私の話せる京言葉は敗戦前後の10年ほどのものだろうが、国語元年頃の京言葉でもなんとか聞き取る事は出来る。その源氏は、落語家が意識的に話す京言葉をいくぶん上品にしたと云った印象で、私の京弁よりずっと濃厚だった。それからさらに70年余り、京言葉はさらに標準語化して語尾や特殊な単語程度に名残を留めるぐらいとなった。だがイントネーションはなかなか関東風にはならない。癒されるのは、おそらくはこのイントネーションの賜である。
第2回は「明治維新150年〜西郷どん ゆかりの京を行く〜」という題だった。岩下志麻主演の「古都」の冒頭の方に、瓦屋根が連なるいかにも京都という風景が出て、「古い町のように見えても、建物はたいていが100年そこそこのもの、幕末のどんどん焼けで京都は丸焼けになった。」というナレーションが入る。革命を起こす側にそんな心の余裕はないと云えばその通りだろうが、薩長は町衆や寺社が持ち堪えてきた歴史遺産を灰燼に帰した。薩摩の親分「西郷どん」は火をつけた張本人で、京都の恨みを買っている。もっとも西郷隆盛の流刑地でつくった息子(西郷菊次郎)が、京都市長に就任して復興発展に尽くしたから、一族を許してやらねばならないのかも知れない。ドラマ「西郷どん」では先週の第39回から西田敏行演じる菊次郎が市長として登場する。
第3回は「鞍馬寺・貴船神社?人気パワースポットの秘密?」であった。パワースポットと云う言葉は、我ら世代には馴染みがないが、元気が貰えそうなハイキングコースであることは保証できる。私は敗戦直後の中学生時代に、何度もこのコースを歩いた。特に貴船神社から奧宮、さらに山路に入るあたりまでが好きだった。お目当ては蝶の蒐集であった。春の一時期だけのスギタニルリシジミがお目当て中のお目当てであった。当時から貴重種で、今は絶滅危惧種になっている地方が多い。
この蝶は、私の頃には、貴船~社を中心に広い範囲に発生したように思う。それぞれに仲間にも教えない秘密の採取場所があった。私の場合は本殿前の手水舎で、山際からチョロチョロと降りてくるチョウを採取ネットで捕らえる。本殿前の白砂の中でネットを振り回すのだから、さすがに神主がいるときは遠慮した。奥宮は誰もいない静寂そのものの場所だった。集団疎開での経験(「京都から丹後へU」('15)、「トンネルの森1945」('18))があるので、神とか仏には関心があった。神さま(ご神体)を直に開けてみようと云うことになった。何も入っていなかった。きっちり元に戻したことは云うまでもない。
川床料理の店はそのころから社の近くに何軒かあった。勿論今日のように数多くはなく、看板もごく地味であった。
鞍馬を北へどんどん歩く。まだ舗装はしてなかったと思うが、それでも旧道は寂れていた。旧花脊峠が旧道の馬の背に当たる場所だ。私の1世代前あたりのチョウキチ(蝶気違い)は、この峠あたりでいろいろ珍貴種を採取した記録を残していたが、私のネットにはさっぱりだった。さらにどんどん歩き大悲山への道を通り過ぎ広河原に出る。ウスバシロチョウの里である。この蝶は欲しかったが、ついに縁がなかった。日帰りの往復で40kmは歩いたろう。私の生涯で歩いた1日最長距離である。でも再放送の大河ドラマ「軍師官兵衛」で、中国大返しは備中高松城から姫路城までの80kmを2.5万の軍勢が1昼夜で駆けたと言った。具足をつけてだから、確かに前代未聞の大事業だったに違いない。
第4回は「新緑の嵐山・保津峡〜トロッコ列車と保津川下り〜」だった。トロッコ列車は乗ったことがない。母の実家が園部のさらに奧の胡麻郷村だったから、しょっちゅう車窓風景として保津峡を眺めてはいる。それに今のトロッコ列車の走る旧線路を当時の山陰本線は走っていた。保津川下りは覚えがある。全国あちこちの川下り船にはエンジンとプロペラがあるのが普通だが、ここのは櫂と竿だけだった。確かに勇壮なのだ。嵐山側から保津峡に沿って歩くと細い木橋があった。1人ハイキングのときその橋で映画のロケーションをやっていた。お邪魔になったらと思って足早に通り過ぎたが、時代劇のようだったと記憶する。少年の頃は近所にプールなんて気の利いたものはなかったから、嵐山や疎水が水泳場だった。保津川は結構水流が早い。一度溺れかかって近くにいた兄にしがみついた記憶がまだ生々しい。
第5回は「神護寺〜国宝が見た空海・最澄の原点〜」であった。仁和寺西の福王子から周山街道を北上すると曲がりくねった山道になってすぐ高雄口だ。清滝川の川沿いには、神護寺のほかにも近隣に鳥獣戯画の高山寺、明智光秀の連歌発句「ときは今あめが下知る五月哉」で有名な愛宕神社ほか数々の名所旧跡がある。紹介しておかねばと思うのは、愛宕山だ。幼年の頃には嵐電の嵐山駅から清滝行きの電車が出ていた。1両編成で集電にはトロリーポールを使っていたと思う。終点の清滝駅の近くにトンネルがあった。清滝駅からは山頂にケーブルカーが出ていた。
太平洋戦争に入ってからこの線路は廃線になった。私は中学生になってから嵐山駅から歩いて旧清滝駅に行き、そこからこのケーブルカー路線の階段を上った。目的は愛宕山中腹の露出石英鉱脈である。石英の中に水晶が入っている。採集用のハンマーなど手に入らなかったので、我が家の金槌で代用した。苦労したのは路線の階段だった。等間隔の同じ傾斜で果てしなく続く。足が笑い出す。愛宕山など別に峻険な高山でないのに、足が笑うのには往生した。戦後ケーブルも電車も復旧されなかった。電車道は一般道路になった。風化した石仏が無数に並ぶ化野念仏寺を通り、愛宕神社一の鳥居を潜ると脇に平野屋がある。茅葺きのままで昔の風情を残している。嵐山から清滝へのコースはことに紅葉の時期にはお薦めできる。
第6回は「平安京ミステリー?御霊信仰と閻魔大王?」であった。閻魔さまは親や近所からの風伝で幼い頃から知っていたが、怨霊とか祟りには無縁だったし関心がなかった。戦後の「科学風」教育は、文化史からも極端にこのての知識を排除した。この番組に出てきた崇道神社や御霊神社、六道珍皇寺、千本ゑんま堂は前を通ったことはあっても本気でお参りしたことはない。NHKの「京都人の密かな愉しみ」という長尺ドラマに御霊信仰が出ていた。宗教心で向かい合うと難儀だが、継承文化の一つとして大らかに受け止めると、なかなか味わい深い。本HPの同名のドラマ感想文には出ていない。つかみどころが難しい対象なのだ。
NHK美の壺「京の仏さま "あの世"めぐり」は、阿弥陀如来−閻魔大王−地蔵菩薩の3題話で、信心と像のお姿の関係を分かり易く解説した。閻魔の処置(六道)に対するお救い仏の地蔵さんは、私の町にも20mと離れない位置のお堂に安置してあった。地蔵盆ではその前に幕を張って子供の接待が行われた。京都の地蔵数は5千ほどで、他所では見られぬ数だという。千本えんま堂は地獄の入口を具象的に見せているというから、一度拝観に出掛けたい。奈良の新薬師寺近くに萩で有名な白毫寺に出掛けたのは、大人になってからだった。ご本尊ではないが圧倒的に有名なのがそこの閻魔像だ。閻魔さまが気になり出したのはその頃からだろう。気をつけて見ると、閻魔さまは、仏教寺院には、割りとあちこちに鎮座していらっしゃる。

('18/10/25)