ダウンタウン・ヒーローズ

早坂暁原作、山田洋次監督、薬師丸ひろ子、中村橋之助主演:「ダウンタウン・ヒーローズ」、松竹、(1988)を見た。Amazonに400円払えばPCで3日間自由に見られる。本HPの「浮草と浮草物語」('04)でもちょっと紹介している。私にとっては忘れ難い映画である。昭和23年の戦後の米軍占領下の混乱期で、何でもありの時代が舞台だ。教育制度改革で来年には無くなる松山高校の寮生活が主題である。私は卒業後の勤務地が四国で松山には馴染んでいる。それに最後の旧制中学生だったから、旧制高校の雰囲気もわりと感覚的に判るのである。
脚本はキネマ旬報'88の8月上旬号に出ている。映画と対比してみると、多少の省略補強はあるが、ほぼ忠実に映画化されていることがわかる。原作のダウンタウン・ヒーローズはオムニバス形式の自伝的小説だ。短編が8つ入っている。その中の「理髪師チッタ−ライン」が、映画の中心で、その他からも少しづつエピソードを切り抜いて脚本に入れてある。私は早川暁脚本のNHK TVドラマ「花へんろ」を昔々見た記憶がある。その中の数々の逸話が、このダウンタウン・ヒーローズに記載されている事に気が付いた。
映画と小説で一番違っているところは、咲子(石田えり)の物語だ。映画では前半に多くの上映時間(全体の4割ほどか)を割いている。だから第2のヒロインである。道後の遊郭の娼婦・咲子は足抜きするが、町に駆け落ち相手が見つからず、不安そうにきょろきょろしているところから、彼女の物語が始まる。縄張りとするヤクザに捕まればリンチが目に見えている。咲子は松高生を詐称するペテン師にひっかかったのだ。映画館で切羽詰まっている咲子を、居合わせた松高生たちがうまく誤魔化して連れだし、学生寮に匿う。そのころの学生寮は、教授も警察も、ましてやヤクザも手の届かぬ治外法権地帯である。
愛媛と高知の県境の、山奥のまだ山奥にある古里へ、咲子を無事送り届けるまでの寮生たちの奮闘ぶりが、面白おかしく描かれている。まず女人禁制の男子寮に女がいるためのテンヤワンヤ。自治会幹部は自治を全うするにも、学校側に突っ込まれるようなルール違反は許せないという。咲子さん専用のたれ紙のある便所。くみ取りの春さん(渥美清)は知らないから窓を見て目を?く。
安心したからか、安らかに咲子が押し入れで寝ている。寝相が悪くおまけに夏。何もはいてないとすぐ解る。有志持ちより洋服を買ってプレゼント。女郎模様の着物ではあまりにも目に付く。短めの上着から肌がときおり顔を出す。背中のホックを嵌めてくれと、咲子に頼まれたガンさんは承知するが、いざとなると手の震えが止まらずおまけに鼻血を出す。咲子は色街の玄人にしてはねじけたところが少ない。寮生の好意をまともに感謝している。少ない食糧を寮生が自前を割いて咲子に与えているお礼にと、身体を差し出す。
咲子の所在がヤクザにばれる。首を吊ろうとする咲子。すんでの所で助けた浩介に、「死なせてくれ」と咲子が叫ぶ。ヒーローズの遁走の具体策がなって寮を離れるとき、咲子は居住まいを正して両手を突き、「ここで暮らした一週間が一生で一番幸せなときやった」という。管理売春で人生を諦め掛かっていた女郎が、リバティの味をこう表現したのだ。これ以上汚い場所はないような寮で、押し入れで寝る、食もままならぬ生活でもリバティは何にも換えられぬ値打ちがあった。この映画一番の見所は主役・薬師丸ひろ子の劇中劇「理髪師チッターライン」のアガーテの筈だが、私はむしろ石田えりの咲子のこのシーンを推奨する。石田えりは期待以上の演技をする女優だ。映画「華の乱」、NHKドラマ「国語元年」での演技も記憶に残っている。
小説には当時の高校生や女郎の性的生態が生々しく描かれている。高校生の年になるともう殆どが童貞でなかった。松高は遊郭に歩いて15分ぐらいの場所である。遊郭から見れば、松山連隊なきあと、松高生は松山唯一の年頃の青年男子の大集団だ。平均以上の家庭から来た将来性ある青年たちだ。放って置くはずがない。学校には遊郭から通ったという豪傑もいた。これは一つは戦争が招いた悪習だ。赤紙がきたらまず生きては帰れない。応召前にせめて女を知っておこうという悪習だ。私が新制大学に入り先輩に聞いた話でも、昔から遊郭と学生の縁は深かった。
小説の主人公は早坂とはっきり著者名(ペンネーム)で出てくる。その道後遊郭の馴染みの相方つまりリーベ(愛人)にイチ子がいる。彼女は廓で商売しながら彼に尽くす。早坂がヤクザの幹部とトラブったとき、和解条件に特殊な刺青「玉取り」を中味承知の上で承託する。玉取りは、2匹の大蛇が女の玉を取ろうとする図柄である。玉の一つは乳首、もう一つは胯間のあそこで、鎌首をねじ込んでいる構図という。
急所を彫り針が刺すごとにイチ子は悶絶躄地。えぐい描写である。楼主はイチ子が高く売れるとほくそ笑んでいる。イチ子は駆け落ち後の生活費稼ぎにストリップショーで裸体を披露して、男共の絶賛を博する。イチ子は見せるだけだから楽だという。顔を隠しての出演でも刺青が噂を広める。居所がたちまちばれて、ヤクザが連れ戻しに来る。そんな刺青は明治以降全国でも10人ほどだという。
イチ子は出世の妨げになると早坂からサッと身を退く。咲子も逃避行をともにした早坂と長崎の丸山で別れる(映画と小説は筋が違う)。有名な遊郭だ。進んで我が身を沈め直すのである。泥水稼業の玄人が誠を尽くし、しかも潔い話は、時代劇でもときおり見かける。人々が蔑視する環境に身を置く劣等感が引き起こす行動パターンとして、読者に受けるのであろう。現実にはとても信じられぬ話だ。
正岡家の和室で少年が家庭教師:志麻浩介(中村橋之助:映画出演は初めてだったという)に勉強を見て貰っている。少年を母親(樫山文枝)が励まして云う、「うちは親戚も入れてみんな松中、松高、京大や・・・」。その頃のエリートコースである。「憧れの松高生」と家事手伝いで働いているマドンナ・中原房子(薬師丸ひろ子)に紹介する。マドンナは満州帰りで、弟と2人で、それでも県女だけは卒業したいと頑張る健気な女学生だ。このカットだけでも当時の世相がよく分かる。
旧制高校における寮内ストームのバカ騒ぎ、兄弟校山口高との定期戦のバンカラ応援合戦と最後のファイアーストーム。寮歌に「東雲」が出てくる。いまも松山城山裾に東雲のつく私立の学校群がある。映画後半の松高文化祭は松山市の名物年中行事であった。松高は市民の精神文化の一つの中心であった。今は愛媛大学だが、あの当時の求心力が残っているのだろうか。本には駅弁大学という悪口が出ている。新制高校生の俊才たちは東京を向いている。
文化祭最大の呼び物が演劇コンクールで、ヒーローズはヘッベル原作の「「理髪師チッタ−ライン」を選ぶ。その愛娘アガーテ役の出演を県女にお願いする。数名で交渉に出掛けたのはよいが、初めての女学校の廊下で立ち往生。運動着の女生徒に好奇の目を注がれ、奇声を発せられ、すっかりこわばって突っ立っている。映画では松高生は初心なことになっている。敗戦直後の松山が舞台だが、封切りはその40年後だ。売春防止法施行から30年以上経って、赤線地帯は消えていたろう。それもあって、遊郭ずれの松高生では映画にならないと山田監督は考えたのだろう。
大人びた対応をする演劇部の房子に白羽の矢を立てる。脇役陣が優秀だ。浩介の母親の倍賞千恵子、かわしま組の親分・笹野高史、際だって良いのがドイツ文学の教師・米倉斉加年。警察署長・加藤武に学校近くの喫茶店のおばさん・淡路恵子。ヒーローズの中で、記憶に残る演技を見せたのは、アルル役の尾見としのり、兵藤実役の北山雅康。前者は鬼平犯科帳シリーズですっかり馴染みになった。後者は「男はつらいよ」のとらやの店員で出てきた。二人とも特徴あるキャラクターで存在感がある。
成功裏に文化祭が終わって、「理髪師チッターライン」演出のオンケル(稲葉敏郎)は房子への恋心に一切が手に突かず、思いあまって半紙何百枚の恋文を書き、恋敵とも知らずに浩介に房子へ手渡すように依頼する。オンケルは失恋して学校を中退、浩介も恋心を隠して仲介役をやる姿勢に大嫌いと切り捨てられる。浩介が九大法科に合格して松山を訪れたとき、浩介と房子は互いに愛情を打ち明け合う。
旧制高校は日本のエリート育成ヒエラルキー型ネットワークに確たる地位を占めていた。今ではそのネットワークはなくなり、京大すら危なくなった一極集中だ(「8月の概要(2018)」)。私は地方の疲弊の大きな理由に、人材の流出があると思う。頂点にそう多くの大学は必要としないのに、旧制高校を新制大学にして育成ネットワークを毀してしまい、早い段階から若い人たちの地方文化を担う意識を外してしまった。
映画最後のあたりで、すまけい演じる国文学教師が「君たちが高校生活で学んだ何よりも大切なことは、自治と自由、フリーダムではなく、自ら闘って獲得する自由を表す、リバティ、リバティの思想であった」とお別れの講義で話す。地方のリバティの思想もネットワークの喪失とともに上から与えられた観念に置き換わった。
浩介は原作者がモデルである。映画最後のシーンは、年老いた浩介が子犬を連れてアメリカン・フットボールの練習場の側を散歩する。早川暁は日大出身だ。監督はそれを思ってアメリカン・フットボールの練習風景を填め込んだのだろう。まさか悪質タックル問題で、日大アメフト部が存在の危機に直面するだろうとは、故原作者も山田監督も思ってもいなかったろう。

('18/08/26)