新しい人体の教科書(下)T

 山科正平:「新しい人体の教科書(下)」、講談社BLUE BACKS、'17を読む。500pに近い、新書版では珍しく分厚い本である。上巻に対する私なりの要約はすでに上梓した。人体にはすべてに興味があるが、最終章の感覚器系から読み始めることにした。先に「音律と音階の科学」で聴覚を話題にしたからである。先月の「「船酔い」考」では加速度感覚を話題にした。
「哺乳類誕生T」('15)には、「(進化の途上)複眼の節足動物はレンズ眼の脊椎動物に、その補食力の差によって王者の道を譲る。」と書いている。昆虫の繁栄ぶりを眺めると、複眼の世界も立派に見えるが、巨大化には複眼では生存競争に勝てなかった。レンズ眼の代表としてヒトの目が解説してある。解剖学的にこんな詳しい解説を見るのは初めてだ。
眼球は脳壁の一部が外に向けて飛び出てきた、いわば脳の出店のようなものとある。なるほど眼球外膜の強膜は視神経を包む硬膜、さらには中枢神経をすっぽりと包む硬膜へと延びている。対光反射の中枢は中脳にある。対光反射とは、「科捜研の女」の榊マリコ(沢口靖子)が懐中電灯で目の反応(瞳孔の開閉)を調べるあれだ。その消失は、中枢神経系の機能喪失を意味する。だから死の直接判定指標になる。
カメラのイメージセンサーの画素数は、黒を入れての四色、そのどれをとっても倍半分ぐらいの差はあるかも知れないが、ほとんど同じ数だろう。でもヒトの網膜は、明暗を知る杆状体(昔は桿体と書いた、発音は同じ、しかし私の古いATOK辞書では杆は音だけからはでてこない、同義異字)細胞が1.2億個にたいし、色に反応する錐状体細胞が5%の650万個だという。脳は水墨基調の日本画のように、外の景色を捉えていると云うことらしい。
耳は平衡聴覚器である。内耳に平衡感覚の三半規管(規管とは円管の古い用語という)+前庭と聴覚の蝸牛がなぜ同居するのか、必然性があるのかは昔からの疑問だった。この本も直接は答えてない。細胞レベルでセンサーとしての機構を見ると、両感覚器官は酷似しているから、発生学的必然なのだろうと思ってはいる。有毛細胞がリンパ液の流れや振動を感知して神経に伝える。
私は耳垢が外耳にたまってゴロゴロ言い出したとき以外に、耳鼻科の先生にお世話になったことがない。平衡感覚は「悠久のオリエンタルクルーズ」('18)に書いた通りで、相変わらず船酔いに鈍感なままだ。ある年齢から、静寂な場所でもジーンという声をいつも聞くようになった。本書にはそれが内リンパ液圧が高くなったためと推測できる記事がある。
蝸牛は3段構造で、中2階の蝸牛管の音波の受信装置であるラセン管に接しているのが内リンパ液だ。鼓膜の振動は前庭窓から2Fの前庭階の外リンパにとどき、順次高い周波数に対応するように細くなる蝸牛内を通って、蝸牛頂で折り返し、1Fの鼓室階を通り、蝸牛窓から出て行く。音が籠もらないように出来ているらしい。
大げんかで鼓膜を破られたと云う話を聞いたことがあった。鼓膜は少々の傷だと修理可能という。でもそれができないほどの破損だったり、或いは外耳中耳に欠陥があったり外傷で修復できなかったりしたら、内耳が無事に機能しておればだが、今は骨導を利用した補聴器が使える。頭骸骨から音波が伝わるのが骨導だ。骨導試験は耳殻後方の側頭骨に振動板を当てる。
嗅覚についてはあまりページを割り振ってない。このHPには「においの科学」('10)、「つながる脳科学T」('17)そのほかに、嗅覚のその時点での最先端の知識を載せている。本書には第1ニューロンの嗅細胞が神経細胞としては例外的に再生可能で、4-8週間のペースで再生されるとある。スカンクの屁で鼻が歪んでも、しばらくすると嗅覚が復活する理由だ。
味覚にもあまりページが割かれていない。このHPに「料理のコツを科学する」('02)、「ビールの科学」('09)などを書いている。味蕾は年齢とともに減る一方で、高齢になるとその減り方が著しいらしい。味自慢の老舗の主人が年とともに衰える味覚に悩むドラマはいくつか見た。私は、下戸でも味は分かると、利き酒に結構自信があったのに、近頃はダメを自覚するようになったのは年齢のせいらしい。
皮膚感覚(温冷感、触感、圧感、痛感、振動感)は、皮膚機能の一部として簡単に述べてある。このHPには「なぜ皮膚はかゆくなるのか」('15)、「痛覚のふしぎ」('17)などで関連の知識の紹介をしている。コラムに「蒙古斑のこと」という記事があって、メラニン産生細胞(メラノサイト)の数は人種によって変わるわけではなく、その活性やメラニン色素を角質細胞に分配する能力が人種によって違うために、結果として肌の色が違ってくると書いてある。アフリカ人はネアンデルタール人のDNAを持っていない、でもホモサピエンスなのと同様、出現メラミン色素の量の差で、ヒトでないなどと思ってはいけない。
深部感覚とは骨格筋の伸張度を伝える感覚である。それ以上やったら筋肉が壊れるぞと云ってくれる感覚だろうか。平滑筋の過度のれん縮に対する痛みや伸展に対する感覚もある。おなかが痛いとか腹が張るといった感覚も含めて、あまりよく解っていないという。
中枢神経と感覚器官を含めての各器官を末梢神経が取り結んでいる。第12章は「神経系V(末梢神経系)」という題名になっている。視神経には半交叉がある。耳側の像を伝える神経だけが左右で交叉する。鼻側の像の神経は交叉しない。脳内で立体像をイメージするのに役立つという。交叉部に腫瘍が出来たりするとその圧迫で中央以外が見えなくなる。動眼神経には副交感神経も入っている。対光反射で瞳孔の開きを無意識に制御する。
三叉神経は脳神経中の最大という。上顎神経や下顎神経で食に関する情報を送り、咀嚼筋に対する運動神経が下顎神経にフィードバックされてくる。三叉とはもう1枝として視神経が三叉神経節に送り込まれているからの命名だ。この視神経は「日本料理は目でも楽しむもの」の脳外科的説明かと思ったが、額の皮膚部からという注釈が付いていて、当てが外れた。三叉神経は、迷走神経(主に喉頭の運動を司る)とともに、私の脳ではすぐ意味が「迷走」してしまう神経である。
ヒトの体には大昔の分節構造がきちんと保持されている。ミミズやムカデ、昆虫などと基本構造は同じなのだ。神経が脊髄から出て末端の器官につながる様子も、しっかりその姿を留めている。胸部はその典型だ。皮膚の神経の分節構造は、四つ足時代のままだ。上肢、下肢の神経は一見交錯して見える。だがその元のお魚のヒレにつながる神経系はきちんとした分節構造の中にあった。ただ筋肉と神経、血管の関係はいたって保守的で、陸上動物となって発達させた四肢の筋肉に同伴しただけである。
ヒレだと動かす筋肉は単純だが、手足となると数多くに分化し、位置関係も複雑になる。神経叢は対応する神経線維の複雑な分枝や吻合をなす部分である。横隔膜につながる神経は、この進化に伴う位置の移動を克明に記録している。肺は浮き袋のモデルチェンジだが、浮き袋の時の頸骨あたりの出口が、そのまま現在の哺乳類に受け継がれて、横隔膜までの長い神経になっている。
私は野生動物の生態動画が好きである。動物界の頂点に君臨するライオンの大家族が、仕留めた動物を腹一杯食って残した死骸を、ハイエナ・クラスの2番手が食いに来る。2番手は家族が小さい母子家庭ライオンであったり、家族から放り出された老ライオンであったりする。2番手は骨をしゃぶる。我らの煮魚焼き魚の経験では、骨には何も残っていそうにないが、動物の生食だとかなりの食いでがあるようだ。本書には、神経系だがその骨髄付近の詳細な解剖模式図が入っている。3-4日もすれば骨だけになる意味が伺えるから面白い。尾骨からも神経が出ているとは知らなかった。
盲目のヒトが奇跡的に視力を回復した。その人はしかし視野に写るものに生物学的意味づけがなかなかできなかった。そんな記事をどこかで読んだ記憶がある。赤子は生後徐々に外界刺激と自分との関連付けを学習するが、同じ学習が奇跡の人にも必要だった。神経興奮には、バイアスがあって加重平均信号がこの閾値を超えるとき、初めてそのニューロンとしてのパルス信号を発信する。発信するか否かが学習で、閾値が重要だ。神経伝達機構にその秘密があるはずだ。
人工知能(AI)がヒトの脳と互角以上に機能する場合が出てきた。このHPには「脳・心・人工知能」('16)、「人工知能(AI)いろいろ」('17)、「つながる脳科学」('17)などに、よくは解らぬままに、AIのスケッチをやっている。AIの「学習」原理を見ると、素人目にも、今までは神秘な領域と諦めていたヒトの脳の思考活動機構の基本が、だいたいそのアナロジーとして解りそうだと思えてくる。専門家はアナロジー説に強いて云えばそうかもといった態度である。体性神経、自律神経もその延長線上に眺めていいのだろう。
本章では自律神経の神経伝達について記載されている。節後ニューロン線維が効果器官に作る、信号受け渡しの場所シナプスでは、神経伝達物質に2種類があり、交感神経ではアドレナリン、副交感神経ではアセチルコリンだ。アドレナリン受容体は5種あり、自律神経の興奮に対応する効果器官の興奮は、種類によって異なるようになっているとある。例えば酒に強くなるといった閾値醸成に、受容体の配置分けのような姿でかかわり合っているように思える(私の想像)。

('18/06/03)