天城越え


TV正月番組の天城越えを見た。田中美佐子主演2時間のドラマスペシアル、新作である。演出大岡進、あまり聞かない人であった。昔、野村芳太郎監督田中祐子主演の同名の劇映画を見た。印象に残る名作であった。だからついつい比較してしまう。
原作は松本清張の「黒い画集」に収められている同名の短編小説である。著名作家の著作だから入手容易と思ったが、案に相違して困難だった。図書館、書店など何軒か見て歩いたが、どこも清張作品の一部しか置いてない。彼は多作に過ぎて全部を置けないらしい。文庫本でも色んな出版社が少しづつ出している。結局あまり売れていそうもない小さい店舗に残っていたのを見つけ買った。あそこへ行けば岩波だけは揃っているとか、清張は全部あるとか、書店は店の哲学で特徴を出すのが誇りであったが、私の見たよく売れている店というのは、どこも似たり寄ったりの品揃えであった。本屋のスーパー化であろう。
映画にもTVドラマにもかなりの脚色がある。原作には主人公「大塚はな」の後日に一切触れてないが、映画では裁判後病死し、TVドラマでは30数年を生き抜いて能登の朝市で真犯人の元少年と会話を交わす。前者では真犯人は記録を読んで自殺を試みる。土工殺害が前者では原作通り夜であるのに対し、後者ではまだ日が高い内に行われる。後者では登場をカットされた事件証人がいる。映画では取り調べに便所に行かせないと云う拷問を使うが、原作にはない。
大人になりかかった少年の殺意がこの小説のテーマであるが、どちらの作品でもよく表現されている。少年は、道連れのきれいで華やかな女が、流れ者の土工と重なり合って漏らすうめき声を聞いて、母親の不倫の現場を覗いたときの憤りと困惑を思い出す。その女に寂しい道を守ってやると約束した言葉が頭を過ぎる。女が酌婦という売春婦であることは30数年後になって初めて知る。映画では少年の目で見たはなに近く、TVではより酌婦らしく演出されている。昨秋バス旅行で付近を通った。地形が判っているから物語の展開が感覚的に飲み込める。
この刑事事件では証拠不十分ではなは釈放される。刑事の事件記録では、少年も同じ9文半の足なのに、女の足跡と思い込んで見逃した反省を記す。理性では理解できぬ不可思議な少年犯罪が現在多発している。人は誰でも獣性を持っているが、幼少の頃は恣意のままに行動するには力が伴わず、長じてはそれを理性が統御してくれる。そのバランスを崩した姿が少年犯罪である。大正15年という道徳心豊かであった時代を背景にした事件で今日を予言した清張はやっぱり大きな作家だった。

('98/01/17)