スリランカの物語
- 千葉市図書館から、@杉本良男他:「スリランカを知るための58章」、明石書店、'13、A萩野純一(文)、朝倉利恵(写真):「スリランカ〜心安らぐ「インド洋の真珠」〜」、旅名人編集室編、日経BP企画、'10、B「インド・ネパール・スリランカの本」、近畿日本ツーリスト、'97を借り出した。
- @は19人の専門家による得意分野の実地体験記録や小論文集で、馴染みの少ない固有名詞が無遠慮に挿入されている。AとBは旅行案内である。どの本にも検索がついていない。私は、この国については、セイロン紅茶と内戦およびスマトラ沖大地震による津波被害の報道、それからTVにときおり紹介されるクルーズ船の寄港風景ぐらいしか知らない。
- スリランカ先住民ベッダはBに簡単に触れてあるだけだった。シンハラ人が渡来する紀元前5世紀前からスリランカに居住していた。オーストラリアのアポリジニ、アフリカのピグミー、ブッシュマン、またベンガル湾のアンダマニーズと類縁関係にあるらしい。今は殆どシンハラ人とタミール人の中に埋もれて消えているが、ごく少数のものが昔ながらの狩猟採取生活を、北部森林で送っているという。Wikipediaの「ヴェッダ人」には1890年の写真が出ている。背の低い彫りの深い顔の色黒の民族である。言葉は死語化した。ヴェッダとしてアイデンテティをもう失っているらしい。半世紀前頃まではヴェッダを名乗る人が400人ほどいたという。
- シンハラ語族は人口の7割を占め、主に仏教徒である。タミル語族は2割を占め、ヒンズー教徒が多い。今はシンハラ語とタミル語はリンク言語としての英語とともに公用語で、紀元前に遡る古い言葉だ。インド・アーリア人が、故郷の大陸北西部から民族大移動で、2000年をかけて、インド南部のドラヴィダ諸語の地域を進んだおりに、この地域の言語の影響を受けた。それがシンハラ語で、タミル語はドラヴィダ諸語の一つである。だからここもインドと同じくアーリア系と非アーリア系が共存していることになる。スリランカに到着した民は仏教徒になっていた。
- スリランカは南インドのタミル語系王国に3度直接支配を受けている。最初は紀元前2世紀(仏教に帰依したアショカ王は紀元前3世紀だから、前2世紀の南インドはヒンズー〜バラモン教であったのだろう。)という。11世紀と13世紀にも支配された。当時の仏教破壊に対する怒りが、民族紛争の奥底にあるという。タミル語の主な由来は2つある。古代からのそれと、英国植民地時代にプランテーション労働者として連れてこられた南インド人の話すタミル語の2つである。
- 7世紀以降にアラブ商人が南インド沿岸からスリランカ沿岸に移住した。彼らイスラム教徒(ムスリム)は南インド経由のタミル語を話す。インド洋に浮かぶモルディヴ諸島はシンハラ王権の仏教文化の影響下にあったが、アラブ商人の活躍で、12世紀にはイスラム化した。最後に登場するのが植民地勢力で、ポルトガル、オランダ、英国の順に覇者となった。土地に居ついたのがポルトガル語、英語、マレー語という。混血児子孫(バーガー)が母語としてきたスリランカ・クレオール・ポルトガル語があるが、今は英語以外は姿を消しつつあるという。歴史的背景が違った各タミル語方言の話など面白い。
- 私が来年に予定している訪問地はコロンボだが、そこはヨーロッパ諸国のスリランカ征服支配の拠点であったし、アラブ商人の貿易拠点でもあった。仏教遺跡よりもキリスト教会やモスクの方が目立つ観光地になっていると云う。ポルトガルがコロンボに要塞を建設したのが16世紀の初頭という。土地の王国との交戦はたびたびあり、この要塞が包囲された時期もあった。しかし王国が準備できた鉄砲や大砲程度では、この要塞を抜くことが出来ず、敗退と譲歩を重ねることになる。
- 最後まで残ったのがキャンディ王国であった。中央高地部に位置し、移動困難な山間でのゲリラ戦を挑まれては、人数に劣る侵略軍は手を焼いたのであろう。キャンディ王国はともかくもの独立を300年維持したが、イギリスに1815年に併合される。16世紀にはカトリック改宗を廻って仏教弾圧が行われた。仏教寺院が宣教師に与えられたり、暴動側に立ったとして多くの僧侶が処刑されたりしている。
- 古都キャンディには、キャンディ王朝最後の王が造らせた人造湖の脇に立つ仏歯寺が威容を誇る。仏歯とは仏陀の犬歯だそうだ。仏歯がスリランカにもたらされたのは4世紀初めという。仏教発祥地のインドに仏教が行われなくなった。いまはここが仏教の聖地として賑わっているそうだ。Aにはバチカンやメッカのようにと形容されているが、私も仏教徒であるのに、そんな話を聞いたことはない。大乗仏教では聖地という意識は一般的ではないのだろう。国王や王妃の住居跡もある。仏教も含めてのスリランカ伝統文化を感じたいなら、古都を訪問すべきだろう。
- @のコラムにスリランカの王宮と寺院のもたれ合いについて述べてある。ミヤンマーでもそうだった(「ビルマの歴史」('17))し、我が国の奈良時代もそうだった。キリスト教でもイスラム教でも、世俗権力と宗教が互いを擁護し合う姿勢はよく見られる。キャンディの王宮は仏歯寺と隣り合わせに配置され、都市計画の時からすでに不可分の関係を宣言している。植民地化までの王朝の思想を遺跡の形でもっとも明確に示す町がキャンディだ。仏教遺跡としてだけなら、コロンボの近辺に3大聖地の1つキャラニアがあり、訪れやすい観光地になっているA。
- イギリスに完全征服されてからの独立運動は、シンハラ(仏教)ナショナリズムの波となって1948年に結実する。シンハラ人には、「アーリア人」という人種的優越意識があるらしい。初代首相の白黒写真の容貌は、ヨーロッパ人のそれで、土着民のそれではない。スリランカは、仏教を奉じてスリランカに渡った最大民族シンハラのものという主張のようだ。この主張が表面化するのは19世紀後半からで、仏教復興運動から始まっている。
- 王朝時代の宣教師は「カトリック教に教化しやすい民」という言葉を遺した。日本に来た宣教師にも同様の言葉を本国に送ったものがいたはずだ。植民地化とともにキリスト教ミッションが活発に活動した。植民地政権の優遇策もあって、改宗者は続出する。ミッションスクールによる幼少児期からのキリスト教教育は、仏教徒に危機感を与えた。大規模紛争としての最初は、コロンボで発生した。シンハラ・ナショナリズムは「外国的なもの」を、植民地政府との直接対決を避けながら、禁酒(仏教徒にはアヘンのように写っていた)、ムーア人(ムスリム)(タミル語、イスラム教)、インド人労働者(タミル語、ヒンズー教)などの順にジワジワと排除に掛かる。
- ナショナリストの組織拡大とともに、イギリスは譲歩を重ね権限委譲を行う。1931年には男女の普通選挙制度が導入される。これはシンハラ人仏教徒の支配的地位を明確にした。インド・タミル人の国籍剥奪、公用語(植民地時代は英語だけ)にタミル語を入れない(現在は公用語に入っている)、政府職や専門職での差別を排除する(独立2年前では政府職の33%、司法職の40%がタミル人であった)など、シンハラ主義政策が実行される。タミル人はLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)を中心に武闘に入る。激しい自爆攻撃が行われた。
- 内戦は1983-2009年の26年間戦われ、政府軍の勝利宣言で終わる。死者10万人以上、国内避難民30万人以上、国外避難民10万人以上を出した。今はどうか知らないが、'10年出版のAには、コロンボのフォート地区にある大統領官邸近辺には立ち入れない、写真撮影も出来ないとあった。政情不安定を反映してであろう。しかし2大政党が少なくとも見かけ上はうまく機能し、内戦はあったがもっとも民主主義がしっかり根付いている国と評価されている。netで調べると、今ではスリランカは旅行者にとって安全な国になっていると云う。
- カースト制については曖昧にしか述べられていない。独立の歴史に貢献したのが、シンハラの上位カーストであるゴイガマで、人口の半分を占めるという大カーストだそうだ。職業上のカーストは祭礼などで顔を出す。植民地化前には複数の王国が存在したため、系統が違うとカーストが通用しないこともあるらしく、次第に実効性を失っているようだ。顕在化するのは、結婚の時のようだ。お見合い結婚が殆どという。
- 1人あたりの名目GDPは日本の1/10ほどで、インドの倍以上だ。独立時代と比べると12-3倍に成長した。この国の産業で、我らにもっとも親近感があるのは、セイロン紅茶のプランテーションである。紅茶園は中央高原地帯にある。LIPTONなどの著名ブランド会社直営の農園が今も健在だという。スリランカの主要輸出品であることも変わらない。もう1つの植民地時代からのココヤシも栽培が続行されている。中世には貿易品の花形であった香辛料シナモン(桂皮)は、今も輸出農産品の中では天然ゴムに次ぐ3位で、シナモンでは世界の大手である。スリランカはブルーサファイアの産地でもある。
- イギリスの紅茶プランテーションは強引なものであった。キャンディ王朝滅亡とともに、耕作可能丘陵地が国有化され、プランテーション業者に払い下げられた。シンハラ農民は入会地(共同管理地)を取り上げられた形になった。低賃金の南インド低カースト民が労働力として導入され、後世でのインド・タミル人排斥の原因となった。ミャンマーのロヒンギャ問題に酷似した問題である。
- 50年からの紛争の結果だが、幸いインド・タミル人には、スリランカ国籍が与えられる方向でインドとの決着を見た。最近パレスチナ自治政府が、彼らのイスラエル国内の不幸に対し、その責任をイギリスに問う行動に出た。現在は、旧植民地に遺した負の遺産をイギリスは知らん顔だが、いつまでも続けられる姿勢ではないだろう。
- 日本はスリランカの発展に継続的に寄与し続けてきた。Aには「開発援助と(大津波)災害復興」編があって、NPO、NGOの活躍も描かれている。それもあってか、スリランカ国民の対日感情はいたって良いという。いくら援助しても対日悪感情助勢の教育を続ける国がある中で、心安まる話である。
('17/11/12)