サピエンス全史(上)U

イギリスに対する米国の独立宣言には、「我々は以下の事実を自明のものと見なす。すなわち、万人は平等に作られており、奪うことの出来ない特定の権利を造物主によって与えられており、その権利には、生命、自由、幸福の追求が含まれている。」とある。これは生物学から見れば誤解も甚だしい妄想である。
生物学的には「・・万人は異なった形で進化しており、特定の特徴を持って生まれ、その特徴には、生命と、快感の追求が含まれる。」とすべきだ。独立宣言は、造物主という想像上の秩序を信じることによって、よりよい社会を作り出せると宣言したに過ぎない。独立宣言は信じられるようになって200年の歴史がある。
古代バビロニア人の協力マニュアルとして、バビロニア帝国が滅んだあとも社会秩序の聖典として、おそらく何千年もの長きに亘っての正義とか公正の規範であり続けた、ハンムラビ法典は、独立宣言とは正反対に、ヒト社会のヒエラルキー構造を、神々の定める道と宣言している。平等も格差も自由も人権も奴隷境遇も、多数の人間が効率的に協力するための想像上の秩序で、邪悪な陰謀や無用の幻想ではない。
人類は、遅々たる生物学上の進化を後目に、想像力のおかげで、地球上ではかって見られなかった類の、大規模な協力の驚くべきネットワークを構築していった。紀元前8500年では部族員の最大は数百人程度だった。紀元前7千年前では最大5千-1万人の町が出現した。紀元前5千年紀と4千年紀には何万もの住民を要する都市が数多くでき、近隣の村落を支配する。最初のエジプト王国は紀元前3100年に何千平方kmの土地と何十万人もの住民を支配した。それ以降どんどん規模は拡大し、秦帝国は4千万人の臣民を支配し、ローマ帝国は最大1億人もの納税民を擁することになる。
自然の法則ではないから想像上の秩序は常に崩壊の危険性を孕んでいる。想像上の秩序は共同主観的である。秩序の奉信者が人口の相当部分(それも特にエリート層や治安部隊)を占めなければならない。秩序の保護のために彼らは懸命な努力を払うだろう。軍隊、警察、裁判所、監獄と言った道具立てによる暴力と強制も当然の用意である。人権、自由、平等など与えられる当然の権利ではない。ときには血を流す覚悟で団結して勝ち取るものである。戦中を経験した我ら年層にはよく分かる言葉だが、戦後派はどうなのだろう。
社会生活を営む昆虫がいる。彼らは本能の命じるままに行動すればよい。だがヒトの社会秩序は想像上のもので、それを維持するには意識的な努力が必要だ。帝国ともなれば情報量は膨大で、記録の維持活用に生の脳味噌だけでは保存装置として不完全だ。まず数量記録保存のニーズが来た。古代シュメール人の行政粘土板には、数と署名或いは物品名の2種の記号体系を遺している。インカ帝国のキープ(結縄)も同類だ。
シュメールの記号に多くの記号が加わって話し言葉が表現できるようになった。楔形文字の出現だ。エジプトの象形文字、中国の漢字と各地で完全な書記体系が発明される。ヒトの生物学的な自由連想とか網羅的思考は、書記体系の構造から生まれる分類への応用とそれを最も有効に扱う官僚制に置き換わる。官僚制のデータ処理方法として革新的で、人間の自然な思考法を遙かに上回るようになったのが、数理的書記体系である。話言葉ではない不完全書記体系ではあるが、いまや0と1だけでヒトの知能を上回るようになった。
書記体系は、人類が生物学的本能としては欠いている大規模な協力ネットワークを維持構築し、想像上の秩序を生み出した。それはしかし中立的でも公正でもなかった。米国の独立宣言と言えども、謳う平等は、富める者にも貧しい者にも同じ法律が適用されることに過ぎなかった。自由とは、国家が国民の私有財産を没収したり、その使途を命じたり出来ないことを意味するだけであった。独立宣言の署名者の多くは奴隷使用者であった。人権は黒人とは無縁であった。
今日に伝えられた想像上の秩序は、確固たるヒエラルキー構造に基づいている。自由人と奴隷、白人と黒人、富める者と貧しい者、男女の関係。私はいまスリランカ事情に興味を持っているが、あのインド洋に浮かぶ小さな国であっても、隣の大国インドの影響であろう、カースト制が陰に日向に顔を出すらしい。一番判りいいのは首相の容貌と町行く人々の容貌の比較である。首相はインド・アーリア系の顔だが、庶民には土着民系とおぼしき顔立ちが多い。まさに小インドである。
カースト制は3000年前にインドに侵入したインド・アーリア系民族がインドを征服した後、多数派の土着民を支配し続けるために、宗教と絡み合わせて作り上げた壮大な人種ヒエラルキーである。生まれつきが職業、食べて良いもの、住む場所、相応しい結婚相手(同じカースト)を決める。少しでも背けば本人も社会全体も穢れることになると云う。独立後の努力にもかかわらず職業と結婚のカースト感は健在だという。
大分けして4種と不可賤民。4種の階層はさらに3000ほどに小分けされるそうだ。今はヒンドゥー教の教義になり、インドの人心を根強く支配する。日本にも敗戦までは貴賤のヒエラルキーが色濃く存在していた。賤民については、藤村の「破戒」に実情が生々しく伝えられているし、彼らは死後も墓名の中に身分を遺さねばならなかったことを歴博で知った。我らは日本内のカースト感を戦後木っ端微塵にした。文化的背景が薄かったのが幸いした。
矛盾だらけの社会構造をなんとか持ち堪えさせてきた過去のしがらみを体現した想像上の秩序と言うほかに、合理的な説明の付かないヒエラルキーが多い中で、男女関係のヒエラルキーには、最低限ではあるが、生物学的な説明が出来そうな部分がある。ゾウやボルボが家母長制であるのは、肉体的ハンデをメスが団結力でカバーしているからだ。ヒトの社会でも女性に団結されると男は弱い。でもよほどでないと女は団結しない。日本の女性は、日本の家父長制が「女を守る、家を守る」という意味では、女権伸張を声高に主張しなければならぬ国と比べて、概してうまく機能していると感じているのだろう。さきの我が国の衆院選挙でも、ちょっと増えたとはいえ、女性議員は1割ちょっとだった。女性議員数でヒエラルキーの質を議論するなど無意味である。
文化はその地域の社会秩序の維持に巧妙に働きかけるネットワークである。文化はいつも内部の矛盾に苛なまされ、新しい折り合いを付けるべく変化して行く。歴史は文化統合の道のりを示す。その方向性は何十年、何百年の単位では見定めるのに不充分だ。数千年の単位が必要だ。紀元前1万年頃は地球には何千もの社会があった。それが大航海時代前になるとあらまかに云って5つの世界に纏まっている。アフロ・ユーラシア大陸には人類の9割が住みつき、ネットワークを通じて、細くとも何らかの絆で、互いが結ばれていた。
NHKスーパープレミアム「秘境中国 謎の民 天頂に生きる〜長江文明を築いた悲劇の民族〜」では5千年前には黄河文明と並び立っていた長江文明の末裔イ族が山中に細々と生き延びている姿を放送した。シャーマンの経文は独自の文字で書かれており、死者をおくる言葉からは出身地が辿れる。文明の折り合いとは、文明の衝突に他ならないこんな形が殆どであったのだろう。
紀元前1000年紀には世に普遍的秩序という概念が根付いた。グローバリゼーションの道具として、真っ先に登場する普遍的秩序が貨幣で帝国より早い。最後が世界宗教である。
貨幣には最強の征服者という言葉が贈られている。いまさらその効能を議論する必要はないが、寛容性と適応性に於いて人類最高の発明で、その福音を拒絶するような民族は何処にもなかった。誰もが物々交換に応じてくれる品が貨幣の原点だ。2次大戦中の連合国軍人捕虜収容所で貨幣になったのが主にタバコだった。映画に出てくる。アウシュビッツの収容所でもそうだったとある。
貨幣は相互信頼前提の制度だ。ほぼ同等の価値が認められることが原則だが、やがて発行する権威筋がその中味を保証するようになって、通用の範囲と利用が加速する。古代の金属貨幣には価値と王の署名がある。王国が滅んでも次の王国が同等の貨幣を引き続き発行し、過去の金貨も堂々と通用する。貨幣はその汎用性をもって、政治の世界の境界を飛び越えることが出来た。これは良きにつけ悪しきにつけ文化の均質化を促す。'06年の全世界の貨幣は473兆ドルだったが、貨幣と紙幣の総量は47兆ドルに満たない。貨幣の9割以上がコンピュータのサーバー上にだけ存在する。新世界通貨となるかも知れないビットコインにまでは触れてない。
帝国は思想、制度、習慣、規範、法律、言語、貨幣などを、可能な限りに標準化して、広域の人々の間の風通しを良くしようとする。同化だ。ローマ帝国はついにはガリア人、カルタゴ人、シリア人、アラブ人の皇帝を出すに至る。抵抗者に対しては帝国は余裕たっぷりに無慈悲だった。飲み込まれた諸王国の文化は、勝者の脚色を受けて姿を変えることはあってもほぼ忘却の彼方に追いやられた。ローマ帝国が滅んだとき、ガリア人はもう準ローマ人で、祖先の言葉さえ思い出せなかった。ガリア王国再建の動きなどまったく無かった。
ローマ帝国もアラブ帝国も元をただせば小さな一部族である。肥大化帝国化する過程で骨格以外は原形を留めぬほどにまで変化したことだろう。中国の漢民族も今や渾然一体化しているから判らないが、春秋戦国時代の記述を見れば、あるいは既述のイ族の歴史を見れば、似たようなものと思っていいのだろう。
書いてはないが、清帝国の満州族は注目に値する。支配したが少数派の満州族が、文化的には漢文化に半ば飲み込まれた「混成文明」を生み出した。この傾向は戦後加速し、今では満州語も忘れられようとしている。元帝国も同じだったのではないか。著者は「帝国」と書いたが、文化に関しては「圧倒的文化」の意味だとしたらよい。ギリシャ文化は「並立文化」であった。ローマ帝国はギリシャ・ローマ文化圏となったのだから。文化がどれほど世界的かという問題のようだ。
現在国家は急速にその独立性を失っている。国家は、金融面での行動や環境政策、正義に関する国際基準に従うことを余儀なくされている。資本と労働力と情報の途方もなく強力な潮流が、世界を動かし、形作っており、国家の境界や意見は次第に顧みられなくなっていると論じている。各国各分野のエリート間に強力なネットワークが組まれ、世界が動く。これが将来のグローバル帝国のビジョンであることに異論はない。
貨幣、帝国の次の要素:宗教(第12章 宗教という超人間的秩序)と第3部「人類の統一」のまとめ(第13章 歴史の必然と謎めいた選択)は、多分紙数の関係からであろう、「サピエンス全史(下)」に含められた。それに対する私の感想文は本HPの「サピエンス全史(下)T」になっている。
なかなか読み応えのある著作であった。

('17/11/01)