北斎とお栄
- 葛飾北斎とその娘お栄(応為)の作品展覧会やTV番組がこの秋に入ってから目立つようになった。きっかけはどうも5月からの大英博物館の特別展「北斎−大波の彼方へ」らしい。3ヶ月という長い展覧会だったときく。英国は今やヨーロッパの浮世絵研究の中心地らしい。この特別展は国際共同プロジェクト「北斎−富士を超えて−」展となって大阪市の「あべのハルカス美術館」で開催されている。
- 「北斎とジャポニズム」展は近々国立西洋美術館で開かれる。太田記念美術館では「葛飾北斎 冨嶽三十六景 奇想のカラクリ」展が開催中だ。お栄の「吉原格子先之図」が特別公開されている。すみだ北斎美術館の開催中の企画展は「大ダルマ制作200年記念 パフォーマー☆北斎 〜江戸と名古屋を駆ける〜」という題になっている。小布施の北斎館では「北斎漫画の世界」をやっている。名古屋市博物館では「特別展 北斎だるせん!」が準備中ときく。
- このHPの「富嶽百景殺し旅と浮世絵展」('01)に、TVの必殺シリーズの中に「富嶽百景殺し旅」というドラマがあって、お栄が北斎を殺すように依頼する奇想天外な物語があったと記録している。北斎を小沢栄太郎、お栄を吉田日出子が演じた。北斎もお栄も天衣無縫の性格に描かれた。画業作品のほか本人や弟子の記録が残っているし、明治初期の研究書には直接知る人とのインタビューが含まれているという。人物像がよく知られているのだ。北斎は、1999年発行のLIFE誌(米)の中で「この1000年で最も重要な功績を残した世界の100人」に、日本人で唯一名を連ねたと言う。画業と人物像がともに「画」になるのだ。だからか物書きや芝居屋の格好の材料になった。
- NHK特集ドラマ「眩(くらら)〜北斎の娘〜」は、お栄が実在の人物であったことをはっきりと印象付けた。「必殺」が鮮やかだったので、私は、お栄は作者の創作人物かと思っていた。主演の宮崎あおいはなかなかの出来映えだった。「篤姫」以来見なかったが、お栄のような、規格はずれの女を演じられるほどに成長したと云うことらしい。離縁で葛飾家に戻ってきたときから、弟(武士)の家で厄介になっている60歳という年齢になり、それでもなお新吉原の花魁図を描くまでを立派に演じた。伝記によると彼女は行方不明になって生を終わる。墓もないらしい。
- NHK歴史秘話ヒストリア「おんなは赤で輝く 北斎の娘・お栄と名画のミステリー」は、科学的美学的に4K撮影なども加えてお栄の画を鑑賞する。画号の応為はおやじ殿をお栄がオーイと呼ぶことに因んで北斎が名付けたという。酔女という画号も使っている。弟子のスケッチは、彼女の顎の張った決して美人とは云えぬ風貌を伝える。北斎も彼女をアゴと呼んだとか。北斎はお栄の美人画を讃えて己の上を行くと云ったそうだ。父娘の絆は終生ほぐれなかった。作風はコロッと違っているが、似たもの父娘でもあった。どちらもまるで整理整頓それに掃除が出来ぬ質で、93回も繰り返した引っ越しは、そのためでもあったという。
- 春夜美人図(メナード美術館)はレンブランの「夜警」に対比して説明された。三曲合奏図(ボストン美術館)は、町娘が花魁と共演するという現実にはあり得ない構図の面白さと、演奏の指の細かな動きまで捉えた写実性に才能の閃きを感じさせる。吉原格子先図(太田記念美術館)は群衆と夜の光と影を捉える。本人作と認められている肉筆画は9幅に過ぎないが、北斎との共作で、売れるからと北斎名にしたものがかなりあるようだ。ことに北斎晩年の作には応為の手が入ったものが多いようだ。
- 幕府の質素倹約令(天保改革)で版元が店を次ぎ次とたたんだために、画が売れず極貧生活に陥っていたとき、長野の分限者に拾われて、栗の里・小布施に身を寄せる。そのときに祭礼に使う屋台の装飾を請け負った。上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)のうち、『怒涛図』2図「女浪」と「男浪」は、86歳・北斎とお栄による、波だけの、勇壮な図案と云っていいような画である。
- NHK歴史秘話ヒストリア「世界が驚いた3つのグレートウエーブ 葛飾北斎 パワフル創作人生」の3つとは、「神奈川沖浪裏」、「海上の不二」と上記「女浪」である。「男浪」は「女浪」にひけを取らぬ出来映えと思うが、大英博物館には「女浪」が出品された。「神奈川沖浪裏」は誰しも知る世界の名画。若かりし頃の作品にその構図の元になる浮世絵が残っている。2つ目の大波「海上の不二」(富嶽百景、モノクロ)では、「神奈川沖浪裏」の富士が小さく左に引っ越し、大波の波飛沫の先に白い水鳥が群れを成して飛ぶ構図になり、飛沫が鳥になったと一瞬思わせる。
- お栄が赤なら北斎は青だ。300年ほど昔にドイツで合成染料プロシアンブルー(フェロシアン化第二鉄)が発明された。(合成品だから)濁りがなく透明だろう。しかも水溶性を工夫できる化学的に安定な青絵の具として輸入される。北斎はそれを活用した。NHK日本美インパクト!「北斎の滝 vs. 30人のツワモノ+1」では、「諸国滝廻り 下野黒髪山きりふりの滝」が紹介される。水流をグラフィックに幾通りもの青の濃淡で描いた傑作である。
- NHK「北斎インパクト 〜世界が愛した超絶アート〜」では、NHKが大英博物館の研究チームと、8K超高精細カメラを使って作品を調査する。赤富士とオレンジ富士の比較が面白かった。どちらも北斎の富嶽三十六景の中の「凱風快晴」だが、赤富士が初版に近い。初版は絵師と摺師が入念に打ち合わせて配色する。だから版が新しいほど絵師の感性が反映している。木版画では摺を重ねるにつれ版木がすり減って行く。大英博物館所蔵の「神奈川沖浪裏」は初版ものらしい。さすがに良いものを蒐集している。
- 北斎がヨーロッパの画壇に与えた影響はいまさら論じる必要はないだろう。ドガの「踊り子たち、ピンクと緑」が北斎漫画にある力士のスケッチからヒントを得ているという。でもムンクの「叫び」の背景に「神奈川沖浪裏」の構図が見て取れると云われると唸ってしまう。フィンランドの童話ムーミンは北欧のアニミズムを反映するというのは本当だろう。その作者ヤンソンは北斎の画を見て育ったという。「神奈川沖浪裏」の少年ヤンソン版が残っている。
- ヴィスピアンスキの「コシチューシコム山の風景」連作は、ロシア、プロイセン、オーストリアに分割統治されていた時代のポーランド民族の独立の悲願をこめて描かれたという。コシチューシコム山とは、独立戦争を戦ったポーランドの志士の碑が建つ人工の山だ。「富嶽三十六景」に触発され、富士山が日本のシンボルであるように、コシチューシコム山をポーランドの統一のシンボルとしたのだという。プロモータであったヤシェンスキは5千枚の浮世絵を収集し、北斎漫画に熱中して、フェリックス・マンガ・ヤシェンスキと名乗ったほどだった。
- 北斎のファッション界、工芸品界、日用品への浸透ぶりも紹介されていた。工業製品のデザインにも北斎の画から抜け出たような作品があった。
- 北斎は読本の挿絵画家として人気を博し、木版画で不動の地位を得たが、晩年は肉筆画に執心した。「富嶽百景」に書き残した自序がその弛まぬ人生を書き表す。そこには70歳までの作品は取るに足らないものだったが、73歳で動物や草木の態様が読み取れるようになり、90歳には画業で奥義を究め、100歳まで生きれば神の領域に到達するであろうと、臆面もなく言い放っている。インタビューに出てきた専門家は口を揃えて、北斎の年齢を超えた向上心を褒め称えた。
- ここまで書いて、このエッセイの仕上げにと、太田記念美術館を訪ねた。丁度学芸員の解説が行われる日であった。小雨模様の週日であったのに、地下のホールは立ち席が出るほどの盛況であった。300人は入っていただろう。50分近くかけて日野原主席学芸員がスライド・トークをやった。講演を聴いてから展覧会場の画を鑑賞したのだが、お話は画に添えられているキャプションから選りすぐって纏めた内容で、要領よく見て回るのに役立った。この美術館は観客数のわりにはこぢんまりとしていて、一巡するのが苦労だった。
- 現実よりもモチーフを大切にした作品が江戸の町民を惹きつけた。「五百らかん(羅漢)寺さざゐどう(三匝堂)」では高楼の人々の視線の彼方に小さく富士があるが、そもそもその高楼には、並んで富士を眺められるほどの張り出し床はなかったという。「東海道品川御殿山ノ不二 」では位置関係がでたらめ。「江都駿河町三井見世略図」では町の賑わいを2階以上を描くことで出来るだけ簡素にし、屋根の破風の位置を直角に曲げてしまった。広重らが類似の画題で写生的に描いた浮世絵が残っている。その対比が印象的である。「甲州三坂水面」は実際の富士と湖面の富士が対応しない。
- 「従千住花街眺望ノ不二」はおそらく参勤交代復路の行列の面々が、新吉原の町並みを眺めながら通り過ぎようとする構図だった。花町であることは町を取り囲む板塀の連なりから分かる。遊んだ記憶を懐かしく振り返っているのだろうと思うと、なかなかの構図である。豪華な家屋と藏が交互に並ぶのは遊郭の繁盛ぶりを示すのだろう。「駿州江尻」は風がテーマだ。飛散する木の葉や傘や紙切れと突風に驚く人々がよく描けている。私は今回の鑑賞ではこの2点にもっとも強く惹かれた。
- 名所外しは北斎の常識への挑戦である。「東都浅草本願寺」は名所浅草寺横の東本願寺に視点を移したもの、「下目黒」は近くに不二見物の名所があるのに畑地の丘から不二を眺めるへそ曲がりの構図である。「甲州三嶌越」の中央の大木は実際にはその場所ではなく他所からの借景だとあった。「尾州不二見原」の桶職人の作る大樽は板が薄くてちょっと力学的に心配だ。その円筒の中央に遠く不二が見える。
- きりがないのでここらで筆を止めておこう。
('17/10/14)