フィリッピン

井出穣治:「フィリッピン〜急成長する若き「大国」〜」、中公新書、'17を読む。著者はIMFで活躍した国際的エコノミストという。私はクルーズにときおり出掛ける。ことに日本船にはクルーにフィリッピン人が多い。おかげで挨拶程度のタガログ語は覚えてしまった。親しみやすい人たちである。今やBRIC'sに次ぐ国はVIP(ベトナム、インドネシア、フィリッピン)と云われているそうだ。
フィリッピンは戦後しばらくは、米国植民地であった関連でアメリカからの手厚い援助を受け、東南アジアではトップクラスの経済実力を持っていたが、その後は発展が停滞し、対外債務危機を経験するなど、アジアの病人になっていた。理由としていろんな指摘がしてあるが、私には官僚制度が脆弱な一方対称的に大土地所有者の既得権が強大であり、汚職腐敗が絶えない政情が続いたと言う問題が印象深かった。その経済が2000年に入ると一転して、世界の成長停滞を尻目に、6%7%の成長率を確保するようになり、「東アジアの奇跡」とされたグループを、今や凌駕しようとしている。
経常収支も黒字転換し経済は安定した。今では800億ドルの外貨を保有し、少々の経済危機でなら、十分自国通貨を買い支えることができそうだ。経済で特徴的なのは、貿易収支は万年赤字であるのに、それをサービス収支が十二分に補っている点だ。確かに中国の労務費が値上がりして中国への産業進出が停まり、VIP諸国の安い労務費に先進諸国が眼を向けるようにはなった。しかし長く続いた政情不安や民生不安からもともと産業規模が小さかったから、輸出入の経済に占める割合は小さい。
フィリッピンのサービス収支のトップに位置するのが、海外への出稼ぎである。総GDP 3千億ドル弱の10%弱が海外からの送金だという。中でも商船乗組員の送金が大きく全体の2割になる。船員は給与水準が高く、憧れの職業という。日本郵船はマニラに商船大学を開校し、郵船グループの船員の過半をフィリッピン人が占めるまでになっている。クルーズ船もその例外でない。BPO(コールセンターなどのビジネス・アウト・ソーシング)産業が労働力輸出に次ぐ。近年その成長が著しい。今やGDPに占める割合が8%になろうとし、しかも更なる増加で、規模はBPO産業第1位のインドに迫りつつある。
労働者海外進出加速やBPO産業発展の背景に国民の英語力がある。フィリッピンは多民族国家で、最大のタガログ語族は全体の1/4を占めるに過ぎず、米国植民地時代(約半世紀)の遺産として英語が公用語になったが、それが幸いしている。BPO産業1位のインドが長年の英国植民地時代を経験して英語を公用語と定めたが、それとよく似ている。英語力は日本語力に通じる。日本船のフィリッピン船員はたちまちに日本語を上達させる。英語は日本語の音を殆ど含んでいるからだと言える。逆(日本人の英語)を考えれば、この私見は当たっていよう。
フィリッピン1億人の年齢構成は現代平均年齢25歳で'50年まで人口ボーナスが続くという、老齢化で苦悩する我が国から見れば、まことに羨ましい限りの状況にある。人口ボーナスの経済発展に対する重要性はこのHPではいろいろ扱ってきた。「人口ボーナス」で検索すると、「老いてゆくアジア」('08)、「経済大国インドネシア」('12)、「中国経済と軍拡」('14)、「デフレの正体」('15)などが出てくる。産業がこれからだし、アメリカからの受注が3割を占めるというBPO産業に、トランプ大統領のアメリカ第1主義の影が差してはいる。他国と人口ボーナスの意味するところは異なるが、老ゆるアジアを尻目に出来る利点は、世界の企業が見のがさないだろう。
アロヨ政権('01-'09)に始まる財政健全化は、フィリッピンの成長路線に歩調を合わすように進行し、相乗作用で双方に好結果をもたらした。対名目GDPの公的債務残高は一時の半分以下の30%台にまで低下した。財政赤字の節度ある抑制は、投資格付けを不適格から適格級のダブルBクラスまで引き上げている。インフレ率も低位安定を果たした。政治と治安の安定はアキノ政権('10-'16)の功績と云える。長年の懸案であったミンダナオ島のイスラム勢力との和解は、今後に多大の好影響を与えることだろう。激語のドゥテルテ大統領はこの島の出身である。
来年のクルーズにフィリッピンの3島に寄港するコースを発表した船会社がある。マニラに寄港するクルーズはこれまでにもあったが、ルソン島以外の2箇所に寄港するコースは初めてだ。マニラ1極集中で、首都民の所得は高く7千ドル/年というが、ミンダナオ島ではその1/10しかない。イスラム武闘派との内戦もあるが、大土地所有者とか財閥支配とかの歴史事情が、せっかくの経済発展にもかかわらず、恩恵の広がりを許さない格差社会になっている。
近代的なビルが林立する地区(首都圏のマカティ市)もあるが、貧困率は25%と、ASEAN主要国の中でも群を抜いている。潜在的失業者を加えた失業率は20%を越す!と云う。農業従事者が3割なのに、GDP寄与率は1割だ。製造業の寄与が3割で、雇用力が低いのが将来の大問題だ。インフラの質の悪さは3日も滞在すれば判る。新大統領は10項目の経済基本政策を発表した。テイクオフを匂わせる経済特区の成功を受け継ぎ、外国からの直接投資に必要な環境を整備する方針だ。これまでは、相対的にフィリッピンへの直接投資は低かった。トヨタ、三菱の自動車工場進出が注目される。
NHKの大河ドラマに「黄金の日日」('78)というのがあって、市川染五郎が主人公の呂宋(ルソン)助左衛門を演じた。戦国末期の堺商人としてルソン島との交易も描かれていた。その画面にもスペインの影が出ていた。マニラの市制を始めた頃に相当する。フィリッピンは以来400年近くを植民地として過ごす。米国の統治は米西戦争以来の半世紀足らずだった。敗戦のスペインが統治権を譲ったのであって、戦争がフィリッピンで行われたのではない。
スペインは、フィリッピン占拠の頃、すでにメキシコなどの中南米の国を植民地化していた。彼らは冨の獲得とカトリックの布教(今では国民の8割がカトリック信者)を植民地化の主たる目的とした。でも金も銀も出ないし、香辛料も発見されなかった。そこで彼らは中国とメキシコを結ぶ中継貿易(ガレオン貿易)拠点と位置づける。中国と欧米の間の金銀の評価差なども有利に働いて、スペイン人商人は簡単に莫大な冨を手にすることが出来た。中国からは移民が到来定着し、今の中国系財閥の祖となる。植民地化に功績のあったスペイン人は、人支配を含む統治権委託を受ける。農民は奴隷的環境に入り、今日まで続く大土地所有者支配の基礎が出来上がる。メキシコ独立などで簡単に儲かる時代は過ぎた。
スペインは輸出商品(砂糖、麻、タバコ)の生産を指向する。アメリカに宗主国が代わっても、エリート経由の原住民支配体制は宗主国にとって便利で効率的だからという理由で、アメリカからは形ばかりの民主主義は伝わったものの、大農園主の支配を受ける小作農という構図は代わらなかった。しかもアメリカはシンガポール中心のイギリス自由貿易圏から脱するために、相互関税免除による独占体制を築き、モノカルチャー農業体制が一層進んだ。
400年を通じてフィリッピンは、大農場の搾取と苛酷労働が横行し、自国の産業構造を育成する機会は与えられなかった。日本の朝鮮支配を韓国人は罵るが、同胞として教育し(アメリカ人はフィリッピン人を同胞としたか、イギリス人はインド人を同胞としたか)、日本の投資が朝鮮からの収益を上回ったと言う統計を見るとき、同じ帝国主義時代における非植民地人として、例えばこのフィリッピンの宗主両国と比較して、公平な理解を示してもらいたいとときおり思う。
歴代のフィリッピン政権は小作農の解放を強く意識して、施策に取り入れてきた。我が国の農地解放は、GHQの絶対権力で5年も経たずに完了し、スムースに次期体制に繋がっている。それには日本側の充実していた農業テクノラートの協力があり、もともと工業国で農民労働力の吸収受け皿が備わっていたことが大きく貢献している。しかしフィリッピンには双方とも備えがない。大土地所有者は一方では政治家であり、その抵抗で、改善法案が実行上は骨抜きになる場合もしばしばであった。
フィリッピン人の民族意識は自動的に高揚する環境にはない。中央集権的な国家としての経験も浅い。国土全体どころかルソン島内だけの共同生活圏のネットワークさえまだ完成度が低かったときに、スペインの侵略を受け、大農園という小国家群に隷属する農民とされた。この体制は基本的には独立のときまで維持された。一握りの富豪エリート層と大多数の貧困層があって、国を動かす中心的役割を担うはずの中間所得層が薄い。多民族多言語で、宗教にも武闘型の敵対者がいた。海外就労者が1割を占めることもアイデンテティ醸成にマイナスに働く。しかし米国遺産の民主主義はアジアではしっかり根付いている方だ。マルコス独裁政権打倒に見せた軍、教会を含む人民の行動プロセスは、「下からの民主主義」と分類できる。アイデンテティの不足を、権力への抵抗という歴史的資産によって補ったと著者は理解する。
当面は大統領のイニシアティブが民主主義の定着・深化に重要な国である。ドゥテルテ大統領は「犯罪者は必要であれば殺す」を実行している。だが民主主義の基本理念に反するものの、大統領が独裁政権に向かう兆しは今のところ見えない。万年汚職と腐敗で治安も改善できぬ権力に愛想づかしした民衆が、その受け皿をアピールする彼を両刃の剣になるリスクを承知で選んだと理解できる。
太平洋戦争ではフィリッピンは戦場になり、市民に100万以上の犠牲が出た。我が国は将兵を始めとする50万を越す犠牲(日中戦争来の全犠牲者数は310万)だった。戦後の対日感情はきわめて悪かったが、賠償、手厚い経済支援(日本は最大の援助国)、慰霊と謝罪が繰り返されるなどを経て、和解が進んだ。昨年には天皇皇后がフィリッピンを訪問され、戦没者の慰霊と被害者への追悼を行われた。我が国では陛下の訪問を持って両国の親善度を納得する。ASEAN 7ヶ国での対日世論調査では、フィリッピンでは友好的とやや友好的と答えた割合が98%となり、7ヶ国中もっとも日本を好意的に見ている国になっている。
米中の狭間にあって自国の利益をどう守るか、新大統領の捌き方をいろいろ推測してあるが、ここでは割愛しておこう。

('17/05/11)