山種コレクション名品選

恵比寿の山種美術館に出掛けた。「開館50周年記念特別展:山種コレクション名品選W 日本画の教科書 東京編−大観、春草から土牛、魁夷へ−」という展覧会が開かれている。家内は森アーツセンターギャラリー(52F)の「ヴェルサイユ宮殿(監修)マリー・アントワネット展★美術品が語るフランス王妃の真実★」に出掛けた。そちらは一般客が長蛇の列で、招待券客も30分ほど並んだという。山種美術館には入場者の列は無かった。だが日本画はことに照明の光線を抑えて展示するから、キャプションが読みづらいと判っていたので、音声ガイドは借りる。
チケットの図版になった松岡映丘の「春光春衣」は入り口にあった。以下音声ガイドの順に受け売り混じりの紹介をする。松岡映丘は私の知らない画家であった。この絵は平安朝宮中の女官模様なのだろうか、雅やかに華麗な風景である。平安期の美人は今日とはおおいに異なり、ふくよかに描かれるのが特徴的だと思うが、まさにその通り。長い髪の毛が、床に届かんばかりである。もうひとつの美女の条件だ。松岡は復古派だったのだろう。
小堀鞆音の「那須宗隆射扇図」は、小学校の教科書に出ていたから、私の世代なら誰でも知っている平家物語の中の那須与一である。明治23年の作品という。屋島の沖だから波は高くない。平家の軍船も周辺の波も淡く彩色されていて、平面的なのが特徴の日本画に遠近感を与えている。菱田春草の「釣帰」は朦朧体の画だ。空気を描くと称して線を棄てた日本画への新しい試みであった。線を全く棄てたわけではなく、中心の漁船と釣り人は線で描かれ朦朧なのは奧の風景である。朦朧体の画はあちこちで見たが、完成度は春草がいちばんだったと記憶する。
横山大観:「心神」。心神とは昔富士山を指した言葉だそうだ。富士信仰は古来からあったから、そう呼ばれていても不思議ではない。この美術館の建設は、先々代の山種氏が、親交のあった大観に示唆されて決断したのだという。それで大観は、秘蔵の心神を山種に売り渡したという説明を音声ガイドで聞いた気がする。この冬空気が澄んだためか、2度ばかり東京湾の彼方に富士山を見ることができた。姿や形の神々しさ秀麗さ以外にも、溶岩、樹海、地下水と話題の絶えない山だ。NHK番組ブラタモリでは、昨年だったが「樹海の神秘」「富士山麓」の2本を続けて放送した。文化面からと地質学面からバランスのとれた解説をしていた。
野口小蘋:「箱根真景図」は明治末期の芦ノ湖あたりだ。箱根神社の鳥居は木材の地肌の色が出ていて、今日の朱色ではない。奧の大きな山が箱根山だが、その奧の富士山に似た雪を抱いた山ははてどの山か。富士山としたら方向が逆のである。日本画はあまりそんな事には拘らぬと云えばそれまでだ。小蘋は女性初の帝室技芸員になった人。
下村観山:「老松白藤」には、小さく小さく1匹のクマバチが描かれていて、老松に白藤が絡んだ圧倒的な静寂に立ち向かっているように見える。クマバチは音声ガイドに指摘されてやっと気が付いた。手を抜かず細密に飛翔状態を描いている。
小林古径:「清姫」は、今昔物語以来謡曲に能舞台に或いは歌舞伎に人形浄瑠璃にと広く人口に膾炙した安珍・清姫の娘道成寺伝説に基づいた作品である。私は「文楽クルーズ」('16)で、2代目吉田玉男の「日高川入相花王 渡し場の段」を観劇している。文楽でも日高川はハイライトであった。古径の日高川は、清姫が大蛇に変身する寸前の姿を描いている。全8面のうちの4面が展示されていた。あとは「寝所」「鐘巻」「入相桜」。家に戻ってから、TVで桜の小枝から桜色の染料を採る工房を紹介していた。開花前でないとダメだと云っていた。古径の桜に使われたかどうかは知らない。
速水御舟:「昆虫二題」の一つは「粧蛾舞戯」という題である。御舟には「炎舞」という、重文になった炎に舞う蛾を描いた作品がある。蝶を描き入れた画家は多いが、蛾はそう多くはない。同じチョウ目だが、蛾の方が圧倒的に種類が多い。夜行性が多いが昼にも飛ぶ美しい蛾が何種類もある。「粧蛾舞戯」は、炎に巻き込まれるように蛾が飛ぶ姿を、上から俯瞰したような画である。炎舞同様なにか執念を感じさせる。音声ガイドは、その中に日本では見られないグリーンの蛾が入れてあると指摘していた。
鏑木清方:「伽羅」はくつろいだ姿態の美女が描かれている。もう清方あたりになると美女の顔立ちが現代風になる。古径の清姫は頬の膨らみなどにまだ江戸時代の美人意識を引きずっていた。音声ガイドは、側に置かれた枕香炉に関する蘊蓄を述べていた。文様図柄などいろいろ「ふかーい」意味があるらしいが、香道に無縁の私にはよく分からないお話で、優雅に対する感覚の移ろいを感じさせた。
川合玉堂:「早乙女」は敗戦間近の疎開先:青梅あたりの田植え風景だそうだ。軍国日本の雰囲気は一切無い。青梅の玉堂美術館は一度訪れたことがある。展示品数はあまり多くはなかったと記憶する。不朽の名作を残すほどの芸術家はいいなあと思った。理系の我らはたとえノーベル賞級の研究を成し遂げても、大学に名前のある研究室が出来る程度で、それもやがては改築期に取り壊される。
落合朗風:「エバ」のエバは旧約聖書「創世期」のアダムとイヴのイヴである。エバは西洋人の体型でも風貌でもない。我らに近い。禁断の実は桃。そそのかした蛇が彼女の後で伺っている。イチジクも描き込まれていると云うが、どれだか怪しかった。我が家の周辺にはイチジクの木がないせいもあってうら覚えなために、きっちりと識別できなかったのだ。ホロホロチョウ2羽がエバと反対側に配置されていたように思う。6曲2双の大きな屏風画だ。日本画で聖書を表現した意欲的な作品であった。
荒木十畝:「四季花鳥」は、江戸時代から磨き上げてきた伝統の総決算といった四季風景の掛け軸画である。ここまでが第1章「近代の東京画壇」で、ここから第2章「戦後の東京画壇」に移る。私はもう空腹を覚えていたし疲れも出ていたので、一旦展示室から出て、1Fの「Cafe 椿」で小腹を満たすものと言ったら、にゅう麺のメニューを見せられた。日本画専門の美術館付属だからと妙に感心して、それを注文する。小さな団子の1串がついていた。日本画家たちの雅号を思い返していた。いずれも風雅で奥深い名だ。よほどの漢語の知識がないと出て来ないだろう。名付け主が偲ばれる。休憩室に大型画面のTVが美術館の紹介ビデオを流していた。
奥入瀬には2度ほど足を運んだことがある(「青森格安ツアー」('99)、「北東北の温泉宿」('01))。秋だった。奥田元宋:「奥入瀬(秋)」は高所からの俯瞰のようで、渓流の縁を歩いた私のあのときの印象とは違っている。紅葉が強調してある。文化勲章受章者で、彼の故郷:広島県三次市に夫妻の名の美術館があるという。
橋本明治:「朝陽桜」の桜は、おそらく万を数えるほどの花びらが1輪ごとに丁寧に輪郭線を入れて描かれている。東山魁夷の四季に跨る風景の4作の中の「年暮る」は、大晦日の京都を描いてある。京都ホテルの屋上から東山の方角を見ているという。雪中の木造の家々の屋根だけを見せる。でもこの方角では、画が仕上がった昭和47年なら、もう欧風の四角いコンクリート造りの建物があちこちに出ていたと思うが、明治の頃の姿を想像して描いているのだろう。あるいは祇園花見小路あたりの伝統的建造物群保存地区の風情を重ねた作品なのだろうか。
「武蔵と京都一日乗車券」('03)に光悦寺の近くの「吉野太夫」ゆかりの寺:常照寺を訪れた時の記録がある。伊藤深水:「吉野太夫」は、優れた文人でもあった太夫の遊女姿である。禿が盆に載せて差し出す小物に、考証の深さが偲ばれると音声ガイドが説明していた。安田靫彦:「出陣の舞」は桶狭間の戦いに出陣する信長が、人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなりの「幸若舞の敦盛」を舞う姿である。やたらに勇将らしく描いてないところがいい。靫彦の歴史画にはあちこちでお目に掛かる。
奥村土牛:「鳴門」はまだ大型の観潮船など出ていなかったころの鳴門で、小舟で渦に吸い込まれそうになりながら観察した渦潮の迫力を伝える。前田青邨も歴史画に長けている。展示の「大物浦」は頼朝の不興を買った義経が西国に落ちようと船出をした土地で、今の尼崎だ。阪神電鉄本線に大物駅がある。淀川河系の一つの河口にある港だったのだろう。大嵐が兵馬を悩ませている。平家物語などではこの大嵐が平家の祟りで、彼の運命を方向付けたように記されている。
守屋多々志:「慶長使節支倉常長」は伊達政宗の使者として唯一人でローマ法王を訪れた常長が、面会の後ヴァチカンを遠くに望む姿を写したという。町の土色の建物が、遙かな異国に旅したものの心情を表現していると思った。平山郁夫:「バビロン王城」は天を突く城壁、瑠璃色の装飾煉瓦による城門、緑溢れる屋上庭園など雨の少ない地帯の別天地と云える王都を、たびたびの中近東旅行の成果として世に問うた。惜しむらくは人物が平凡なことだ。いかに城壁に比べて小さい存在であっても、人は生気溢れるように描いて欲しかった。
加山又造:「波濤」は私がいちばん感心した作品である。荒浪が弾ける様子を白黒写真を写したように描いてある。音声ガイドは、染料とか霧吹きを使うような、従来の日本画にはない技法を駆使したと紹介した。彼のあたりから、洋画と日本画の区別が遠目では付きにくくなってくるのであろう。

('17/02/20)