裏日本東の雪景色

大人の休日倶楽部パス(東日本)を使って2日間、裏日本東の雪景色を楽しんだ。このHPには類似の旅として、「雪見の旅」('04)、「雪見の五能線」('09)、「雪見の一人旅」('13)や「日本半周冬の旅」('14)が出ている。最後の'14年の旅では、当時は含まれていたが、今はパスの旅行範囲から外された、北陸新幹線延長工事完成前の北陸地方を訪問している。
初日は新潟から秋田に回る羽越本線特急に乗る雪見の旅にした。千葉みなと快速9:11発 東京Maxとき315号10:16発 新潟いなほ5号12:33発 秋田こまち30号16:34発 千葉みなと21:34着。計画通りに行動できた。我が家を出てから戻るまで13時間。上越新幹線のトンネルを出ると、まさに雪の世界であった。羽越本線では、府屋の手前あたりから海岸に山が迫り、その景色があつみ温泉を過ぎるまで続くが、その辺では雪が強風で吹き飛ばされるのか、幾分地面が見える場所もあった。雪深い平野部とは対称的であった。白波が防波堤を乗り越える時化状態であった。夕食には秋田で「特製牛めし弁当」を買い新幹線の中で食った。
第2日は、少し遅く千葉みなと快速9:42発で、新潟から上越妙高への信越本線特急の旅に出る。何度も裏日本の雪見の旅をやっているが、この信越本線は初めてなのである。東京Maxとき317号10:40発 新潟12:04着 新潟しらゆき6号13:04発 上越妙高はくたか582号15:19発 千葉みなと18:25着。我が家を出てから戻るまで約10時間。前日の高崎からの群馬県、新潟県、秋田県、本日の新潟県、長野県、群馬県と、濃淡さまざまの雪世界だった。正確には本庄早稲田付近から部分的に積雪が観察された。小雪が舞う程度の雪空で、期待していた吹雪とは最後まで出会わなかった。
さてしらゆき。長岡を過ぎるまでは在来線の車窓は、概して特徴のないありきたりの中都市というものだった。ところどころ白壁の上部に木組みが横に入った民家が散見できた。新潟地震のせいなのか、新幹線鉄路を支えるコンクリート柱に太い鋼鉄のワイヤーが巻いてあった。新幹線を長岡で下車し、そこで「しらゆき」を迎えたならさらに1時間は節約できた。でもMaxとき317号の自由席は乗客数が多く1Fだったので、窓からの景色は望められなかったから、新潟から長岡までの在来線特急の車窓は新鮮で結果オーライだった。
長岡から柏崎は低い山並みが次々に現れる田園風景の土地だった。特急は柏崎までは止まらない。途中、越後岩塚あたりで南側に朱の鮮やかな大社殿が見えた。宝徳山稲荷大社という。柏崎から次の柿崎までの海岸線を列車が走る。前日の村上から鶴岡までの海岸線が男性的と云えるならこちらは女性的である。前日が嘘のように海の白波は少なかった。余計に対称的に見えた。
直江津からエチゴときめき鉄道線に入る。ここは単線である。まだ新幹線が開通していなかった頃に長野から直江津へ抜けた。スイッチバックの駅(二本木駅、「日本半周冬の旅」('14))があったことを思い出す。今回の旅ではそこまで行かないのが残念であった。北陸新幹線との接続駅:上越妙高駅は、在来線特急から乗り換えの乗客以外は見えないガランとした空間だった。妙高山なのか、ひときわ高い山が雪を戴いていている姿を、駅の西側の大きなガラス窓越しに眺められた。
在来線も特急停車駅には必ずエレベータが付いている。我ら老齢組には結構な配慮である。
金沢からのはくたかは臨時列車とのアナウンスだったが、その割りに指定席は埋まっていた。その前の在来線特急がガラガラだったために強く感じたのかも知れない。
雪景色はいいが眩しいから、目を休めねばならない。車中では川端康成「雪国」を読み返している。2日掛けて読み通した。「雪国」の中には舞台の地名は出て来ないが、川端康成は岩波文庫本のあとがきで、越後湯沢と明記している。この駅を経由する在来線:上越線に乗って長いトンネルを経験したこともある(「雪見の旅」('04))し、少し日本海よりの塩沢、六日町も訪問(「ワッフルランチ」('16))した。駅付近を散歩したこともあった。越後湯沢の町並みや雰囲気は、上越線が開通して間もない頃の「雪国」とは異なっている。岩下志麻主演の「雪国」のロケ地は野沢温泉だとDVD収録の余録が云っていたと記憶する。映画を撮ったころでもすでに開けてしまっていて、昭和一桁期の雰囲気は出せなかったらしい。ずいぶんあちこち温泉場を渡り歩いて、ロケ候補地を絞ったとも述懐していた。
小説の中の葉子は全くの架空の人物だが、駒子にはモデルの芸者がいた。その人物は特定されている。作者はしかしモデルを写生したのではないと弁解している。顔貌から性格まで違った人物を創造した。おそらくストーリーの展開がモデルの口から伝わった半生そのままなのだろう。康成は出版後自筆原稿を彼女に記念に贈ったが、彼女は私事が公にされたことに怒ったのか、それを廃棄処分にしたという。これは新聞種になったので覚えている。持っていたら今は彼女は億万長者になっていたかも知れない。
哀れで切なくしかも美しい世界が展開する。駒子は16、7で港町から東京にお酌に売られた。旦那が1年半で死亡し、まだ上越線が開通していない越後湯沢の温泉町の日本踊りの師匠の家に転がり込み、半玉的生活から芸者になる。その師匠は元芸者で、港町以来の因縁があったとある。越後湯沢の芸者数は12-3名で、その中では駒子は売れっ子芸者になった。収入が100円で、並みの芸者は60円と出ていた。昔私が親から聞いていた当時のサラリーマンの初任給は、帝大卒で80円、中学卒でその半分程度だった。置屋と云っても農業雑貨商も兼ねている家で、お抱えは駒子だけ。2Fの4間を独り占めしている。
私は芸者と親しくしたことはない。まして昭和初期の彼女たちの生活が判っているはずがない。興味を惹く記事を取りだしてみた。スキー客が来る前は閑だ。自由「恋愛」が建て前だが、旅館や置屋が関与するかどうかで、孕んだときとか病気をうつされたときの責任の取り方が違っている。駒子は1年で借金の半分を返したとある。芸者経費が40円と云うから、(100-40)円X12X2=1440円ほどが借金(元金)のMaxだったのだろう。30の声が近づくと年増芸者になる。芸者で稼げるのはあと10年ほどか。芸者は何処ででも稼げると強気で云うが、もう身を持ち崩し始めていると本人は自覚している。あまり楽な商売ではない。
東京から駒子のもとに通う島村は、親の遺産でぬくぬくと暮らす遊び人である。映画ではやや具体的に西洋舞踊本の翻訳家で、優雅な家に家族をもつ資産家と描かれている。越後縮を妻に贈る手配をするが、小説には出ていない。繭屋で行われた映画上映の時映画フィルム(まだニトロセルローズだったのだろう)から出火して、会場が火災となり、葉子が2Fから落下し火傷を負い病院に運ばれる。映画では子供の救済に葉子が活躍し、病院に運ばれたとき島村が見舞金を包んで番頭に渡す。小説には葉子の落下しか書いてない。
大人の休日倶楽部パスの第3日は温泉、第4日は結城に日帰りした。結城の話は別途すでに上梓した。

('17/01/26)