東大生産技術研究所千葉実験所の見学

11/11の午後、少々霧雨があったが折りたたみ傘を持って、西千葉の東大生産技術研究所千葉実験所を見学に出掛けた。小1時間ほど滞在した。公開は、近く実験所が柏キャンパスに移転するので、西千葉では最後の年になるとあった。私は東京帝大第二工学部がここの前身だと何となく知っていたので、この実験所には関心があった。貰った講演資料に赤石名誉教授の回顧録があって(講演は聞き漏らした)、昔の第二工学部敷地の大半は今千葉大西千葉キャンパスとなっているらしいことが判った。明記してはないのだが、資料中の過去の地図に京成の黒砂駅が出ており、今は多分みどり台駅となっている駅だろうと推測し、webで調べてみた。浜海岸駅、帝大工学部前駅、工学部前駅、黒砂駅からみどり台駅と再々時に応じて名称が変わっている。私鉄の気楽さだ。戦中に出来た第二工学部は、戦後第一工学部との合併が強行され、やっと生産技術研の名で一部だけが生き残ったものらしい。
私がここに関心を寄せていたのは、もう故人になられたかっての上司が第二工学部出身だったからである。ヒトとは、ことに勝ち気なヒトほど、何かにつけて相手を己から差別化し見下ろしたくなるものであるらしい。上記赤石先生の述懐に、旧制帝大卒の新制国立大卒に対する優越感、一工の二工に対する雰囲気、憧れと書いてはいるが海兵、陸士と一高のSense of superiorityが出ている。赤石先生には悪いが、私が受験した頃は、東大はそんなに憧れの的ではなかった。太平洋戦争での爆撃被害からの復興状況とか、東京の下宿事情とか、貧困家計とか理由は色々だった。高校生の奨学金が月2千円だったように覚えている。私の高校で東大を受験したものは1人もいなかった時代である。今はまた東大一極化が進んでいるとは聞く。
さてかの上司は羨ましいほどに頭脳明晰だったが、同輩や部下をいたぶる傾向があって、ことに若手からは煙たがられていた。出世コースで被害を受けたものもいたらしい。それもあってか二工出身と陰口をたたかれていたことを思い出す。ご本人にもその気配があって、そう思って振り返ると、東大出の同輩先輩になにか劣等感のあるようなそぶりがあった。二工が出来て工学部の学生数は800名近くと倍以上に増加した。陰口者は、入学の優良組が一工でその他が二工と振り分けられたわけではないだろうに、二工組を粗製乱造組と揶揄ったのかも知れない。入学者は、しかし二工が地方のキャンパスで、しかも戦中のお粗末な建屋だったからがっかりしたとある。
実験所事務所前あたりであったか、モッコクが何本か植わっていた。私の近隣では見かけない樹木なので気になった。調べてみると、モッコクは両性株と雄株の2通りある。研究所のそれは雄株だけのようだった。つまり赤い実がなかった。秋はモッコクが実を付ける時節なのである。植物としては異色だが、けっこうこんな例があるそうだ。ドングリを拾い集めている中学生がいた。マテバシイだと名を教えてやった。うんともすんとも言わなかった。外国人でも言葉を貰ったらなんとか応答しようとするのに奇妙な日本人が増えてゆく。構内には国立情報科学研究所の建物があるが、これは非公開だった。東京大学情報図書館学研究センターが発展して出来た研究所である。
地震応答実験棟では地震の揺れ体験実験をやっていた。私が訪れた範囲では実験があったのはここだけで、あとは研究内容のポスターによる解説が主だった。この実験棟には積極的に説明してくれる解説員がいて質問にも答えてくれた。五重塔の振動研究は、1/5の全体模型やかなり実寸に近い部分構造体(垂木の載った柱2本接続体が置いてあった)を用いたようで、前者に対しては神戸大震災の地震波形が振動実験に用いられたと言う。塔が倒れるのは共振点だ。私は水力学からの類推で、スケールアップのときの相似性をいかに担保するのか聞いてみた。レイノルズ数とかフルード数に対応する無次元数でもあるのかという質問である。質問の意味は相手に通じなかった。
今回は熊本地震であったが、地震が起こるたびに木造建築が潰れて問題になる。壁とか塀も含めて、局所補強と荷重分散を行う話はここにもあった。一般家屋の免震装置として、構造の中味は判らなかったが、十字レール型と云っていいような装置が置いてあった。東洋ゴムのデータ改竄事件のあった免震装置は、大形建造物対象のものであったと思う。国立西洋美術館などには免震装置がガラス越しに見えるようにしてあった。ゴム板と金属板の積層円筒状構造体であった。家屋用になると形が変わるのは、コストパーフォーマンスの問題のようだった。
以下張力型空間構造モデルルーム、事務棟、津波高潮水槽実験棟、海洋工学水層、研究実験棟の順に訪問した。高尚な研究は十分咀嚼した素人向けの説明がないと判らない。はじめはポスターを読んでいたが、頭が痛くなり出したので止めた。大型手帖サイズの、1研究室1ページの案内書を入り口で貰っていたが、読みこなそうという元気が湧かなかった。実は同じ悲哀を自分の卒業した工学学科の同窓会誌が送られてきたときにも感じている。研究室の近況がある。若手研究者諸君は精一杯に研究内容をアピールしているつもりだろうが、問題意識と目標と達成レベルをがっちり表現してほしいものだ。経過を得々と述べられてもその意義が判らない。
コンクリートのひび割れ自己治癒技術の開発をテーマの1つにした研究室があった。具体内容については伺っていないが、完成後半世紀を過ぎて剥離劣化がひどくなり、作り替えの危機を迎えた建物とか橋梁の話題が、最近ちょくちょく新聞やテレビを賑わす。研究の進捗が気になる。福岡市の地下鉄工事で、工事トンネルの上層部ががっぽりと陥没した事件があった。地下水を止めていた粘土層に穴が開いたため、土砂泥となって地盤の土が流れ落ちたためとテレビが云っていた。テレビはその復旧にセメント混合土を投入していると云った。若い解説員にそのことを聞いたら、セメントというより固化剤とか硬化剤あるいは粘性付与剤だろうという。トンネル工事で破砕帯にぶっつかったら、岩盤の割れ目に注入する固化薬剤のようなものかと云ったら、でしょうねと云った。
自律型海中ロボットは研究室に実物が持ち込まれていて、理解を容易にした。リチウム電池で動くそうだ。 JAMSTECのしんかい2000とか6500との棲み分けは、簡便機敏な海底探索用ということであろう。でも専門の開発機構があるのだ、大学がやらねばならぬテーマのようには思えない。波エネルギーを吸収する動揺制御船の実験船が展示してあった。レジャー船とか漁船が対象だ。波浪を電気エネルギーに変換し、同時に動揺を抑える。大型船にはフィンスタビライザーがあるが、動揺を抑えるためで発電は出来ない。海水の運動を利用したその他の発電法を聞いてみた。昔潮位変化によるフロートの上がり下がりを電気に変える研究があったが、今日では行われていないようだった。正門からのメインロードの脇に旧海軍特殊潜行艇を一回りも二回りも小さくした、それでもけっこう大型の潜水艇が展示してある。これは初期の自律型の無人操縦艇だそうだ。東大には海洋無人潜水艇に伝統があるらしい。
理工系の施設ことに研究施設の見学は理解に一苦労すると改めて感じた。本当はもう1回出掛けるのがいいとは判っているが、なかなかその踏ん切りは付かぬものである。

('16/11/19)