ヱビスビール記念館
- 「ヱビスビール記念館ランチ付見学ツアー」ペア招待に当選し、ヱビスビール記念館とその界隈(恵比寿ガーデンプレイス)を見学する機会を得た。私は最近はくじ運がますます悪くなり、勝負事嫌いの私が唯一参加するBINGOゲームですら、ここ数年一度も当たったことがない。私のBINGOは客(レピーター)寄せにクルーズ船船上で行われるゲームで、賞品がまんべんにばらまかれる。だから多分確率は10−20%の高率のはずだ。だのにこのざまだ。何だか大もうけした気分で出掛けた。あとで聞いた話では、このツアーは当選確率が5%を切っていたそうだ。
- 恵比寿ガーデンプレイスは、昔ヱビスビールの工場があったところで、工場は船橋へ移転し、跡地利用で大型の建物が入った。サッポロの本社もここで、記念館に隣接していた。その前の三越、それからビヤステーションなどが目に付いた。むかし山本周五郎の「青べか物語」に曳かれて、物語が書かれた頃を写した某写真家の作品展覧会を見に行ったことがあった(本HP:「浦安散歩」('03)、「写真展:水辺の記憶」('14))。その東京都写真美術館はさらに奧にあるはずだった。
- サッポロ本社の会議室に連れて行かれ、主催者側の挨拶と製品案内を受ける。ポッカサッポロのレモンの効用解説に、クエン酸のキレート効果の話が出た。カルシウムは体内に吸収されにくい元素だが、クエン酸にキレートさせると腸壁からの吸収効率が上がる。クエン酸は示性式が C(OH)(CH2COOH)2COOH で、錯化力もあるがイオン結合力もある。重金属では錯化が目立とうが、カルシウムぐらいならイオン結合の割合が強いのではないか。だったらちょっと元のイオンになりにくいかも知れない。キレート化合物になって水溶性も脂溶性も増すだろうから、腸壁を突破するのは容易になるだろう。でもカルシウムの生理的利用のメカニズムは別問題だ。うまく骨に送り込まれるかどうかは、まだ解明されていないのではないか。でも市井では骨粗鬆症とカルシウムの関係はよく聞く話なので、レモンに多く含まれるクエン酸の話は耳に残った。クイズにあったレモンの原産地は中国だとは知らなかった。垂仁天皇の頃、田道間守が捜した橘は、中国南方の柑橘類であったことを思い出すべきであった。
- 記念館に戻りエビスツアーに入る。このガイド付きのツアーは、予約が要るが誰でも参加でき40分ほどで終わるとパンフレットに出ていた。有料(500円)である。エビスギャラリーで展示物を見ながら歴史を聞く。今年140周年と云った。恵比寿の地名はヱビスビールの工場があったからで、商品名が地名になった珍しい例である。江戸時代は下渋谷村・三田村だった。恵比寿駅ももともとはこの工場が引いた専用貨物駅が発展したものだそうだ。パリ万博やそれに続く博覧会で金賞を取るほどに品質に拘った。銀座に開設したビアホールは日本初の試みで、この和製英語の名付親もヱビスビールだった。ビール1本20銭、ジョッキ1杯10銭だった。10銭は今の1500円だから、なかなかのハイカラ高級飲料であった。割竹を皿にしておでんが盛ってある。鞘を外した枝豆が敷いてあるのが特徴だ。これはそのビアホールで、冷やして夏季限定で出されたつきだしだそうで、いかにも日本風である。この恵比寿ガーデンプレイスにあるビヤステーションでは、おでんの伝統を踏襲しているとか。
- 次は、一段高いコミュニケーションステージで、ビール試飲になる。テーブルに原料大麦や麦芽のサンプルが置いてある。麦芽サンプルは焦げかたが違うが、同じ大麦だそうだ。私の好きな黒ビールは勿論一番よく焦げていた。精麦の最後の工程に焙燥がある。「ビールの科学」には、「麦芽を貯蔵できる状態にするために50−80℃に温度を徐々に高めながら乾燥し、最後に香しさや着色のために80−85℃で焙燥する」とある。着色麦芽では糖分の一部がカラメル化する。焙煎と書いて焙燥と区別しているようだ。これ1日がかりだそうだ。
- コミュニケーションステージは、昔の仕込釜を挟むような形に設置されている。大きな銅のこの釜は'87年までは現役の設備だったとある。天井に届く筒が2本付いている。細い方にはバルブが付いているから、麦汁の原料をこちらから入れるのだろう。もう一本は加熱のときの蒸気抜きなのだろう。「ビールの科学」には、仕込は発酵工程前の麦汁を造る工程で、製麦された麦芽や副原料から、発酵酵母の栄養である糖類やアミノ酸を作るとある。「ビールの科学」はサッポロビール関係者の著作で、そのエッセンスを私のHPに掲げている。
- 仕込釜中央の大筒も、そろそろ工場周辺に住宅が並びだあした頃の環境対策の、背の高い煙突に繋がっていたのだろう。精麦の焙燥の臭いは、香ばしいとはいえあまりに大量に排気するから嗅ぐ方は堪らなくなる。背高煙突に風見鶏(通風筒カブト)を付けて排気拡散に気を遣ったという。展示の恵比寿工場風景画には4本の煙突に確かに風見鶏らしき設備が載っている。別子銅山四阪島精錬所の排気公害対策に似た方法だ。その頃は薄めて空高くに排気するぐらいしか方法はなかったのだろう。
- ホップのサンプルもあった。佐倉の歴博付属のくらしの植物苑で、育っているホップを見たことがある。つる性植物で実はわがガーデンのクマシデのそれに似ている。ただし他人の空似で、ホップはクワ科、クマシデはカバノキ科である。ビールの泡の講釈があって、缶ビールからほどよい泡を作る方法を実演し、そのビールを全員に配ってくれた。3回に分けて注ぎ最後は細かい泡が盛り上がるようにする。泡3割が理想だそうだ。話はともかく、飲んでみて確かにほどよい泡の効き目を実感したのは収穫であった。
- ミュージアムショップには気の利いた小ものが並んでいた。家内はピータラを買っていた。ピーはピーナッツ、タラは干し鱈。昔懐かしいビールのつまみである。全部がそうかは知らないが、関係者が書いた小冊子が並んでいた。私は先日出たばかりの「大日本麦酒の誕生」(以下この本と書く)を買った。サッポロビールは、サッポロだけでなく日本の麦酒会社はどれもだが、複雑な歴史を持っている。そもそもルーツが札幌の開拓史麦酒醸造所と恵比寿の日本麦酒醸造会社だ。この本は今日までの歴史を漫談風に書いているのであろう。まえがきを読むと、「日本のビール史上、一番の逸話の宝庫は間違いなく馬越恭平でしょう。」とある。記念館前に大きな馬越恭平像があって、大日本麦酒の立役者だったと説明してあった。
- 大日本麦酒の社名はかすかに覚えている。この本によると、日露戦争のときに国内競争に血道を上げている時期ではないと、馬越恭平が音頭を取って、国産の3大ビール会社を合併させた。それが大日本麦酒である。3大ビール会社とは、渋沢栄一の札幌麦酒、馬越恭平の日本麦酒、鳥井駒吉の大阪麦酒(アサヒビール、アサヒは旭だった)であった。鳥井駒吉はサントリー(さん鳥井)の鳥井さんとは無縁の人である。麒麟麦酒は外資系で、長崎の観光名所旧グラバー邸のグラバー氏らが出資して設立した。徹底してドイツ直系技術を売りにして大日本麦酒と対峙する。初期100社以上を数えたビール醸造所は麦酒税法施行でバタバタと減り、23社になっていた。
- ビール小瓶に王冠の栓を付けたのが明治42年とある。今では当たり前でも口寸法が均一に出来る機械吹き製瓶とペアで初めて可能になった。ガイドがクイズだと言って王冠のギザギザは何個かと問うた。21個だそうだ。3点固定を素数の7回やっている。なるほどとガッテン。それまではコルク栓だったらしい。かの麒麟はドイツ人技師の頭が古かったのかコルク栓に固執したとある。王冠はビールの大衆化・販路拡大に役立った技術なのだろう。馬越がバドワイザーの麦酒工場見学の時に大いに感心して導入したものという。大日本麦酒は7割のシェアを独占する。
- シェア・ダウンして弱気になった外資は、麒麟麦酒を明治屋に売り渡す。これに3位の麦酒会社(ミツカンの中埜酢店)や4位のビ−ル屋(神戸製鋼、帝人などの鈴木商店)が絡んで、めまぐるしい吸収合併工場新設の攻防が展開された。3位のユニオンビールは社長が馬越の天敵で、三ツ矢サイダー、ガラス製瓶機会社などを吸収合併して、次第に大型対抗会社に成長してい行く。大日本麦酒の背景が三井で、麒麟麦酒の背景が三菱である。太平洋戦争突入で統制されるまでのビ−ル界のお話は面白い。エビスギャラリーに「二百十日」と中央に大きく縦書きした広告が展示してある。二百十日は台風の日。何の関係があるのかと素通りしたが、この本には阿蘇の旅館でビールを注文したら、女中がビ−ルはないが恵比寿がありますと答えたという漱石の小説「二百十日」が解説してあった。それを恵比寿の宣伝にしたのだと気が付いた。
- 隣のテイスティングサロンは、食券の代わりにコインを売っているビール試飲会場である。コイン1個が400円で、品物は全部その倍数の価格だ。メニューを覗くと秋のエビス3種飲み比べセットと言うのがあって、おつまみ付きでコイン3枚だった。私は地ビールブームのころ四国愛媛の丹原町に、梅錦ビールが開いた直営のビヤガーデンを思い出した。開所時はドイツからウエイターを呼ぶなど力が入っていた。ハーブ園が付属していた。ハーブ園は、私が植物に興味を抱く一つのきっかけになった。ビール以外の商売も手がけていた。今はどうなっているのか、地図からは消えている。気になったのでwebで調べた。'05年に閉鎖になっている。しかし同じ場所に梅錦ガーデン丹原麦酒醸造所があって、そこにはレストランやハーブ園や梅錦製品の小売店も健在だと知った。名前は変わったが実質は変わっていないらしい。レストランのメニューにはやっぱり例のセットが並んでいた。私は下戸だから運転手付きで行くのだが、同じような3種セットを、訪れるたびに飲んだのであった。
- 昼食はビヤステーションの2Fの1室だった。ビヤステーションは、記念館に模型が展示されていた恵比寿ビアホールを思い起こさせるような外観であった。和風ドレッシングが効いたステーキのランチだった。麦酒は飲み放題。お土産に貰った袋にはビールのほか「レモンじゃ」が入っていた。山手線は混んでいた。我々に席を譲ってくれる男女がいた。最近席を譲られることが多い。いつも一度は遠慮するようにしている。でももう誰が見ても高齢者になったのだと自覚するようになった。
('16/10/05)