1.3万年の人類史T

ジャレド・ダイアモンド:「銃・病原菌・鉄(上/下)〜1万3000年にわたる人類史の謎〜」、倉骨彰訳、草思社(草思社文庫 ダ1-1)、'12(原本は'97)を読む。本書はこのHPの「家族進化学」('16)、「アメリカ先住民激減の歴史」('16)での、先住民激減は感染症のためだけかと言う論題で引用した。本書は人類の1.3万年に及ぶ主に先史社会を大掴みに論じる大型の著作で、先住民に対する白人の残忍な処置は別として、読み通すだけの価値がありそうだと思った。
「家族進化論」('16)は真猿類を起源とした生活史になっていた。だから4000万年史と言える。表題の1.3万年とは最後の氷河期が終わってから今日までの期間である。700万年ほど昔にチンパンジーからお別れした人類が、目覚ましい文化的発展を始めるのがこの氷河期以降だ。ホモ・サピエンスの誕生は10万年前、その一隊が新大陸に移動するのは氷が溶ける前の1.5万年前頃からである。本書を読み出してすぐ気付くのは、翻訳がよくこなれた日本語文になっている事だ。内容を良く理解して訳している。
プロローグにヨーロッパ人とニューギニア先住民のどちらが賢いかについての議論がある。人種による優劣は、世界を征服したヨーロッパ人の至福の論理なのだが、著者はその悉くを退ける。IQ比較ならどうかと云っても、テストが子供時代の生活環境とか教育内容に強く影響される。逆に先住民は、ヨーロッパ人よりはるかに厳しい自然淘汰を長い期間に亘って受けている。おばかさんでは長生きできない。小さいときから生きるための智恵を積極的に学ばねばならない。娯楽的な受け身の時間潰しが出来る文明人とは異なる。この差が数千年の間にどう働いたかだが、著者はニューギニア人の方がずっと優れた知性を持っていると見ている。
プロローグの終わりに本書の構成と要旨を載せている。お急ぎの方はここだけでもお読みになると云い。「家族進化論」('16)に、エッセンスが取り込まれていることが分かる。本稿では、「家族進化論」('16)や「アメリカ先住民激減の歴史」('16)からはずれた項目や追加しておきたい項目のうち、6千年前からはじまり500年前ごろまで続いた、オーストロネシア語族の太平洋域インド洋域大拡散を、重点的に取り上げる。
「日本海」('16)に海流に関して日本海が大洋のモデルになると記している。人類学に関しては、ポリネシアが世界5大陸のいいモデルになる。原ポリネシア人はラバウルのあるビスマルク諸島ソロモン諸島あたりから船出した。Wikipediaには、彼らはオーストロネシア語を話すモンゴロイド系の民族で、元々は華南や台湾にいたが、東進する間にパプア先住民やメラネシア先住民と混血し、ポリネシア人の始祖となったとある。BC 1100年頃にはフィジー諸島に到達する。現在、ポリネシアと呼ばれる地域への移住はBC 950年頃からという。年代は本書と多少ずれている。あとどんどん東進北上南下して、AD 500年頃には居住可能な太平洋の島々のほぼ全部に植民を終えている。AD 1000年ごろにはニュージーランドに上陸した。
きわめて短期間に同じ祖先をもつ、つまり本質的には同じ文化・言語・技術を持ち、同じ種類の動植物を育てていた人々が異なる環境の島々に移り住んだ。原ポリネシア人は農耕と漁労を主たる生業とする民だった。つれだした家畜は豚、鶏、犬で、環境によりあるいは航海中に失われた場合があり、この3種が全部どの島にもいるのではないが、彼らがポリネシア海域に展開した有力な証拠の一つである。島には大小様々があり、岩山だらけであったり、平坦であったり、農耕不適当であったり、魚群に恵まれたりと生活環境は変化に富む。ハワイにまで到達したほどの優れた海洋民族だが、視界に入らぬ遠く離れた地域間の交流は殆ど無かったであろう。到着後の島民の歴史は環境がヒト社会に与える影響を如実に示す。
温暖地帯のニュージーランド北島のマオリ族は農耕社会を発達させ、人口は10万に達する。大陸同様の文化が始まる。食料生産に余裕が出来て、族長、僧侶、役人官僚、戦士、専門職人など農業に携わらないヒトが増える。首長集落が国家組織に発展し、ラグビーチームの雄叫びに雰囲気を伝える集団間の武闘が始まる。ニュージーランドに上陸するのと殆ど同じ頃にマオリ族の一部は、ニュージーランド南島の東1000kmのチャタム諸島に移民し、モリオリ族になる。そこはニュージーランド南島と同様、寒冷の小島群で、農耕に適さなかった。彼らは南島と同様に狩猟採取民に戻った。彼らの獲物はアザラシや魚介類に営巣中の海鳥などで、手づかみや棍棒程度の道具で日々を送る。武器とて同様だったのだろう。
小さい島で周辺に移民可能の島もない。そのせいもあって、人口は2000名ほどにしかならなかった。彼らは、統御の緩やかな、だが互いの闘争を避ける狩猟採取民に特有と云っていい社会に平穏に暮らすようになる。そこへ分かれて以来何世紀も渉って音信不通であったマオリ族が19世紀に突然現れる。黄金伝説に導かれて西洋人がジパングを訪れたように、モリオリ族の豊かな獲物の情報が偶然にマオリ族に伝わり、延べモリオリ族の半数に達する兵員をマオリ族が艦隊に載せて送り込んだのであった。モリオリ族は殺され食われ奴隷化されついに絶滅する。
ハワイ・ホノルルの中心部にカメハメハ一世の像が建っている。彼はヨーロッパ人から船と銃を買い入れ、ハワイを統一した。それ以前すでにハワイやトンガはポリネシア諸島の中で最も進化した石器文化の社会組織を持っていた。ハワイでは3万、トンガでは4万の帝国的集団が形成されている。人口密度は集約農業を反映して、1平方マイルあたり、前者で300人、後者で210−50人に達している。ニュージーランド南島などの狩猟採取民では5人、北島などの焼畑農業民では28人であるのと対称的だ。ハワイでは強制労役によりエーカーあたり24トンものタロイモを生産しているが、これはポリネシア域最高の数値である。
ハワイでは首長の血族は8つの階級に別れ、平民は彼らの前では平伏を義務づけられ、階級を超えた結婚はあり得なかった。首長は国王に匹敵する権力を持ち、土地の管理、食料の調達、灌漑施設や養魚池建設のための民の使役などを役人を使って実施した。世襲制の職人制が維持されていた。トンガの首長はヨーロッパ人が来たときすでに複数の諸島に跨る帝国を支配していた。トンガ諸島に近いフィージー諸島やサモア諸島とは交易をしながら、150人を運べるカヌーで構成された海軍を使って、これら諸島の一部を侵略し征服している。
ポリネシア人は土器文化新石器文化まで行ったが、ついに金属文明、文字文化には到達しなかった。だが船と航海術を進歩させ、世界最初の海洋民となって、太平洋の広い範囲に拡散することが出来た。原ポリネシア人はどこから来たか。とにかく西から来たことには間違いない。ジャワ原人は100万年前あるいはもっと古い人類と云われているが、現生人類ではない。
インドネシア・フローレス島で'04年に発見された原人の化石が比較的新しく、現生人類と共生していた時代があったのではないかと発表され、考古学ファンの注目を浴びた。最近のNature誌には、「新たな放射年代測定から、フローレス原人の遺骨と石器の年代は19万〜5万年前となった。従って、島に到来した現生人類に遭遇するまでフローレス原人が存続していたかどうかは、議論の余地がある問題である。」と載っているそうだ。フローレス島はジャワ島に繋がる一連の群島の一つだが、氷河期でも中国、大オーストラリア両大陸棚に繋がらずジャワ海の中に島として存在した。
現生人類は東南アジアからインドネシアへと移動を始めたのは5万年前である。大オーストラリア(オーストラリア大陸棚に入る全域)へは4万年前には到着している。彼らを先々住民と書こう。BC3500年頃に新に中国南部から台湾経由のオーストロネシア語族の拡散が始まる。以下先住民と書く。戦前我々が高砂族と呼んでいた地民を含めて台湾の先住民は今では全人口の2%ほどだが、彼らの言語には、マダカスカル島、マレー、インドネシア、フィリッピン、ビスマルク島からハワイに至るオーストロネシア語に属する。
発祥の地と推測される中国南部の沿岸地域には、オーストロネシア語を話す集団は全く現存していない。おそらく、中国北部から南下してきたシナ=チベット語を話す人々によって、他の何百もの古代中国語と同じように駆逐されてしまったのであろう。中国南部で話されたオーストロネシア語は、中国王朝の苛酷な政策から生き延びることが出来なかった。インドネシアからはインド洋を隔てた、アフリカに隣接のマダカスカル島の言葉が、ボルネオの言葉に近いとはにわかには信じがたい話だ。海洋民族性を如実に物語る。遺伝子的にはアジア人+黒人だそうだ。
先々住民も丸木舟タイプの舟を操り周辺諸島との交流は行っている。ポリネシア人の源流は既述の通りビスマルク諸島やソロモン諸島であるが、それらの島々では言語はオーストロネシア語に変わってはいるが、遺伝子的には先々住民系が優勢だ。ニューギニアとの距離は相当なものだ。でも大洋を股に掛けるほどの航行は無理であった。オーストロネシア人はまずは台湾海峡で修練を積み、ニューギニア沿岸に到着する頃(BC1600年頃)には、波浪に強いダブル・アウトリガー・カヌーを使いこなしていた。インドネシアの先々住民は先住民到着時でも狩猟採取民で、やがて遺伝子的にも言語学的にもすっかり姿を消してしまう。
しかしニューギニアとその周辺は事情が異なり、原住民が置き換わるまでには行かなかった。到達時ニューギニアではすでに農耕による食料生産が行われ、ことに地の人口密度は高かった。低地や沿岸にはオーストロネシア語の影響が見られる。しかし遺伝子の浸透は限定的だ。パプア語は世界の何処にも祖流を見出せない先々住民の言語である。この地域にオーストロネシア人はラピタ式土器文明を持ち込んだ。だがその発見場所は限定的で、大きな島々の沖合いの小島などである。ビスマルク諸島などの大きな島には大型の集落を作れなかった。400年後のBC1200年あたりになって、彼らは1600km以上離れたフィージー、サモア、トンガなどの太平洋諸島へ向かって旅立つ。その考古学的証拠はお馴染みの豚、鶏、犬の3点セットやラピタ式土器の破片である。彼らが太平洋の探検を終えるのは、AD1400年頃にニュージーランド沖のチャタム諸島に入植したときだ。それは西欧人が発見する1世紀前だった。
全世界規模の、壮大な先史時代から現代に至る人類史が展開する。今回はオーストロネシア人の拡散をテーマに纏めてみた。中国、アフリカ、オーストラリアに対する著者の見解も読み通して見たい魅惑に駆られる。

('16/10/09)