家族進化論V

ネアンデルタール人は、寒冷期のヨーロッパを生き抜いた我らとは違う系列のヒトである。ホモ・サピエンスとは1万年を共生した。筋骨逞しく我らより脳体積は大きかった。彼らは家族単位の小集団がいくつか集まって行動した。文化の芽生えは見られるが、狩猟道具、調理石器の進歩は殆ど無かった。言語能力が新人類ほどには発達しなかったことが、滅びの理由に挙がっている。これはほぼ定説になっているようで、私の「哺乳類誕生」('15)にも紹介してある。筆者は広く動物界を行き交う音声―音楽から、言語の発生を追いかける。
音楽は感情を喚起させて心や体の同調を高める効果がある。メスに対する求愛のときの発声は多くの動物に備わった生まれつきの行動である。鳥になると組合せを学習して競争する。新米のホトトギスと成鳥の歌声の差はヒトが聞いてもはっきり分かる。霊長類には縄張り宣言のような質がある。ただし多様な声を組み合わせることが出来るのはヒトだけという。例外もあるが、音声レパートリーの数は大きな群れを作る種ほど多いようだ。ニホンザルには34種類あり、近距離の音声では目的別に4種ほどに分類できるという。エチオピアのゲラダヒヒは、イネ科植物を食う点では親近感を持てる種だ。霊長類の群れ間の関係は敵対的だが、このヒヒはことに夜間には数100頭の大群を作って眠る。群れがノートラブルで過ごせる理由に彼らの多様な音楽的音声があると分かってきた。
チンパンジーもゴリラも情勢に応じた発声をする。ゴリラの胸叩き(ドラミング)も識別可能な個性がある。類人猿では音声だけではなく、表情や動作も入れて位や性別、年齢にかかわらず相手に自分の意志を伝えようとする。ヒトは直立二足歩行になって喉頭の位置が下がり声道が広がり、犬歯が退化して歯列がアーチ状になったおかげで、様々な音を出せるようになった。そうはなっていない類人猿の口腔は柔軟性に乏しく、出せる音が限られている。彼らは人間の言葉をある程度理解できても言葉はしゃべれない。霊長類の群れどうしは敵対的だ。ヒトがほかの霊長類とはっきり異なるのは、ヒトは所属集団のために戦うことが出来ると云うことだ。ネアンデルタール人には傷ついた仲間を思いやった証拠が残っている。だが他の霊長類も限定的だが仲間のために戦うことがある。それは赤ん坊の悲鳴が出たときだ。ゴリラの群れを追跡研究するときの注意事項は、赤ん坊の位置を把握することと云う。うっかり悲鳴を上げさせたらオスもメスも突貫して来ると云う。
ヒトの赤ん坊には絶対音感がある。だが言語能力を身につける3−4歳になるとこの能力を失い、相対音感になる。言葉の本質である。言葉の意味が音の高さによって違ってしまっては困る。言葉が出来ない類人猿は、絶対音感の音楽的コミュニケーションを使うだろう。音楽がコントロールできる群れサイズは基本的には10頭前後である。脳新皮質のサイズは群れサイズと強い相関がある。人類のは150人相当と云うが、狩猟採取民のそれとだいたい合っている。日本の行政単位の小字がだいたいそんなサイズではないのか。そしてそこが相対音感の世界、言語の発達した世界だ。ただし深く感情移入できる関係を同時に持つことの出来る「共鳴集団」の規模はずっと小さく、10−15人だという。私はそれがインナー・キャビネットに相当する数字だと思う(本HP:「学生がくれた勲章」('07)、「ヴェネツィア共和国の一千年」('09))。絶対音感からは卒業したが、そのとき培った共鳴の群れサイズは持ち続けているらしい。
初期人類の社会は、ゴリラ社会の特徴を伸ばして外婚の基礎を作った。ゴリラほどには堅固なハーレムを作り得ず、女は長期の子供の保護養育の現場で、男に父性を持たせる方向を見つけた。はじめは子育て参入で、母子だけに限定されていた向社会的な行動を男が獲得することから始まったのだろうが、草原地帯での危険な生活における効用はすぐ理解されたであろう。社会的父性の強化によって世代の分離を徹底させ、親族集団を外婚の単位にした。世代は横の広がりを作り、インセスト・タブーは縦の広がりを作る。親族と外婚の枠組みが家族の登場をもたらす。共感力を高め、協力関係を強化する仕組みが、音楽―言語というコミュニケーション手段であった。
鏡に映ったわが姿を自分と理解できるか。サルはダメだがチンパンジーは出来る。この実験はTVで紹介されたことがある。本書にはゾウやイルカ類も出来るとある。自己と他を区別出来る種は相互関係に緻密な社会を作れる。仲間に対して情に深い行動を、類人猿は時たま見せてヒトを驚かす。ゾウやイルカが知能レベルが高く脳容積も大きいことは衆知の通りだ。クジラの群れが、襲ってきたシャチを集団で防衛しているTV映像を見たことがある。
言語が登場するまで、人類は様々な知識をいくつかの神経モジュールとして脳の中に蓄積してきた。神経モジュールとは同じような問題を解決するための知識に対応する神経の束で、類人猿にもなると例えば道具の使用、例えば勢力争いの際の駆け引きなどに高度な発達状況を見せる。ネアンデルタール人はその最先端にまで進化したのだろう。だが言葉が出来るまではモジュールは互いに独立していて、相互に応用されることはない。ネアンデルタール人は生の素材を多様な用途に変換する機能を持たなかった。
クロマニヨン人の遺物は時代と共に進化を遂げている。言葉による知能の向上を物語る。言葉の神経回路に関与する遺伝子が発見された。それが生産するタンパク質を比較すると、アミノ酸配列が類人猿のそれとは2つ違うことが分かった。言葉は遺伝変革の賜である。変化は20万年前と計算できる。ホモサピエンスの登場は、ミトコンドリアDNAの変異より同じ時期と求められる。アフリカの化石も遺物も20万年前を支持する。登場したばかりのアフリカのホモサピエンスは生活集団としてはゴリラ並みから出発している。血縁関係にある2−3の家族という共鳴集団で、ネアンデルタール人とさして変わらず、音楽的コミュニケーションだけでも日常生活には困らなかった。
サピエンスの狩猟技術は、ユーラシア大陸に進出するとたちまちに多くの野生動物を絶滅に追いやった。ただヨーロッパでは先住のネアンデルタール人が強力で、なかなか進出が難しかった。中央アジアやオーストラリアより1−2万年遅れ、さらに共生の時代が1万年続く。狩猟採取民は定住生活に入る。ウクライナにはマンモスゾウの骨で造った1.8万年前の住居のあとがある。農耕が狩猟生活に入り出すのが1.2万年前あたりからという。定住化で人口が増加し社会は階層化して行く。農耕と時を同じくして、動物の家畜化が始まる。家畜化動物は大陸により違っていた。アフリカはついに家畜が出なかった。アメリカは1種だけだ。農耕と牧畜の違いはその後のヒトの生活に大きな違いをもたらす。豊になれた地域には、冨を独占する富裕層、それを守る戦士、農業以外の道具や装飾品を作る専門職など、社会の分化とより大きな覇権の拡張を願う動きが始まる。家畜との接触は病原に対する免疫力を高めた。それが新大陸発見のときの先住民の悲劇を引き起こす。
狩猟採取民はその日暮らしだ。彼らは、徹底した分配と交換で権威を抑える仕組みを持った社会に生きている。おねだりで渋々という分配はチンパンジーにもあるが、狩猟採取民のような、獲物を持ち帰りキャンプ全員が分け前にあずかるような仕組みではない。「分かち合い」は家族内だけの向社会的な関係を共同体内部に広げた結果である。複数の家族の間で緊密な協力関係と分業が可能になっている。その上広範囲の移動、家族単位の離合集散があって、集団同士の交流を深めている。今の我々の社会生活の基本が見られる。
焼畑農耕民は狩猟採取民の1/40ほどの土地で生活できる。それが大きな人口差になって狩猟採取生活を後退させた。規模が大きくなると平等原則は維持しがたくなる。リスクを抱えながら先々のために投資せねばならぬし、協力体制に応じて労力と収穫の配分を決めねばならぬ。収穫物は投資者のものとなるのが当然の帰結だ。貢献度に応じて支払われる分配になって行く。人口増が領地拡大と集団間のトラブルに繋がる。農耕牧畜社会では分業が多岐に亘るようになり、ますます多くの専門家集団を抱えることになる。
チンパンジーは類人猿のなかでは目立って攻撃性の高い種だ。オスたちが他集団のオスを襲い、ときには集団を壊滅させ乗っ取ることがあるという。その闘争の結果の死亡数は、同じ規模の小集団である狩猟採取民のそれとほぼ同数だという。ところが農耕民の集団間の争いで死亡した数の平均値は3倍を超える。人口とその密度の増加がストレスを増進している。3倍程度で済んでいるのは所有の権利関係譲渡関係のルール作りが行われ、社会に徹底されている証拠と云える。定住と食料生産は数百名ほどの集落形成を可能にした。ネアンデルタール人にはない規模だ。家族単位の女の交換で繋がる準血縁関係共同体には同胞意識が醸される。もう言葉無しにはそんな集団は成り立たない。しぐさや音楽だけでは、はっきりと意図を相手に伝えることは出来ない。
首長を備える数千人規模の社会は、7500年前ごろからと云う。大規模戦争の幕が開いた。首長の豪華な墓が出現し、死後の世界を観じることで自己犠牲の精神の動機を作った。首長の率いる集団のために奉仕し、命を捧げねばならない。家族観念の拡張だ。この観念は次の国家に引き継がれ、国家を支える基本的な精神として利用されることになる。家族という共同体の最小単位はホモ・エレクトスの時代から今日に至るまで、数々の大変革を経験しながらも、変わることなく維持し続けられた。奴隷や捕虜ですら家族を持つことは許されるのが常であった。家族は人間の最も古い文化的な装置だ。柔軟で力強い社会組織であり、ヒトをヒトたらしめる人間の心の拠り所であった。
今、家族が揺らいでいる。敗戦が家の崩壊をもたらしたのは事実だが、通信手段の発達が大きな要因であることも事実だ。ラジオにTVの一方通行の時はまだよかったが、インターネットやスマホの普及で、ヒトは仮面を被った状態で遠距離の相手と自由に無責任に交信できるようになり、親兄弟子孫といった「分かち合う」べき肩の凝る相手から遠ざかる傾向を助長している。共感と同情、奉仕といった何百万年間家族に向けられてきたヒト精神は、バーチャル空間を彷徨っている。日本の合計特殊出生率は人口再生産を拒否している。東京はダントツに出生率が低い。最先端都市ほど家族拒否傾向が強いことを意味している。私は、ヒトは家族への貢献を期待できない子供を作ることに、意味を見出せなくなり出したのではないかと思う。
久しぶりで大型の議論に出会った気がする。「あとがき」は著者の本書に対する要約だ。ここだけでも一読されることを皆さんにお勧めする。

('16/09/15)