日本海

蒲生俊敬:「日本海〜その深層で起こっていること〜」、講談社BLUE BACKS、'16を読む。私は戦中京都北端丹後半島の一寒村に一時期集団疎開したことがある(「敗戦記念日」('98)ほか)。その縁でか、いつまでも日本海は懐かしい存在である。エチゼンクラゲの大量発生、山陰沖の松葉ガニの味覚、富山のホタルイカの生態、山形のサケ孵化事業、秋田のハタハタ漁の再生、ダイオウイカなどは大人になってからの情報だが、日本海の水産業に関する話題は幾つも記憶に残っている。本書は水産業には論及しない。その基本となる日本海のダイナミックスを論じる。
伊根の舟屋の写真が出ている。私は昨年海側からじっくり観察させて貰った(「京都から丹後へU」('15))。潮の干満差が激しいところなら舟屋など成り立たない。太平洋側の八戸なら大潮の時に130cmだが、日本海側の深浦では20cmだとある。日本海の容積の割に出入り口の海峡が狭くて浅いからだ。対馬暖流と北西季節風のもたらす恩恵は、西アジアの日本海類似の垂れ流しの風呂桶・黒海との比較で明らかだ。黒海には大河ドナウ川が流れ込むが、大海との出入り口は一つで大きな水の入替が表層と深層の間におこらない。水深150m以下は無酸素状態という。「国土と日本人」('16)では、日本の河川の急峻さが利用可能水量を圧縮していると嘆いて見せた。でも日本海を渡ってくる北西季節風は、暖流の水蒸気をかき集めて大量の雪を降らす。天然の造水装置と表現されている。豪華客船ではエンジンの排熱で1立方m/人・日の造水をするが、いつも高価な水だと思う。それがタダなのだ。堆と海盆は比較的に歳を取ってから知った。見えない海底の凸凹が水産にいい影響を与えている。
北大西洋から北太平洋を結ぶ海流のコンベアベルトがある。この壮大な話はNHKのサイエンス番組で初めて聞いた。このHPの「海のなんでも小事典」('08)にも少し纏めてある。循環周期は1000−2000年という。C-14の放射能減衰から測定された。駆動力はグリーンランド沖や南極海の表層海水の密度上昇による沈み込みだ。熱塩循環という。海水は真水と異なり密度は温度が下がると高くなる、氷結すると氷から塩が吐き出されて塩分濃度したがって密度が上がる。北海道大学気象力学コースのHPに、南極底層水はコンベアベルトの深層循環の36%を占めるとある。生成は南極全体からではなく、ベルトに対応した3箇所から湧出する。南極大陸沿岸から出たこの重い海水は、地形に沿ってであろうか、まっすぐ北に向かう水流もあるが大陸沿岸に沿って西向きに流れた後北上する流れもある。南緯55度から65度あたりで東向きに北大西洋深層水流と合流する。
日本海の沈み込み海流は、ウラジオストック付近のリマン寒流に起因する。対馬海峡が浅いため対馬暖流の深層の大洋との入替はない。循環周期は100-200年だ。大洋に比べて底層に至るまで酸素リッチ(200μmol/kgに漸減)であるという特徴はあるが、大洋のコンベアベルトの変化を先駆的に表現するミニチュアとして注目される。
韓国が「日本海」を「東海」と呼ぼうと世界に呼びかけてから、俄に日本海呼称問題が浮かび上がったことを記憶している。結果は韓国内以外では「日本海」になって、何かと「日本」に言いがかりをつける国だと少々うんざりした覚えも残っている。本書にはそんな経緯は一切書いて無いが、日本海という呼称を使った最初は日本人ではなくフランス人で、1750年日本帝国図にMER DU JAPON(日本海)と書いてあると指摘してある。後続の航海者も「日本海」を使った。今はそんな話は消えたが、すべてに朝鮮ではなく韓国と言い直せという要求をしていた時期があった。動植物の固有名詞にはチョウセンが付くものが多いが、朝鮮人参をカンコクニンジンと云えと云うのかと、新聞に載るほどの真面目な話題に仕上げる心が分からなかった。
日本海の科学的探査の歴史が書いてある。1万本あまりの瓶を日本海に投入して海流を調べた。3割弱を回収したという。閉鎖的海域だからこその回収率だと感心した。今は軽量高感度高精度の電子工学的センサー万能の時代だ。ついこの間までは匠の技が光る機械工学的測定が幅を利かせていた。海底に届くほどの長い綱に一定間隔の海水サンプラーと温度計をくくりつけて下ろす。採水の時はサンプラーが上から順にひっくり返る仕掛けになっていて、ほぼ同時に鉛直方向のサンプルが確保された。温度計が張り付けてあって、サンプル瓶と一緒にひっくり返ると水銀柱が途切れて、そのときの温度を示す。
海水年齢を調べるのにC-14のガンマー線放射を使ったが、既述のとおり、C-14の6千年に近い半減期に対し循環周期は100-200年の短さだから、差の検出には200リットルものサンプルが必要だった。今は質量分析器で原子の数をカウントする。サンプルは超微量で済む。原爆水爆実験による人工C-14の影響除去の話も入っている。温度計の精度も驚異的な改良を見た。海水も深層底層になると断熱圧縮で昇温する。その補正に触れてある。理屈は分かっていても、5000mの海底で0.7℃も上がるとは思わなかった。塩濃度は電気伝導度で測ればいい。そんな進歩を背景に海盆の深層底層の循環流の特性が急速に解明された。底層には上部と下部の区別があり、下部では完全に均一な温度を取る。大洋の底層では下に行くほど温度が下がる。底層流の酸素濃度はウラジオストックあたりが最高で遠ざかるほど徐々に下がる。
NHK SP:「日本人はるかな旅」('01)では、氷河期の終わり(2万年ほどの昔)ごろ津軽海峡を(マンモスを追いかけて)渡ってきた(本書では津軽でなく対馬海峡を3-4万年前にとある。明示の引用文献はない。2万年か3−4万年かは、日本人の祖先が縄文人か、旧石器人かという問題かも。)ご祖先の子孫を北九州の縄文人墓地からDNA研究(バイカル湖湖畔の原住民との相似性)で発見した話が衝撃的であった(本HP:「日本人の起源」('01)、「日本人になった祖先たち」('07)、「新進化論」('08)ほか)。NHK:「体感!グレートネイチャー「海に大激流が走る!〜オーストラリア・潮の絶景〜」」では2万年前オーストラリア大陸とニューギニア島が陸続きだったと説明した。
2万年前とは最終氷期極相期で、津軽海峡は深さ10-20mで幅2-3kmほどだったとある。対馬海峡は同程度の深さだが幅は15kmほどの水路だった。間宮海峡と宗谷海峡は閉ざされていた。湖沼の歴史解明にボーリングによるコア試料を用いる。ときおりTVなどで紹介されるから知っている。でも海底のボーリングは大がかりだから誰でもやれるわけではない。日本海は国際深海掘削計画に基づき大きな櫓をもつ掘削船に来て貰って行われた。コア試料の有機物含有量から海水の酸素濃度が、浮遊性有孔虫の化石から表層水の、底生有孔虫からは底層水の情報が取れる。例えば有孔虫化石のO-18/O-16比は水温により変化する。Mg/Ca比も古水温の再現に有力な手がかりだという。
日本海は氷河期に何度も深層の無酸素状態を経験した。外洋からの海流量が極度に減少(今の1%以下)して、最終氷期極相期期の塩分は今の2/3ほどに下がる。熱塩循環が止まり酸素が届かない150m以下は死の海になる。豊穣の海への転換は1.9-1.0万年前の津軽海峡からの親潮の流入から始まった。対馬暖流が本格的になり日本海の底層が酸化的環境に回復したのは8千年前ほどからである。
十三湖を訪れたことがある。ほどよく海に伸びた砂洲がある。畔の十三湊は中世の貿易港であった(「津軽」('01))。日本海沿岸には潟湖が多く、天然の良港をほどよい間隔で分布させている。これに季節風が重なって日本海交易圏が出来た。秋田城跡政庁跡を見学したことがある(「大人の休日倶楽部パス(東北スペシャル)U」('12))。この政庁跡は733−830年の100年間機能していた。渤海使使節団を接待した物的証拠:寄生虫卵が残っていた。浄化槽から豚の寄生虫卵が発見されたが、当時豚を食う習慣は日本になかった。京都に向かうのに秋田に着いたのだから、日本各地との交易が主目的だとしても、当時の航法の精度が分かるというものだ。だが魅力ある交流だったようで、日本から15回、渤海から34回も往復している。
近世の北前船は著名だ。私は北前船寄港地の旧廻船問屋を見学したことがある(「伏木」('05)、「富山と岩瀬」('10))。本書にやはり寄港地として出ている三国湊は歴史的建造物の保存のいい土地だったが、廻船問屋の建物はなかった(「福井と三国湊」('10))。18世紀になると、船(弁才船)はヨットのように風上に向けてジグザグに航海できたらしい。日本海の名前を地図に初めて書き込んだフランスの艦隊(既述)は、2隻の北前船と遭遇している。内1隻は弁才船だったが、もう1隻は幕府肝煎りの1500石船「三国丸」だった。三国とは日本、オランダ、中国で、それぞれの長所を取り入れた折衷船だという。艦隊士官によるスケッチが残っている。西洋からは三角帆を取り入れた。風上遡上に力を発揮させるためだろう。中国からは、スケッチには出ていないが、ジャンクの特徴である隔壁構造を取り入れて、海難に強い船にしたのではないだろうか。「大人の休日倶楽部パス(東北スペシャル)」('12)に、青森の船の博物館で見た和船構造を記してある。和船には隔壁はなかった。
球温暖化は日本海に確実に影響を及ぼしている。温暖化は高緯度において著しくなる。北西季節風の弱体化により降雪量が減少する。金沢の降雨量は変わらないが、降雪量が減っている。年間最深積雪高は'60年頃は90cmあったのに、今は20cmほどだ。深山の雪は天然のダムだ。雪が減ると利用可能水量が減る。日本にとって痛い話である。寒気が減って熱塩循環の勢いが衰える。循環が2000m以下では止まってしまった。その証明は原水爆実験で増加したトリチウムTの分析で明らかだ。微生物の活動で底層の酸素濃度はじりじりと下がってきた。この80年で17%減った。微生物は炭酸ガスを吐き出す。だから海水のpHを下げる、酸性化する。表面水では21年間に0.06−0.07ほどだったが、底層水でも0.03−0.04下がった。
私は加曽利貝塚に出掛けたことがある。巨大な主に海産の貝殻の貝塚だ。7千−3千年前の縄文人の住居跡だ。今では海から数km以上離れた内陸にある。でもイラストには部落の傍に川があって小舟が浮かべられていた。加曽利貝塚博物館HPには、海面は今よりせいぜい1−2mほど高い程度のように書いてある。加曽利の縄文人の生業が海産物採取だったとしたら、古代人の感覚では海の暴威から安全な標高は、ぎりぎりが25mぐらいだったことを示す。千葉市埋め立て地住宅街の標高は2−3mほどで、科学と工学の5千年の進歩は安全意識を25−2=23m分だけ切り下げた。本書では温暖化によって海面は世紀末には1mほど上がるとある。海面以下の地盤に建つ住宅もある東京に比べればまだいいが、この1mは沿岸庶民には深刻な問題である。
平易で、索引があり文献の記載もある。なかなかの良書と思う。無闇に読者を脅かすような空論がないことにも好感が持てる。

('16/05/31)