儒教とは何かV

NHK地球ドラマチック「玉(ぎょく)の衣をまとった王〜古代中国の栄枯盛衰〜」は、古代中国の壮大な皇帝墓諸侯王墓を紹介していた。皇帝墓が豪華絢爛なのは当然だが、諸侯王墓も豪壮で、発見された金縷玉衣の断片を撮していた。前漢後期で国力が衰えた時期の墓だと云う。玉の接続には金糸ではなく銅の金メッキ糸だったということで、台所事情が苦しかったことは分かるが、それにしても地方諸侯ですらこれほどだとは、中央集権への抵抗がいかに強かったかを物語る。
皇帝制中央集権国家は、徹底的に皇帝の手足となる官僚を必要とする。これが成功するのは、隋唐あたりからで科挙合格者の登場台頭による。官僚の選別は漢代では、最終的には天子が口頭試問をするのだが、推薦が中心だった。それに売官売爵がある。魏晋南北六朝時代になると、中正(大・中・小とある)という選抜官が推薦することになるが、情実とコネから解放されないでいた。隋にいたって科挙の制が整備され、それが13世紀に亘って継続される。それまでも選考の基準であったが、科挙の制になってからは儒教があからさまに試験の基準となる。科挙の試験内容を細かく描写してある。明治の頃の清の日本留学生の処遇が書いてある。帝大を卒業し学士の称号を取ると、進士の二甲にランク付けされた。進士は科挙の最終試験である殿試(天子隣席の試験)合格者で、成績により一甲二甲三甲の3ランクに分けられた。私は技術士の試験を受けたことがある。答案に字数制限があって往生した。同じようなことが、科挙の試験にも行われていたとあったので懐かしかった。
官僚は儒教をマスターせねばならない。儒教は国教と同じ位置にある。科挙の試験は○X方式ではなく、論文方式なのだろう。一次試験(郷試)のときはいざ知らず、上級では儒教の内容が諸説紛々では困る。「丸暗記」すべき経書の解釈は宋代の儒者のそれが標準になる。科挙の制が完成するのは宋代である。「儒教とは何かU」までに述べられたとおり、儒教はもともと大型の中央集権国家など想定していない。宋代において中央集権制にマッチさせた新儒学(宋学、朱子学)が展開される。
後漢後半から儒教は仏教と道教という強敵を持つことになる。その頃から中国には動乱が相次ぎ、人々は日々の生活や前途に不安を抱くようになり、その精神的な救済を求めるようになっていたと一般的には説明されてきたという。著者は動乱の中心的位置にあった貴族(中共同体支配者)が儒教理論で動いていることを指摘し、対抗勢力の過大な評価を避けたいとしている。儒教の弱点は魂の向かう先の話:宇宙論・形而上学(存在論)に弱い点であった。朱子学はそれまでの宗教性と礼教性に哲学性としての宇宙論、形而上学を加えるものであった。
その原型は太極図という展開だそうだが、中味は正直言ってさっぱり判らない。陰陽、動静、五行(木、火、土、金、水)などお馴染みの言葉が出てきて、要するに虚と実、精神と物質、抽象と具象に対する二元論に原始的原子論を挟んだような話と思う。Wikipediaによると、韓国の国旗は通称太極旗と呼ばれる旗である。儒教文化圏の国なのだ。白地の中央に置かれた赤と青の2色からなる「陰陽」で「太極」を表し、その周囲四隅に「卦」が配置されたデザインとなっている。また太極拳は太極思想を取り入れた拳法だとある。筆者は朱子学を唯物論・素朴実在論的立場を取る中国人の伝統にのった議論だと見ているが、今の中国の哲学史学会では客観的唯心論とする。これは唯物論的唯心論という奇妙な解釈だと註書きしてある。とにかく哲学の話は、禅問答もいいところだから好かぬ。
宋代にいたって、科挙の制に基づく官僚が中国社会を動かすようになる。推薦官僚ならば推薦母体に尽くすことが大切だが、科挙官僚は選んでくれた皇帝への忠烈を意識する。一段上の判断、さらには社長であったならではの判断をせよとは、サラリーマン時代にときおり上司から聞かされた教訓だが、それに相当する国家意識や公的決断における立場意識の原動力は、経典の新解釈という形で朱子によって開発された。でも「道学先生」の固いイメージにもかかわらず、科挙官僚(官)の汚職は絶えなかった。あいかわらず官の下の実務官僚(史)は土着世襲であり、彼らを動かすポケットマネーも含めての役得は伝統的に必要であった。中国の現代の汚職構造についてのコメントである。
国教化した儒教はますます礼教性を高めて行く。それは本質である宗教性との解離を意味する。朱子は自身の存在論(理気二元論)から祖先崇拝という核心に迫った。鬼神論と云うそうだ。鬼は俗に言う幽霊(死者の霊)で、神は霊妙なもの。招魂儀礼で祖先の魂が下りて来ると云った発想は、輪廻転生的で新儒学では排除すべき思想である。でも鬼も神も儒学古典には質素な姿で次々に現れる。朱子は矛盾が矛盾でないとする論理を縷々述べたが、かの江戸期の大学者・林羅山も匙を投げたように、結果は混沌誤魔化し状態で終わったという。現代人の私から見れば全くの空論ではある。
朱子学に対する批判として、明代には心の自由の陽明学が起こる。清代には考証学が実績を上げる。しかし科挙試験は朱子学を基本としていたため陽明学考証学の世間への浸透は、限られたものとしかならなかった。朱子学の影響力は科挙の制の廃止、清王朝の崩壊で急速に弱まって行く。明清代にキリスト教の布教が進む。キリスト教がぶつかった最大の問題は、祖先崇拝の壁だった。仏教も朱子もそう言えるのかも知れない。仏教と朱子はなんとかくぐり抜けたのは上記の通りだが、キリスト教は一神教でキリスト以外に礼拝の対象はないから超根本問題である。いまだにキリスト教信者が人口の数%を超えないのは、唯一神の許容性に問題がある。
小学校では教育勅語を暗誦させられた。その一節「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相ひ和し、朋友相ひ信じ」は孟子の「父母に親あり。君臣 義あり。夫婦 別あり。長幼 序あり。朋友 信あり。」から来たという。近代国家らしくするために、君臣と夫婦に関する儒教倫理は省かれた。戦争に負ける頃まで、儒教倫理に関する著作は多数出版された。仁、義、礼、智、信の5つの徳目に纏めるのが普通である。仁は愛だが、キリスト教の博愛ではなく、まずは父母への愛でそこから順に血族、宗族へと広がる愛だ。国家が人民を救済した例など乏しい中国では、宗族が最大の共同意識対象で国家への関心は低い。今の共産党はその意識の改革に躍起となっている。昔は血族宗族は、我が身の置き所の周辺にあったから、自然と地縁共同体への愛にも繋がる。漢字は表意文字でものの形を表す。中国人の実物主義の傾向と通じるものがある。
仏壇とそれに纏わる行事が、仏教ではなく儒教から来ていると知ったとき(「儒教とは何かT」)仰天した。巻末に「家礼図」略図が紹介してある。朱子が纏めた「冠婚葬祭」礼式の葬祭の部分だ。祭壇の位置から、葬儀の衣服、並ぶ順序と位置まで細々と規定してある。官僚とか知識人はこぞって礼法の博識ぶりを競うことになったのだろう。儒学を礼学と定義したがる学者が多いのも頷ける。
私は仏壇を身体で分かっている世代である。親が仏壇を清め敬う姿を幼少の頃から見ていたから。35年昔のNHKドラマ「夢千代日記」に、刑事に追われる芸者が、親の位牌が入った小さな仏壇を、最後まで手放さなかった話があった。記憶に残ったシーンである。仏壇離れをした次の世代その次の世代なら、このドラマを見てどう感じるのだろう。私は嗣子ではなかったので、仏壇は受け継がなかった。この年齢になって、仏壇購入を考える。自動車1台ぐらいの値が付いている。ちょっと遅すぎると思うが、親から渡された儒教的生命観を、子孫に継いでやらねばならないかと思うのである。
このHPの「老舗製造業」('07)に宮大工の会社「金剛組」は、1400年続いているとある。日本では100年ぐらいでは老舗に入らないかも知れないが、中国では3代も続かないのが当たり前だそうだ。同じ儒教文化圏にありながらその相違はどこから来るか。それを養子の取り方で説明してある。血族でなければならぬ中国は、血のつながりに拘るが、入り婿、入り嫁でもいい、その家のヒトになってくれればいい日本では、組織に対する感覚が違う。日本では禅定相手の候補範囲が広いから、組織が転けにくいのだ。
江戸末期の庶民の「読み書きソロバン」の普及は、世界に類をみない高水準であった(「大多喜藩廃藩の頃」('97))。現在でも当時の日本の教育水準に及ばない国が、まだ世界にはたくさんあると心得る。日本のスムースな近代化に素晴らしい貢献をした。維新後も地方民はこぞって小学校建築に寄付している。儒教では前6世紀の成立以来一貫して子供の教育の重要性を主張してきた。それと朱子学の思考方法が、自然科学の因果律的思考に近い点が、近代化に利したとして指摘されている。
その他諸々の儒教の今日が描かれている。初版が26年前だったから、少し古いと感じる面もなきにしもあらずだが、久しぶりで「読んだ」感じを味わった本であった。

('16/02/28)