
- 「ぼんのくぼ」とも「ぼんのくど」とも読む。「ぼん」は項(うなじ)の中央部である。項は首のうしろあたり、つまり首筋であるから盆の窪はその中央の凹んだ部分と云うことになる。
- 「御宿かわせみ」を読んでいると盆の窪が盛んに使われているのに気付く。岡っ引きやその手下の下っ引きが、同心あるいはその上に対して改まって話をするようなときに、居心地の悪さを隠す仕草として、「盆の窪をさわりながら」と言った表現で出てくる言葉である。最近では滅多に聞かぬし、文字としても見ないいわば死語である。近頃は誰もが互いに対等でこんな言葉が入るシチュエーションは限られているのだろう。うぶな異性間の仕草にまだ残っているかもしれん、いやそんな風に思うのは年を取っている証拠だなどと思って苦笑する。
- 「御宿かわせみ」にもう一つよく出てくる熟語は平仄(ひょうそく)である。捕物帖だから断片的事実からいろいろ想像力を働かせて犯人を割り出さねばならない。その思考過程でたくさんの仮説が出るが、全部の事実を満足できる仮説はなかなか見つからない。平仄が合わぬものが殆どである。すなわち平仄はつじつまと言う意味に使われている。この言葉も最近では滅多にお目に掛からぬ。盆の窪と同様に、これも一応は広辞苑を引かねば意味に自信が持てなかったから、私にとっては死語同然である。
- 小説読むと作家の癖に気付くことがある。真田太平記では瞠目であった。驚きを表現する。これはたまに目にすることもあるので死語ではないのだろうが、現代用語でないことは確かである。小説に限らず専門の論文でも癖用語にいろいろお目に掛かる。私の専門では敬語に泰斗(オーソリティ)をよく使われるそれこそ日本の泰斗がおられて、見るたびにお顔を思い浮かべる。
- ゴム用語辞典が刊行された。その中に「たまねぎ理論」と言う項がある。理論かモデルかは議論があるが、「たまねぎ」とは私の命名である。もう10数年も前にそんな名前である理屈を発表した。生き残って字引に入っている理由の一つはネーミングにあると思う。外国でもその訳語は onion だった。どちらも覚えやすくまた真面目な学会用語としては面白かったのだろう。癖とは個性に通じる。覚えて貰うには中身はもちろん大切だが、作家が何かアカンベしているような用語はまた人を惹き付けるものらしい。
('97/12/4)