「風景画の誕生」展
- Bunkamuraザ・ミュージアムの「風景画の誕生」展に出掛けた。
- 早昼を済ませて11:39千葉みなと発の快速に乗り、新木場で東京メトロ有楽町線に、永田町で半蔵門線に乗り換え、渋谷駅には12:49に到着。少しもたもたと目標を探しながらだったから、13時過ぎだったろう、地下2Fの会場に入った。2時間あまり鑑賞。例によって520円の音声ガイドレシーバを借りた。音声ガイドのナビゲーターは俳優の榎本孝明さんで、馴染みの声で明朗に説明した。入場者は、私の前後は私と同じく招待券者だった。鑑賞者は多かったがほどほどで、人だかりのために行動が妨げられるわんさか展覧会ではなかったのがよかった。
- 展示の絵画はウィーン美術史美術館の所蔵だ。ビデオで紹介していたが、オーストリア・ハプスブルグ家の贅をこらした美術館の一つで、膨大なコレクションを誇るという。「レオポルト・ヴィルヘルム大公のギャラリー」という絵があって、ハプスブルグ家のオランダ提督ヴィルヘルム大公の収集絵画室が描かれている。そのなかに今回来日の2点が小さく描き入れてあるという。美術館の収集水準の高さを物語る話だ。テーマに合わせて70点が選ばれた。ウィーンのこの美術館ではフラッシュ無しなら写真撮影OKらしいが、日本での展覧会ではNOであったのが残念だった。日本の博物館や美術館は必要以上に写真撮影を毛嫌いする。
- 一巡しての感想だが、展示品は流れがつかめるようにうまく選別されている。中世の、神話や聖書の物語に取材した画にも背景に生活があり、自然がある。画の重点が物語の人物像から牧歌的な風景の描写に移り出す。宗教改革、ルネッサンス、産業商業の発達が、芸術のパトロンを教会から王侯貴族あるいは富裕商人層の手に移らせる。月歴画(カレンダー)の1月から12月までが月ごとに描かれるときには、もはや画題の約束事としては聖書や神話から解き放されているようだ。16世紀後半頃から自立した風景画が描かれるようになった。以下何点か印象が強かった作品を紹介する。
- バッサーノの月歴画には当時(16世紀後半)ごろのイタリアの農村の生活風景が飾らずに濃縮して描かれている。描かれる農民の堂々たる体躯には圧倒される。我が国の農民は概して中肉中背でやや痩せ形に描かれているのが普通だ。食糧事情が違ったのだろうか。5月はチーズ作りの風景だ。TVでスイスの山岳地帯のそれは見たことがあるが、私には馴染みがない風景で興味深かった。ヴェネツィアの製糸場と機織場(7月)はカイコの繭を鍋に入れ糸を紡ぐところを正面に据えている。イタリアが絹織物の産地であったとは、記憶からは薄れていたので驚きだった。死んだカイコは家畜の餌になったとガイドは云った。11月では農夫が家具を荷馬車に積んで立ち去って行く。農閑期に仕事はないから、雇われ農夫は農場を去るのだとガイドは云った。栗をフライパンで焼いている。収穫期でもあるのだ。貯蔵庫に収納するための作業も描かれていたように思う。何月かを示すために空に星座のシンボルを入れてある。
- フランドルの画家ファルケンボルフの「東方三博士の礼拝(1月)」の博士の一人は黒人だ。16世紀初期の南ネーデルランドの画家の「東方三博士の礼拝」でもやはり黒人だった。私は3人の内1人は黒人として描くものだとは知らなかった。聖書にそう書いてあるのかなと思い、Wikipediaで調べた。書いてなかった。他の著名画家の画を調べた。黒人として描かない方が普通のようだった。「五千人のパン(7月)」も聖書に題材を取っている。
- しかしファルケンボルフの「夏の風景(7月または8月)」は黄金色の麦の収穫と休憩の風景で、貧しそうな家屋が並ぶ農村の平和なひとときを描いている。中央のこざっぱりとした服装の主は農園主だという。彼の館は描かれなかった。奧に麦束を運ぶ荷馬車が小さく描かれ、脇に羊が20頭ほどの牧場がある。さらにその先に田園風景が淡く広がる。群像の1人1人に結構個性が出ていて表情もある。16世紀も終わりに近づいた頃には、西洋には「個人」意識が芽生えてきたことを教えているようだ。江戸期の日本の群像絵画では、描かれた人物の顔立ちはほとんどが画一的である。個の、社会の中での重みが、画の中にも出ているのではないか。この「夏の風景(7月または8月)」がパンフレットや入場券を「飾る絵」になっている。
- もう1点の「飾る絵」がフランドルの画家パティニールの「聖カタリナの車輪の奇跡」(1515年以前)で、TVの旅行番組でしばしば登場するアドリア海の真珠ドブロヴニクを、後背山地から眺めたような姿に描かれている。その山地で聖カタリナの車輪の奇跡(Wikipediaを見て、ローマ皇帝改宗に働いた聖女カタリナが車裂きの刑を受けたときの奇跡という意味らしいと判った。)が起こっている。この聖書の物語が炎を中心に暖色で絵の前部を占めるが、遠景には青味の勝った寒色系の色使いで港や城塞都市、軍兵らしき集団などが描かれている。寒色と暖色の対比は遠近効果を持つそうで、寒色の方の景色を見る目に、遠くに感じさせるとあるが、むしろ夢に浮かぶような遙かな風景といった感覚にさせるという方が正しいと思う。小振りの城塞は当時にはあちこちに見られた景観だったろう。写生ではなく画家のイメージだろう。何処と特定できるものではないようだ。
- 「聖カタリナの車輪の奇跡」の城塞には城門を初め要所要所に立つ塔が目立つ。塔ことに廃墟の塔はノスタルジックな感性を呼び起こすきっかけになるものだ。イタリアは芸術家にとっては憧れの文化中心地であったし、定着して画業で生活を立てるにも好都合な環境であったと云えるのだろう。文化中心地として意識されていた事実は、イギリス貴族の子弟に流行ったグランド・ツア−でも証明される。グランド・ツアーについては、このHPの「18世紀イタリアへの旅」('00)に載せている。塩野七生:「ローマ亡き後の地中海世界〜海賊、そして海軍〜T」、新潮文庫、'14(本HPに紹介あり)の巻末には、中世に建てられたサラセンの塔の写真が数多く付けてある。サラセンの塔とは地中海を荒らし回るイスラム海賊に対する地元民の、自衛のための望楼あるいは砦であった。外来の芸術家にとって、崩れかけた塔の印象はその後の画業で構図として取り入れられた。この展覧会ではブリルの「塔の廃墟のある川の風景」(1600年)やペイナーケル「ティヴォリ付近の風景」(1648年頃)がそれだ。たしか国立西洋美術館の常設展示絵画にも似たようなモチーフの絵があった。
- ファンケンボルフの「盗賊の奇襲が描かれた高炉のある山岳風景」(1580−85年頃)は、アンデルセンの「即興詩人」の高貴な姫君が山賊に囚われる挿話を思い出させた。定着した生活が営まれている場所のごく近隣の山地で、旅行者1人が山賊2人に襲われているところが主題である。ヨーロッパ中世の治安の悪さが推測される。高炉と云っても16世紀だからごく小規模のものだが、きちんとした建屋から煙突が突き出ており薄い煙が出ている。どんな製鉄法だったのか興味が沸く。
('15/11/08)