武士の娘U
- 著者は14才で在アメリカの日本人実業家と婚約した。何年かの準備期間を経て(「武士の娘T」)いよいよ渡米結婚。結婚祝いが続々と届く。旧家来筋、旧使用人筋も何らかの形で祝いの心を届ける。純和風の品々はアメリカ生活には無用だと知りながらも、母は家のしきたり通りの支度で花嫁を送り出す。定紋付きの雛人形も入っていた。陸蒸気の線路が長岡にまで延びていて、先年は八日路であったのが18時間に短縮されていた。乗船して婚約者・松雄が迎えるプラットフォームに下り立つまでは、伝手から伝手へたどる着物姿の一人旅だった。日本では男と同席した事のない著者は、馬車の中でドギマギする。汽船船上のダンスパーティの女性の衣装が、いわゆる諸肌脱ぎなのに仰天する。男の前で肌を見せるなどとはもってのほかという教育を受けていたから。ホテルのエレベータにも驚いたらしく、詳しい記述がある。何もかも大型で自由奔放なアメリカに心惹かれる。下宿の女主人フローレンス未亡人は、もう1人の母上として生涯交際する相手である。
- 家族(家の子)同然だが厳格に分を弁えた日本の召使いと、フローレンス家の雇用契約の召使いの対比がしてある。フローレンス家召使いの親切に、御菓子料と書いた紙包みを渡そうとして、現生を裸で渡せばいいと松雄に笑われる。掃除のやり方まで目新しい。フローレンス家に保管されてあった英米戦争時代の軍服から、戊辰戦争で捕虜となった父に対する敵の取り扱いが、いずれ切腹する(間一髪の切腹前の政府通達で助かっている)ものの誇りを傷つけぬものであった話が出る。武士道を語る逸話は結構出てくるが、この著作の品格を高める著述の一つになっている。
- 地元婦人会の活動は著者の見聞を広めるいい窓口であった。教会の寄付集めで一家の財布の所在を知る。日本では主婦が大蔵大臣で、ときには夫の小遣いまでの家計の隅々までを把握する、夫は必要経費を稼ぎ、妻に手渡すのに誇りを持つ、百何十年後の私の家もほぼそんなだった。米国では財布が夫の手にあり、寄付金の5ドルを捻出するために、夫に対していろんな手練手管を使う井戸端会議の様子を伝えている。風習の違いはありとあらゆるところで眼につく。教会で男は帽子を取るが女は取らない、なぜ。装飾品に満ちた部屋は著者には雑然と物が置かれた納戸に見える。陶器が飾り物になっているのに不思議がる。松雄の商売から来るのであろうが、親しくなった家々には、日本の品々が本来の意味とは無関係に飾りとして取り入れられていた。娼婦模様が場違いに壁を飾っていたときには、著者は赤面する。逆に日本での舶来品の不可思議な使い方も聞かされ、異文化会合の際の度量の持ち方を悟る。
- 日本の作法がお辞儀を中心にアメリカのそれと対比させて語られている。キスとか感情を爆発させる仕草は、少々の予備知識はあったものの著者には非常に衝撃的であった。だが阿るような妥協には著者は反発する。松雄が経営する店は日本製品専門だが、安っぽい派手で粗悪な品が多い。アメリカ人が日本の職人に発注して作らせたものという。日本人による本当の日本製品は当地では売れない、だから店の商品棚にはない。文化の品位を下げる行為ではないかと著者は思う。私は「7月の概要U(2015)」の中で「おもてなし」を合言葉のようにして浮かれる観光業界に疑問を呈したが、本書の著者も同じような思いをしている。
- 風俗比較談義に母から聞いた大名家大奥の華やかな雪合戦が出ている。万聖祭(前夜がハロウィン)に相当する北越の作祭が紹介されている。南瓜の中味をえぐり取って花提灯にして遊ぶという。今に伝わっている遊びなのだろうか。第1子は女児で花野と名付けられた。長岡からは母と召使いから岩田帯と鬼子母神の護符が贈られている。岩田帯を作法通りに腹にまく様子が描写されている。本書の鬼子母神伝説は私はもう忘れ掛かっていた。著者は祖母や母からの口伝えをよく記憶しており、折々のご近所さんとの会話に古典の和歌や俳句を織り交ぜた話をしている。「朝顔につるべ取られて・・」に因んで朝顔の種を井戸の側に蒔く。黒人の洗濯女が足袋にたいそう興味を抱き、赤子を見せてくれと云う。日本人は足指が2本かと思っていたという。著者は着物姿を通していたらしい。日本人が西洋人の靴を見て、西洋人の足は馬の蹄のように1本指だと思っていたのと同じだとある。所々のエピソードは今更に誤解先行の文化理解のわなを感じる。
- 第2子千代の生誕ののちに夫・松雄を失い、3人は東京に引き上げる。女中を雇う。また実家からは代々仕えてきた忠実な召使い女が派遣される。この贅沢さはhigh societyならばこそだろう。まだ幼い2人の姉妹の激変する環境の中での心の葛藤と順応ぶりが描かれている。日本語知識の貧弱な花野を、渋る公立小学校の3年に入れ、著者も学校に出席して、家で花野に英語混じりの復習をさせる。帰国子女の先駆けだ。アメリカ国籍は望んでも難しい時代だったようだ。その花野に、生まれ育ったアメリカへの望郷に近い憧れが強く残っている事に、遊び姿や口に出てくるアメリカ国歌から感じる。母が引っ越してくる。著者はアメリカナイズしている2人の娘と、いつの間にかアメリカに染まっている自分と母との仲立ちに注意を払う。
- 稲垣家に伝わる怪談が出てくる。側女と小姓の不義密通が露見して、2人は家の作法に則り自刃する。側女きくのは主人に愛しまれていた。嫡子を為していたが、その子は家を嗣ぐ事は許されず、仏門に入れられた。主人は以後「きく」を一切避けるという家法を作る。菊花は飾られず、下女も本名にきくがあるときは別名で呼ばれた。自刃の2人を稲垣家は無縁仏として供養し続けることになる。自刃の部屋は開かずの間として子孫に伝わる。壁にはきくのの血の手形があったという。稲垣家ほどの家格だと、家の断絶を避けるために、側女を2人置くきまりがあったそうだ。母は臨終に際し、この無縁仏の法要を姉とキリスト教徒の著者に頼んでゆく。なぜかキリスト教徒の兄が顔を出さない。著者の教会の牧師が、母の弔いを仏式で行うことに心を煩わせていたとある。
- 戊辰戦争で捕虜となった父は江戸送りとなる。夜中使者が来て最後の別れをさせるという。母当時20才は網乗り物の父と対面する。父は「奧か、刀を預けるぞ」と一言言っただけだった。官軍本格進出がせまり、母はまず家来や召使いを落ち延びさせる。幼い子供たち(長女ですら5才)には乳母をつけて、それぞれの里方に逃がす。里方は農家だった。乳母にはそれぞれ一振りの懐剣が渡された。稲垣家の邸宅は母の手で焼き払われる。2年間ほど隠れ住み、放浪しながら釈放の父と兄と再会し、一家の生活再建が始まる。戊辰戦争で、会津藩家老西郷頼母の家族・母から娘までの8人の女が自決したことは有名だが、敗軍側には類似の悲劇がどの藩にもあったことを意味する。武家の女の道であった。
- 再渡米に先立ち故郷を訪れている。著者は1927年に累計30年のアメリカ生活を経て帰国した。再渡米は子女の教育が目的であったようだ。花野はもう日本に戻らぬつもりであった。さて故郷。育った頃の長岡の町の面影はもう失せていた。長岡の旧宅は取り払われ女学校に変わっていた。兄は東京で実業家になりきろうとしていた。しかし養蚕地帯の旧家に嫁いでいた姉の婚家には、しっかりと著者の少女時代を思い出させる環境が残っていた。実家の「宝物」も姉の婚家に預けられていた。土蔵に保管されている婚礼と葬儀のときの資材が紹介されている。嫁入り衣装の白無垢は、最後の旅立ちのとき経帷子の下に着るものだそうだ。だから大切に保存されている。葬儀人夫の揃いの着物、定紋なしの裃や白い紐の付いた召使いの着物、脚絆から巡礼わらじ、葬列用の藁の大笠など全部揃えてあったという。首桶には驚かされた。武士は罪を悟ったとき自決して首を差し出す。そのときの首桶で、自決により罪は消え、丁重に首桶は家に戻されるものだとある。
- 優れた日米文化比較論である。日本の明治維新の頃から大正の初期にかけての風習道徳の急激な変遷ぶりを挟んで、それでも控えめながら「武士の娘」の確固たる信念を語る言葉が印象に残る。
('15/10/05)