飛鳥Uの駿河紀州クルーズ

秋分の日の前日に戻ってくる5日間の掲題のクルーズに参加した。出発前日にマグニチュード8.3の巨大地震がチリ沖で発生したという報道があった。津波が来ても、東京湾は奧が広いから、リアス式海岸の東北などとは影響の度合いが違うはずだ、と高を括っていた。それよりも小笠原群島あたりから北北東に進んでくる台風20号が問題だ。船が大揺れにならなければいいがと心配していた。飛鳥Uは小笠原クルーズからの戻り故、あるいは台風に足止めされるのではないかとも思った。PCでMarine Trafficにより飛鳥Uの位置を確かめると横浜港港外に来ている。で、安心して集合時間15:15に間に合うように出発した。私の家からは2時間半は掛かる。
旅行会社からの着電があったので横浜駅で電話を返し、初めて津波注意報が解除されないために、飛鳥Uは港外にいまだに待機中だと知った。この日はぱしふぃっくびいなすも同じ立場にあった。大桟橋は今までに見たことがないほどに人で溢れかえっていた。あとで知ったのだが、飛鳥U乗客が600名あまり、びいなす乗客が500名ほど、ほかに港内遊覧船Royal Wingの乗客もいたので、1100名あまりが桟橋にいた勘定だ。結局乗船まで、4時間半ほどを椅子に腰掛けて過ごした。
確か津波到着は朝の6時頃と聞いていたのだから、なぜさらに12時間あまりも注意報が解除されなかったのか不思議である。反射波が大回りで日本にやってくるとしてもせいぜい3−4時間多いだけのはずだ。気象庁のお役人は、乗客の迷惑によりも、万一の失点の方に関心の重点があったのだろう。横浜の中華街に出て夕食を摂ろうとも思ったが、先が読めないので安全のため動かなかった。船のシェフたちも往生だったろう。その日のディナーはお夜食程度になってしまった。船側はお詫びの印かどうか知らないが、1人5千円の船内買い物サービスをした。何も地震に成り代わってお詫びすることはないのにと思った。
出発は遅れたが次の日は予定通りの時間に清水港に到着した。静岡鉄道の新清水駅に歩いて向かう。この2kmは長かった。静鉄清水線は複線で、2両連結のワンマンカーだった。自動改札になっていて、各駅に駅員がいたかどうかは知らないが、スイカが有効だったのは助かった。新静岡駅まで約25分。車窓から見る景色は街中を走る市電といったものだった。ときには軒すれすれに走る。新静岡駅から15分も歩いたろうか、駿府城二の丸東御門をくぐる。復元したやぐらと補修による石垣や濠で辛うじて昔の駿府城を再現している。東御門と巽櫓の中は家康関連の市立の資料館で、今日は400年祭(天下泰平まつり)最中だとかで入場料無料だった。駿府城が3重の堀に囲まれていたこと、幾分高地にあり、周辺は今川氏時代には多くの河川が流れていた平地だったが、河川工事で流れをまとめ今に近い姿にしたものらしい。もう少し城内を歩きたかったが、時間制約があるので、引き返す。戻り道の福祉会館で身障者ショップに立ち寄りクッキーを買う。通りの小さな店でウナギのつくだ煮を発見、駅に隣接する百貨店せのばの地下で、何やら海苔を基本にした新食品を見つけお土産用に買った。新清水からはタクシーで飛鳥Uまで戻った。入船町とか築地町とか港町にふさわしい町名を見た。
次の日、和歌山港に予定通り着岸。広い港だが我々以外の船の影はない。9時のシャトルバスで和歌山城駐車場に運んでもらった。55.5万石紀州徳川家の壮大な城。西の丸庭園は土地の起伏を巧に取り入れた名園だった。西の丸と二の丸を結ぶ御橋廊下を渡った。緩やかな太鼓橋で、橋板の重ね方で足の滑りを防いでいた。屋根と側壁のある箱形の橋である。天守閣は国宝であったが、戦争で焼失した。また大阪城に移設した紀州御殿は昭和22年に火災で失われた。現在のコンクリート製の城は私が大学を出るころに再建したものと言う。300円払って再建天守閣に入場。3階建で、各階に関連歴史遺物を展示。天守閣は大小の2天守で成り立っているが、小天守及び各隅櫓には上らなかった。天守を回廊が繋いでいる。その一角に井戸と結ぶ埋門があった。護国神社に参拝してから昨日開館したと言う歴史館に入って見た。天守閣との共通券になっていた。どうと言う展示物は置かれていなかった。
城を出て繁華街を目指す。鷹匠という名の町を通る。その方向は歴史館1階の土産物屋の店員に聞いたもの。1km程も歩いたであろうか、ぶらくり丁という名のアーケード街に来た。しかしシャッターが下りた店が多い。聞いてみるとJR和歌山駅あたりの方がにぎやかになっていると言う。正午になったので、とある百貨店風の1Fのパン屋でサンドイッチの昼食にした。和歌山はラーメンだそうだ。列が出来ていたラーメン屋は、魚を使った出汁が特徴だとか。土産物としての梅製品に関心があったので、専門店をもとめて街中に戻ったが、思い通りの品がなかった。結局2時のシャトルバスで岸壁に戻った。大阪を近隣に持つからだろう、街中はあまり活気が無いように感じた。日曜日であったせいもあるだろう。バス途中で花王の工場わきを通った。また方向指示標識から隣の下津に丸善石油の製油所がかってあったことを思いだした。
このクルーズでは高野山の僧侶・山口文章師の講演「究極の聖地高野山の伝承−1200年の歴史が語る真言密教の魅力−」と徳川宗家18代当主・徳川恒孝氏の講演「受け継ぎたい江戸の遺伝子」があった。このクルーズの目玉オプショナルツアーが高野山訪問だし、駿府城も和歌山城も徳川家ゆかりの旧跡だからお二方は適切な選択である。女人禁制時代の高野山の女人参詣風景とか、徳川時代の日本の発展ぶりなどが印象に残った。家康以後100年経た第7代吉宗(紀州徳川出身、将軍の地位を尾州徳川と争った。吉宗は緊縮財政派、尾州徳川当主は消費奨励型と云った。家格は尾州の方が上。)あたりが徳川時代の曲がり角で、侍と町人の実力が逆転する。維新前で国民の識字率が世界ダントツの9割(男子、女子でも6割だったか)だったという指摘も出た。このWebサイトの「近世展示改装の歴博 」('08)や「お江戸風流さんぽ道(その2)」('05)に歴博や県立総南博物館で見た寺小屋や識字率の話を載せている。中韓と近代化に於いて根本的に違っていた条件はこれだ。
プロダクションショーが面目一新した。題名は初日がカラー、2日目がリズム・オブ・ライフ、4日目がロスト・イン・タイム。ロスト・イン・タイムは今年の7月からSAIKAWAに替わった2代目マジシャンのTAKUYAとプロダクションキャストメンバーによるイル−ジョンショーで、テンポの良さが承けた。第3日目には和歌山ローカルショーで黒潮・躍虎太鼓保存会が3曲演奏した。戦勝太鼓だそうで強弱の激しい勇ましい響きだった。お茶会が11Fの和室・遊仙で開かれた。我々は初代飛鳥から数えてもう10数年のレピーターだが、茶室のお茶会を見たのは初めてであった。
入出港の歓迎風景は賑やかだった。吹奏楽団の演奏はつきものになった。今回は清水港出港のとき高校生による琴の連弾があった。女子に混じって男子の奏者が2人いた。

('15/9/23)