「南京事件」の探究T

北村稔(現:立命館大学教授):「「南京事件」の探究〜その実像をもとめて〜」、文春新書、'01を読む。戦後70年の記念再版だろう、第11刷であった。骨のある名著として受け入れられているのだろう。本Webサイトで「南京事件」を検索するとずいぶんと出てくる。纏まった著作としては、ヘンリー・S・ストークス:「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」、祥伝社新書、'13(本Webサイトの「英国人記者が見た「靖国神社参拝」「慰安婦」「南京大虐殺」」('13))が印象深かった。また北村稔:「中国は社会主義で幸せになったのか」('05)の紹介を同名の題で本Webサイトに載せている。北村氏は中国近現代史を専攻する歴史学者で、序論を読めばすぐに、資料証拠重視の学問的立場からの労作だとわかる。ただ読んで困るのは、私の当時の地政学的知識の不足だ。せめて1枚の地図を挿入して欲しかった。
70周年を記念して、中国系アメリカ人らがサンフランシスコに中国国外では初となる「抗日戦争記念館」を開設する動きが報じられた。南京事件など主題なのだろう。日本では「南京事件」に関する書籍論文が多数発刊されているが、それらが「抗日戦争記念館」に日本側の研究として展示されるなら、記念館として本物だろう。ただただ反日の政治的シンボルとするだけが狙いなら、すぐ記念館としての生命を失うことになるだろう。それにしても「従軍慰安婦像のアメリカ設置」「抗日戦争記念館のアメリカ設置」などアメリカに言いつけずにはおれない人々とは、どんな文化背景の民族なのだろう。私は「8月の概要(2015)」に、戦争を知らぬ日本人世代に、やはり戦争を知らない世代になった中韓人はいつまで踏み絵を踏ませたいのかと云う意味の言葉を書いた。本当に未来志向をしたいのなら、踏み絵を仕掛けた方が悟るべきテーマである。
「南京事件」の頃中国軍は、日本軍に対しほぼ連戦連敗で、重慶政府の最重要戦略は米英ことにアメリカを戦争に巻き込むことであった。国民党国際宣伝処は重慶政府の諜報作戦本部とも云うべき性質の部署だが、「国際宣伝に於いては中国人は絶対に顔を出すべきではなく、中国人の抗戦の真相と政策を理解する国際友人を捜して代弁させる」方針を当初から打ち出している。処長自身が、「手当を支払う等で代言人になって貰い中国人は陰に回る曲線的宣伝方法を常用した」と云っている。国際宣伝処に勤務し後に著名なジャーナリストになったアメリカ人セオドア・ホワイトは、回想録に「アメリカの言論界に対し嘘をつくこと、騙すこと、中国と合衆国は共に日本に対抗していくのだとアメリカに納得させるためなら、どんなことをしてもいい、それは必要なことだと考えられていた」と述べているそうだ。戦中の情報戦略として当然だが、その内容を真実と称して歴史の塗り替えに利用するとなると問題なのだ。その区切りが彼らには出来ない。
誇大表現は中国人のお手のもの。「白髪三千丈」「悪事は千里を走る」などそれ自体は文学的表現として感心するが、目的のためには手段を選ばずに活用すると、歴史捏造に直結し、犯罪的行為になる。東京日々新聞が報じた「百人斬り競争」は中国軍との戦闘模様なのだが、それが歪められて「(中国人)殺人競争」になり、その記事のために新聞に載った2士官は死刑になった。殺人競争として収録した「WHAT WAR MEANS」は、「南京事件」をいち早く世界に周知させたことで有名な書物である。その本の著者はティンバーリーで、当時上海在住のマンチェスター・ガーディアン特派員である。北村さんはティンバーリーの履歴と行動を丹念に洗い直し、彼が当時重慶政権の国際宣伝処に勤務するスパイであったと暴露する。その生活水準、機密費の使いぶりとのミスマッチにまで迫っている。
8/20の読売は知的財産関連の法改正に関する社説で、日本を「産業スパイ天国」だとした。終身雇用、年功序列の代償のように、社員の企業に対する忠誠心が当たり前であった頃の守秘体制が崩れ去った今日では、「産業スパイ天国」化は当たり前だったのかも知れない。天国化のもう一つの重要因子は日本人のお人好しぶりである。これも「古き良き時代」の犯罪率の極端に低い日本社会に生きるものにとっては、大陸型の「人を見れば泥棒と思え」を社会常識に出来るはずもなく、当然のように身につくセンスがお人好しであったと言えよう。通信社の二重性格(ニュース伝達と政治的情報操作)を百も承知のはずの通信社上海支店長ですらティンバーリーを正義漢として高く評価し続けた。外務省外交官補、上海派遣軍報道部部員、総領事も、国際宣伝処方針の推進を任務とする彼の行動を見抜けなかった。
東京と南京の軍事法廷は「大虐殺」を認定した。WHAT WAR MEANSはその第1級資料となった。だがティンバーリーは法廷に立つことはなかった。行方をくらますか隠れる理由(裏の顔)があったのだ。この本ですら軍事法廷の云う、組織的かつ長期間の「大虐殺」に触れていない。多数いた中国現地在住の中立欧米人の数多くの証言も、民間人に対する暴力行為が、乾いた日本兵の小集団による散発的行為だと認識している。戦時下の占領直後の占領軍と現地軍残党や現地民間人とのゲリラ戦と占領軍側の暴力行為、植民地では平地においてすらしばしば見られた原住民に対する暴行略奪放火強姦行為はいやと云うほど文字にされ報道されてきた。別段日本と中国の間だけの事件ではない。
事態を複雑にしたのは降伏兵士の行動と日本軍の対処である。南京守備軍は、司令官がおそらくは主要幹部と共に政府と共に南京から退去したあとの、指揮者不在の軍隊になっていた。近代戦争としては前代未聞の事態だった。スターリングラード包囲戦で降伏したドイツ軍の総司令官の元帥は最後まで現地に留まっていた。シンガポール陥落でのパーシバル中将然り。フィリッピンのコレヒドール島要塞から逃げたマッカーサー元帥の例はあるが、残されたアメリカ軍はきちんと降伏の手続きをしている。だが中国軍はなんの手続きもせず、兵士たちは軍服と銃火器を棄てて民間人の姿になり、大都会に潜んだ。南京には安全区があり欧米人による国際委員会が設けられていた。主にそこに逃げ込んだようであった。彼らはのちにゲリラ兵となって勇敢に戦ったものもいたし、まっとうな民間人を志向したものもいる。占領直後の日本軍はどうすべきだったのか。日本軍は掃討作戦を行い、計画的に処刑した。1万名を数える。武装のまま立てこもり戦争捕虜となった2万名の処置は現地部隊に任され機銃掃射で終わった。この2万名はハーグ条約で保護されるべき対象で、明らかに日本軍はそれに違反した。
北村氏は、戦争が強固に政治にリンクしている文明史的史観が日本軍上層部にすら欠けていた点を指摘する。それに曖昧に現場任せにし、一貫した統一思想行動が取られていない。上海から南京への急進撃は称賛に値するだろうが、補給が追いつかないから、日本軍自身が明日の食料に困っている。そこに2万の戦争捕虜を抱え込んだらどうなるか。出身地に戻って農民に戻るならいいが、中国軍の精鋭も含まれている。食糧配給に困って現地解放すれば中国軍に復帰してゆくかも知れない。だが一方で安全区国際委員会の手に日本軍側から食料が手渡されている。担当分野は誠実にこなす指揮者がいる、しかし大勢をオーバービューできるヒトがいない無責任体制だったと云えよう。戦後に日米両軍を比較して「尉官までは日本軍が優れているが、佐官以上ことに将官になると米軍がずっと上だ」と云われたことを反芻する。
以下「南京事件の探究U」に続く。

('15/8/24)