風波と津波
- 保坂直紀:「謎解き:津波と波浪の物理〜波長と水深の不思議な関係〜」、講談社Blue Backs、'15を読む。題名から一般理系教養書と思ったが、内容は中高生向けの理科本である。ヨット競技のときは風を読まねばならない。水面に起こる風紋を捜すのである。クルーズに出ると三角波に出会うし、うねりには異常な高波がときおり船を襲う。過去の船舶事故の理由に、それを数える調査結果もあったのではないか。豪華客船が津波を被る映画(ポセイドン)があった。あんなケースは沿岸から離れている洋上では起こりえないのではないか(本書にも最終章にそう書いてある)。海上大洋の波は私にとって興味津々の対象である。
- まず風波から。波浪のドライビングホースは風力だ。時々刻々風速風向風量が変わる風に押されて生じる水波は、始めから雑多な波の集合体であるとカンでわかる。洋上は嵐でも少し潜れば静かだ。潜水艦の映画で我々は疑似体験的に覚えている。高校の物理で表面張力波と重力波の区別は知った。重力波の運動は複雑だが、流体自体はその場所で近似的には円弧を描くように運動すると教わったように記憶する。本書のはじめの方にいまだに重力波は完全には解析できていないとある。数学的にはフーリエ級数的表現が出来るはずだ。そんな意味の話も出ている。構成個々の波を調べても全体の物理的な意味は出てこないという意味だろうか。水波の物理学的解析の基本は、重力波ではあるが、白波になるほどの大波ではなく、波長に比べて波高の低い複数の小波の重複現象として捉えることから始める。よく理論物理学で行われる摂動法の一つだ。私は高分子溶液論で出会った(「宇宙の未解明問題」('10))。級数展開における第1項を近似値にするのと同じ意味で、要素要素の相互干渉を省いている。
- 波の水粒子が円運動をする理由を定性的に説明してある。波面の傾斜は重力と直角方向つまり水平方向の分力による加速度を生じる。波面の傾斜方向は正負に振動する。それに横波としての上下動が加わって円運動になる。水は圧力は伝えるが摩擦のない理想流体と仮定してある。この仮定では普通の水では考えなければならない乱流も起こらないから、エネルギー損失はなく、波は深さに関係なく同じ振動を繰り返すことになる。これだけの説明なら楕円運動になると云ってもいっこうに間違いではないが、運動方程式に書き直して解いたら円運動になるのだろう。この点が本書のキモである。今までのBlue Backs本と同等に考えてしまい、一般教養書と間違えて買う私のような人間もいるのだから、また間違わすような題名にもなっているのだから、著者は正確な運動方程式ぐらいは註書きすべきであった。
- 小さな潜水艦は洋上では大揺れで料理どころでは無かろう。ところが潜水すると揺れが止み「美味そうな匂い」の凝った?料理すら作れると、私は小国民の頃から知っていた。戦中のアニメ映画:「フクちゃんの潜水艦」の一場面のバックミュージックの歌詞にあった言葉をいまだに覚えているのだ。波の下ではたえず上下左右の乱流拡散と、乱流の作る速度勾配を主因とするエネルギーの摩擦損耗が起こっていて、ちょっと深くなるとたちまち波の振動が収まる。表面の円運動に比して、水深が波長ほどにもなると、なんと0.2%にまで減衰するという。円運動の減衰について例え話の説明があるが、著者の苦心はわかるにせよ、私にはかえって混乱誤解させるような話のように思う。
- うなり現象は水波にも起こる。波長の異なる水波には相互干渉性が低く独立性がある。これは波の分散性を意味している。波長の長い波ほど速度が高い、たとえば波長100mだと自動車の速度(45km/h)だし、波長10mだと遅い自転車並み(14km/h)だ。波長と速度に緊密な関係があるとは知らなかった。同じく液体を通る粗密波の音波は速度は振動数と無関係だ。だから音波は一旦混じると分離できないが、水波は波長の長い成分が遅い成分を通り越して前進する。波長がよく似たもの同士によるうなりでもちょっと両者では意味が異なってくる。
- この違いは水波の群速度と位相速度の相違として現れる。シマウマの群れによる例え話は、うまい比喩のつもりかも知れないが、群れの前と後にまた同じような群れがあると述べていないから、やっぱり読者を困惑させるだけではないか。位相速度が普通に眼にする山や谷の進行速度だが、群速度は位相速度の半分という水波独特の速度だ。波長100mの波と99mの波がうなると、10kmの波長のうねり波の群が22.5km/hでゆっくりと追いかけてくることになるとある。台風の風波の波長分布は広いだろう。群は複雑な幅広い波のはずである。クルーズには何度も出ているが、波の群れを意識して眺めたことは一度もない。
- 非分散波では波高の重なりだけで求めるところを、分散波であるために波長による速度差を補正せねばならぬが、定性的本質は変わらないはずだ。でもなぜ半分になるのだろう、書きぶりでは常にそうであるように受け取れる書き方だ。群速度を持つ合成うなり波は成分波の和に近い波高になるエネルギーを伝える波である。波長と速度の双方が互いに少し異なる2つの単振動の合成振動式から、うなり(beat)に相当する項を数値計算すると、波長100m付近では、うねり波の波長を10kmと与える限りは本書の通り、位相速度と群速度は倍半分の関係であることがわかる。しかし波長と速度は比例関係にはないので、波長が100mを外れると倍半分にはならないだろう。うねり波の波長の求め方あるいは実測値は記載がない。参考文献を記載すべきである。
- 風波の波高はレイリー分布するとある。1000回に1回ぐらいは、冒頭に云ったように、倍近い高波があることになる。波長分布については記載がないので、法則性はまだ見つかっていないのだろう(科学書は知見の限界をはっきり書くべきだ)。海岸線に近づくと海底近くでは、水は円運動が出来ず水平運動に切り替わる。全体が水平運動になり、波はエネルギー保存のために急に高くなり、波頭近くほど水速度が速くなって白波になって海岸で砕ける。
- この極端な姿が、津波である。海底のプレートの滑りで起こる津波は100kmからの波長で、東北大震災(波長は短くて20kmほどとある)で見たように、まるで海の山が盛り上がるようにしてぐんぐん高速で迫ってくる。波高は沿岸になると高くなるが、洋上では漁船を転覆させるほどの高さもない。津波は地震の初っ端から水平往復動で、本書で言う海底を感じる波である。海岸に近づくときグリーンの法則で波高が一次近似ができる。気象庁のHPを見ると簡単な式で、水深の1/4乗に反比例して波高が上がるという式だ。これでゆくと水深1mの気象庁の云う津波の高さは、水深1000mの沖合いの波高の5.7倍になる。
- 津波の早さは(水深)X(重力加速度)のルートとして求まるという。これはフルード(Fr)数=1を意味する。ネットで調べると、ニッポニカには、開水路の流れの断面平均流速と水面を伝播する微小振幅長波の波速の比とFr数が定義され、流れに作用する慣性力と重力の比の平方根と解説されている。Fr=1は限界流で、長波の波速が平均流速であることを示す。津波は長波の代表だ。太平洋の水深は平均で4000m、そこを津波は720km/hほどで進む。初期のジェット戦闘機なみの速度である。零戦は最高が650km/hほどだったと記憶する。
- 今までの風波では波長が速度に大いに関係したが、津波では無関係で、非分散波であることを意味する。なぜだ? たった一度(東北大震災は2回)の海水の盛り上がりとその崩壊が作る波だから、第一義的には波長分布など無いことと同意義なのか。実際の津波は分散波を含む上に、非分散波としても波長分布を持つものらしいが、数値も図示もしてない。ネットには解析に非線形分散波理論を適用する試みまで出ていて、よく分からない。海岸まで接近すると、波頭は水深が深いから速度が早いが、谷の部分では水深が浅く従って遅い。だから頭が砕けて白波になる。海岸に近づくほど速度が落ちるから、長波は海岸線の地形に沿うように変形して進む。
- メキシコ市はもともとは湖沼の真ん中の島に建てられた町であった。柔い埋め立て地層に地震があると、周囲の固い地層の反射で多重重複現象がおき、大災害になると昔々聞いた覚えがある(本Webサイト:「長周期地震動」('04)、「地震と防災」('09))。閉じられた空間ではそんな現象が起きる。最後は共振共鳴状態になるのだろう。もしも太古のように地球が遮るものの無い球面閉空間としての海であったなら、プレートの移動は海に一大ページェントをもたらしたであろう。大陸の壁が出来たおかげで、大地震でも反射波はあるにせよ一方向の津波程度で納まる。それでも地形特有の固有振動数があって、たまたま津波のそれと合致したら大変なことが本書に出ている。でも数値や実例では示してないので現実に起こったことがあったのかどうか判らない。
- 東北大震災の科学的解説は主にNHK TVの番組で視聴した。「百聞は一見に如かず」で模式動画による地震津波の説明は、TVの特性をフルに生かす題材だった。シミュレーションで、津波が曲り反射波と重なってゆく様子など印象深かった。TVやネットのおかげで我が家の百科全書を始めとする辞書類はめったに開けてもらえぬ。その死蔵ぶりは、無用の長物とまでは行かぬにせよ、印刷物の背負っているハンディを如実に物語る。理系書出版が下火になって久しいのもその裏返しだ。本が映像と勝負するのは愚の骨頂で、例えば繰り返し繰り返し反芻せねば理解できない内容に仕上げるとか、学の正道を提示し、この本ではここまでをという風に、「急がば回れ」が噛みしめられる内容にするのがいい。判ったような気分にさせる内容だと、読者は次に進まない。本書には次に何を読むべきかの案内もない。何度も嫌みを書いて著者には恐縮だが、丁寧な記載を望みたい、本書のことに「津波」の項にそれを感じる。
('15/8/17)