春の南西諸島・島めぐりW
- クルーズ第8日、4/28は喜界島訪問である。奄美大島から30kmも離れていない小島である。小雨だったが、午前の半日バス観光を楽しませて貰う。バスも乗務員も奄美大島から昨日来たという。飛行機で7分、でも運賃は1万円とガイド嬢が笑う。飛行場は小さいが昭和の初めからの歴史のある空港だそうだ。敗戦前は特攻機基地だった。特攻隊員が、島娘から貰った餞の菊を出撃の時飛行場に置いていった。その野生の菊が今空港一帯に群れ咲くという。サトウキビ一本道の途中で下車、前後起伏はあるが端から端まで一直線の道。珊瑚礁の隆起でできた島で、年2mmの隆起は、ニューギニアの年4mmに次ぐ速度だそうだ。スギラビーチは砂浜を珊瑚礁の自然の防波堤が囲んだ構造になっている。
- 地下ダム(国家プロジェクト)は見ものだった。農業用水ダムで、水はけがよすぎる珊瑚層にコンクリートの防壁を入れて土中のダムにした。地底には粘土層がある。多孔質の珊瑚層が雨水を抱え込む。コンクリート壁打ち込み場所に一部オオゴマダラの生域区があるので、その何10mかはトンネル内工事とし、地表部は自然の状態を維持した。このトンネル内を見学した。サンプル水が取り出せる。透明度は高いが硬水のため飲料には別途井戸がある。農産物加工センターで、国産品白胡麻(セサミンで有名)のほとんどが喜界島産だと聞いた。ただし日本の消費の大半は外国産で、国産率は僅かに0.2%だそうだ。加工センターには種々の容器や攪拌機、加熱装置などがあって農業立島を目指す農家の試験試作工場になっている。ミカンの精油が置いてあった。ミカンの種類が変わるだけで、こんなに香りが違ってくるのだと知った。ガジュマル(マメ科)の大木に驚く。これで樹齢100年だそうで、さらに奥地には樹齢300年のガジュマルがあるという。ほかにソテツの高樹齢大木があると聞いた。
- 本降りになった午後、黒糖焼酎醸造所の朝日酒造(株)の見学に出掛ける。見学料1000円。醸造所見学に見学料がついたのは初めてである。私は下戸のくせに酒蔵見学が大好きなのだ。遡れば造り酒屋が家業だったからといつも言い訳している。その割りに発酵工程が頭に入っていない。最近では日本酒では「発酵の里こうざき」('13)、焼酎では「石垣島'09」、黒糖焼酎では「名瀬と黒糖焼酎」('06)を書いている。タイ米+黒麹、ジャポニカ米+白麹の組合せでやっているらしい。ほかに黄麹があるが、この会社では使わない。黒麹や白麹は腐敗を防ぐ酸を副産する利点があると云った。腐敗とは何か、聞いてもあまりよく判らなかった。戻ってからWikipediaを見た。「(白麹も黒麹も)クエン酸発酵が盛んで、もろみをpH3程度の比較的強い酸性に保つことができる。したがって、発酵途中での雑菌の繁殖を防ぐ効果があり、比較的気温の高い地方でのアルコール醸造に適している。」と載っていた。上記の「名瀬と黒糖焼酎」にも類似の話が書いてある。
- 雑菌にはアルコールを酢に酸化する(腐敗させる)ものも含まれていると云うことかな。オールステンレスに近い近代的設備で、できるだけ自動制御にして杜氏の負担を軽減しているようだった。最後が試飲のコーナーで、初留、中留(外部黒糖による焼酎と自社黒糖によるものの2種類)、釜残(終留の方が正しいのかな)が並べてあった。蒸留はすべてウイスキーと同じような単蒸留方式である。初留はアルコール分が60度と高く、軽い揮発分を集める。飲み比べてもっとも美味い。軽い揮発分にさわやか味の成分が集まるのだろう。中留は40度ほどのアルコールで、製品原酒だ。水で適当に割って製品になる。自社黒糖による留分の方が味はよろしい。黒糖の不純物の量が違うという。
- 釜残のアルコール分は5%で重い不純物はここに集まる。日本酒に於いて昔は悪酔いの主犯と云われたフーゼル油(C-5アルコール)が、焼酎でも副産しているのなら、ここに集まるだろうと思い、舐めてみたが、さっぱり味のしないただの液体だった。水は井戸水をイオン交換で純粋化(軟水化)して用いるそうだ。お土産に直酌み原酒のミニボトル1本ほかをくれた。市販していない焼酎らしい。記念写真に全員が納まってくれた。工場は10名ほどで操業しているようだった。戻ってすぐ見たNHKの「もういちど、日本」で喜界島の黒糖を取り上げていた。石灰を入れてアクを取り、煮詰める手工業的製法であった。黒糖生産は江戸期にすでに始まった。初冬にサトウキビは刈り取られる。
- シャトルバスで喜界島中央公民館に出掛けた。解説員の説明は面白かった。1609年に支配権が琉球王国から薩摩藩に移った。文化はその中間的なものが多い。墓は今では日本型。お墓に興味があると言ったら安陪光正:「与論島と喜界島における風葬の変遷」、西日本文化 No.455(2012-2号)と言う文献のコピーをくれた。45年前に火葬場ができたが、それまでは風葬洗骨の沖縄型葬法が一般的であったらしい。風葬墓(ムヤ、喪屋のなまり)は崖下に掘った横穴式の洞穴墓だそうだ。挿入写真などには興味津々だったが、見学できるはずもなし、読むだけで満足せねばならなかった。
- 絶滅した喜界馬の最後の1頭が剥製で保存されていた。貧素な体格だが、爪が頑丈で蹄鉄の必要がないという。旧日本軍はその特徴に目を付け品種改良で大型化した馬を軍馬に用いた。喜界馬は絶滅したが、遺伝的にはトカラ馬と同じだそうだ。正倉院御物の螺鈿にはこの地方のヤコウガイが原料になったと思える品がある。ヤコウガイの生育北限であるため、貝の成長が遅い。従って年輪が緻密で優れた光沢を放つ。中国(唐)にも輸出された。島人は郷土愛の発露として成功を収めると恩返しに寄付をする。隣に立つ図書館は島の実業家が2億円を寄付して建設した。公民館にヒグマの剥製があった。ヒグマが島にいたわけではなく、外界を教えるための寄付だそうだ。ほかにもいろいろ公民館を飾る寄贈品があった。
- 屋根続きの喜界島郷土資料館のホールで演芸ステージが行われ、私は喜界島民謡保存会の島唄とアヌエヌエのフラダンスを鑑賞した。この土地に来てフラダンスかと思ったが、なかなかの出来映えで、聞けばあちこちで公演しているという。最後に司会者・土岐氏の飛び入りのパーフォーマンスがあった。土岐氏は大道ミュージシアンのような立場のヒトらしい。民謡保存会のばあさんが、踊るまではかえさねぇと言った。全員手踊り。船でもちょくちょくやらされたのが役立った。このおばあさんも含めこれまでの離れ小島の人々を眺めて来て、日本人のルーツの一つが南方系であると確信した。容貌が我らシナ系朝鮮系アイヌ系となにかちょっと違うのである。郷土資料館の展示品をみる時間がなかったのは残念であった。
('15/5/7)