早春の歴博
- 久しぶりに佐倉の歴博を訪ねた。歴博展示の鑑賞も目的だが、近近に自動車免許の更新のために高齢者講習を受けねばならぬから、そのための練習に、レンタカーで佐倉まで往復することとしたのである。片道約1時間のコースで、あまり渋滞のない道だ。JR四街道駅前、佐倉寺崎付近の大型店進出による景色の変化に驚く。最後に立ち寄った歴博付属の「くらしの植物苑」で見た花は、ハルツバキ、シナマンサク、コリヤナギ(行李柳)、サンシュユ、トサミズキだった。題に「早春の」を入れた理由である。
- まず企画展「大ニセモノ博覧会〜贋造と模倣の文化史〜」から。今はどうか知らないが、「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京)はなかなかの人気番組だった。台湾での収録でもずいぶん聴衆を集めていた。私も長く続けて見ていた。「科捜研の女」に出てくるような理化学鑑定も裏ではやっているのかも知れないが、TV画面では、壇上の鑑定士が心眼により一刀両断に真偽の判定をするのだから、うじうじと迷うだけの大衆は、一瞬胸の靄を吹き飛ばす涼風を感じるのである。その第2会場の「見栄と宴会の世界」には、地方名士の宴会会場に飾られた豪華な書画(実はニセモノ)が主催者のステータスシンボルを担っている、その雰囲気を、残された写真を下に実寸大に復元して示してある。大家の書画は高価で第一市場に出回らない。一方名家は身分相応の会場設定をしなければならぬ。ニセモノにも一定のニーズがあり、知ってか知らないでかは別問題だったようだ。
- はじめから騙すつもりで大がかりな工作を行う。我々は旧石器捏造事件を知っている。歴博までまんまと罠にはまった。日本の前期・中期旧石器時代の遺物や遺跡だとされていたものが、全て捏造だったと発覚した事件である。毎日新聞の大スクープで、発表考古学者が密かに遺物を埋めている写真を撮影することに成功したのが発端になった。これは考古学者の名誉心からの贋作行為だった。プロローグにある安南陶器ニセモノ事件は金儲け目的だ。ベトナムにおける発掘(演技だった)をフィルム撮影して、それを買い手に見せて信用させた。展示のニセモノ安南陶器はなかなかの仕上がりで、骨董品としての価格よりも(大量出土だからと云ったのだろう)1/10ぐらいで売ると云ってきたら、私でも手が出たろう。こんなに大がかりな細工をして、もし売れたとしても、一体採算が取れたのだろうかとさえ思った。
- 虚偽研究としては近々ではSTAP細胞事件が耳新しいが、この種の事件はいっこうにあとを絶たない。このHPには「地獄に仏」('95)、「世界的大発見」('95)、「前期旧石器時代」('00)、「三月の一面記事」('02)、「論文捏造」('05)、「量子力学と私」('04)、「「わかる」技術」('07)などに関連の議論がある。「前期旧石器時代」にも触れているピルトダウン人は、「発見」後40年間に、考古学の大御所のお墨付きまで得て、学会に定位置を確保したかに見えたが、理化学的方法で年代測定した結果古さが否定され、ついにオランウータンと現生人類の骨の合体細工であると判明した。この学会のミステイクは考古学が文系科学であったための間違いで、今は理系科学になっているからこの種の偽造は不可能だろう。人魚のミイラなどは、怖いもの見たさの人間心理を巧につかまえた見せ物屋の傑作だ。あれがカッパだったら見せ物になっただろうか。半信半疑で覗きたい人たちは、愉快犯を許しているのだろう。
- 「鬼平犯科帳」的時代劇には、ときおり偽小判事件が出てくる。本物偽物の判断は色ではなく金属音、硬度(歯で噛む)でやっている。アレキメデスだったら比重を持ち出すだろうが、与力や同心殿は両手に本物と疑問品をとって重さ比較をして、ハテナてな顔をする。展示室には本物と偽物が置いてあって、どれが本物か当ててみよとある。ただし触らさない。見るだけで当てるのはまず不可能だ。小判の製造過程と半製品が展示してあった。小判には銀が多量に含まれているから、鋳造品はヤマブキ色ではない。それを金色に色揚げするため、食塩、焔硝(硝酸カリウム)、緑礬(硫酸鉄)、丹礬(硫酸銅)および薫陸を梅酢で溶いた物を小判に塗り、炭火で焙ることを繰り返した(Wikipedia)。表面の銀は塩化銀になって取り除かれ、小判はヤマブキ色になる。巧妙な方法に感心した。偽小判は如何に作るのか、金−銀箔に同じ処理をして偽小判に張り付けるのだろうか。この過程を再現したシーンのある時代劇はまだ見たことがない。
- 縄文時代の土製の貝輪のイミテーションは女心のいじらしさを示す。貝殻には天然の芸術作品とも云うべき見事な模様を持つものがある。海岸沿いの村落だったらその収集は自由だろうが、内陸部ではままならぬ。内陸と云っても栃木県の荻ノ平だが、海辺の民の勢力圏には手が出なかったのだろう。土製の類似の腕輪が並んでいた。
- 特集展示「和宮ゆかりの雛かざり」では見事な雛道具に感嘆する。何分の一のミニチュアなのか知らないが、小さな裁縫用の和鋏まである。木製道具には蒔絵が施されている。名古屋の徳川美術館で、尾張徳川家の歴代の夫人が残したひな人形の展示を見たことがあった。あのときの感嘆が甦った。元大名家のひな人形としては、ほかに臼杵美術博物館の稲葉家のもの、村上市郷土資料館の内藤家のものを見ている。日田の町、村上市の町衆の雛かざりも見物に行った記憶がある。我が家に娘が生まれなかったため、我が家の雛かざりは増えなかったが、女の子の将来の幸せを祈念する習慣は、持ち続けたいものだ。御所人形、三つ折り人形もあった。後者は関節部でおれるもてあそび人形で、江戸時代のキューピーちゃんである。着せ替えをやったかどうかは知らない。
- もう一つの特集展示は「山の流行服」で、白山麓山村衣生活用具が中心という。木綿とかゴムと云った近代材料が普及する前の実用着で、草本木本の植物の皮を材料としている。ミツマタ、コウゾウから和紙を作るような要領で繊維を作り出したのだろう。雪の多い寒冷地の生活の困難さを思いやるのに十分な展示であった。
- 第4展示室(民俗)は'13年にリニューアルされた。私が最後に訪れたのは'13年の夏で、まだリニューアル中だったと記憶する。だから第4展示室は今回の目玉の一つである。エントランス・ルームは昔は法善寺横丁風景だった。今回はがらりと趣が変わって、三越のデパ地下を始めとするおせち料理の重箱が並んでいる。我が家では母の代には自家作成だったが、我らの代になってからは外部からの購入が多くなり、それもだんだん簡素化の方向にあるが、伝統の民俗行事の内、辛くも持ちこたえてきた数少ない祝い事だ。歴博では原則フラッシュ無し写真撮影OKだが、新展示は撮影不許可になっている。企画展ももちろんその範疇にある。アイディアを盗む不心得者への対策なのだろう。このおせちの並びも不許可だった。
- 次が能登キリコ祭風景。NHKの新日本風土記アーカイブスの動画にスサノオノミコトを手荒くもてなす様子が記録されている。壊れた御輿が展示してあった。このHPの「国津比古命」('96)に愛媛北条の国津比古命神社の祭礼を書いている。クライマックスでは御神輿4基を高い石段の上から放り出して毀してしまう。どういういわれで毀すのか知らないが、国津比古命も荒ぶる神のお一人なのであろうか。八重山の節祭が再現してあった。八重山群島の一つ石垣島には、立派な空港が開設されたため最近は観光客が多く訪れるようになった。私はクルーズで何度か訪れている。 実際の祭を見る機会はまだないのだが、石垣市立八重山博物館があって、伝統の風俗を細かに見せてくれる(「石垣島、竹富島」('00)、「'13年の南西諸島・台湾クルーズ3」('13))。ハーリー船や獅子を見ると、中国の影響が色濃く残っていると誰しも感じるだろう。比婆荒神神楽殿でまっ先に目に付くのが不相応に大きな注連縄だ。出雲大社に詣でたばかり(本HPの「冬の山陰観光旅行U」('15))なので、中国一帯への大社の影響を示すのかと思った。比婆荒神は広島県である。
- 近頃は家族葬と云って近親者だけの少人数の葬式が多く見られる。葬列も式場から霊柩車までだ。喪服の列が何列も立ち並ぶ昔風の葬儀を見かけることは少なくなった。遠ざかる記憶の中で、名画「二十四の瞳」の大石先生の母親の葬列は今も頭に残っている。戦中だから70年ほど昔だ。そう遠い昔ではないのだ。それぞれに役割を担った会葬者が順序正しく墓地まで歩いて行った。私は役割と順序が解説された説明文に見入っていた。もうお寺さんも喧しく云わなくなった。すべてが略式化され、あの世へのお見送りも何か生と死の境界意識を失った姿になった。佐渡の50回忌飾りを見る。私の世代で50回忌を執り行うヒトはもうほとんどいないのではないか。
- 出作りの景観、里の景観は昔の展示のままだった。出作りはもう見られないだろうが、里の景観はあちこちに残っている。東海道新幹線の車窓からも滋賀県の北方にはこのジオラマに似た風景が残っている。南に移ると、その風景に戦後に建てたせせこましい家屋群がかさなって、私がよく使う表現、ゴミ箱をひっくり返したような半田園地帯になってしまう。たぐいまれな経済成長の結果が、こんな無残な街並み村並みで現れているとは情けないと何度思ったことか。
- 第1,第2,第3,第5展示室を駆け足で回った。いくつか改新展示はあるようだが、基本的には2年前とほとんど同じだった。
('15/3/16)