お茶の科学
- 「茶の世界史」に引き続き、山西貞:「お茶の科学」、裳華房、'92を読む。「茶の本」は解説を拝聴しただけだったが、これで歴史、科学、哲学から勉強したことになり、頭に入ったかどうかは別にして、お茶に関しては一応の教養人になった? 茶道の作法はまださっぱりだから、当たり前ならここで点前の修行のため、どこかのお師匠につくところだが、まだ気が進まない。23年も昔の本だ、時代遅れもあるだろう、でもこの「科学」の基軸となるであろう微量分析機器には、出版以来、IT化は長足の進歩が見られたものの革新的新原理が出現したとは聞いていない。感覚に関する大脳生理学の進歩については、私はコメントするほどの実力はない。
- 宇治茶の茶園は覗いたことがある。宇治の上林記念館も訪れた(本Webサイト「トッピンシャン」)。佐倉の歴博の「くらしの植物苑」には茶樹があって、秋には花が咲く。近隣の観賞用の椿をずっと小型にしたかわいい花である。国民学校(小学校)時代の疎開先の田舎の寺には茶樹があって、和尚さんは大黒さんと自家用のほうじ茶を作っていた。春から一番茶、二番茶と若葉を摘んで、三番茶あたりでは真夏になる。秋冬茶まで収穫する。本書が出たころはもう機械摘みが主流になっていて、茶摘み歌ののどかな風景は見られなくなっていた。有名な「あれに見えるは茶摘みぢゃないか 茜襷に菅の傘」は、宇治地方の歌だったそうだ。
- 本書に野生の大茶樹が紹介してある。雲南省にあり高さ32.1m幹直径1.03mとある。日本の茶園の茶樹はせいぜい腰か腹ほどの高さしかない。成長するに任せたら、茶園はこんもりとした森になるのだろうか。歴博に立ち寄る機会があった。付属のくらしの植物苑の「チャ」樹の説明には、せいぜい1〜2mHだとあった。品種の違いであろう。我らの緑茶も長江下流流域の緑茶も小葉種、インド・セイロン紅茶は大葉種と「茶の世界史」には書いてあった。小葉種と大葉種の産地を辿って山奥へ行くと中葉種も出てくるという。自然と雲南省から四川省あたりが原産地だと判る。中葉種はウーロン茶になる。緑茶が不発酵茶、ウーロン茶が半発酵茶、紅茶が発酵茶だ。発酵は茶葉の主にカテキン類(タンニン)を自前の酵素で酸化して風味を加減する操作である。お酒のように発酵菌を外部から添与する発酵ではない。カテキン含有量は小葉<中葉<大葉の順に多い。発酵の程度と葉の大きさがパラレルで、紅茶が色の好みで選ばれたのではないことがはっきりしている。
- 日本緑茶では発酵を止めるために瞬間的水蒸気加熱をやる。葉の表皮の酸化酵素を不活性化するのだ。中国緑茶では、全部かどうかは知らないが、寝かせてからの釜炒り法だ。炒りにも少々時間が掛かる。するとカテキン酸化以外の副反応が出て、微妙に日本緑茶と異なる飲み物になる原因となる。日本茶も種類が多いが、中国茶はさらに品種が多い。100種と書いてあった。茶は「~農本草」には3千年の昔からとある。その本がAD200年に書かれたと云うから、野蛮人時代からの飲み物と云うことだ。中国人の誇大表現癖を入れても多品種は当然だ。竜井茶がもっとも有名という。
- お茶の風味は主に旨味、渋味と香気から成り立っている。旨味を受け持つのがアミノ酸類、渋味はカテキン類、香気は微量揮発性成分だが、ほかにポリフェノール類、脂肪酸類、糖類など幾多の化学物質が検出されているので、それらの関与、相互作用が興味を呼ぶ。私は飲んだことがないから正確ではないが、ノンカフェイン茶はどれほど茶の味を出しているのだろう。ノンアルコール・ビールのアルコール、ノンカロリー糖の甘味成分などがそうであるように、アルカロイド類もかなりに風味に寄与するのではないか。アミノ酸の中ではグルタミン酸とアスパラギン酸の旨味への寄与率が高いと云えば、昆布の旨味の主成分だから当然と思う。同じことで渋味に対する単味の寄与についても調べられている。
- 製茶の方法のほかに、風味に決定的なのは茶摘みの時期である。新茶には苦み成分が少なく旨味成分が勝つ。番茶は2番茶以降だ。茶の香りはppm、ppbオーダーの物質がものを言う。生まれつきのほかに、熱加減やら滞留時間が結構効いてくる。ことに生葉の頃は要注意である。酸化酵素を殺す方法ですでに差が付いてくる。香り関係物質だけでも600種が同定されているという。緑茶の緑色はクロロフィルのおかげだ。アルミニウムの湯沸かしで茶を入れたら、鮮やかな濃黄色を呈することがあるという。アルミイオンがキレート錯塩を作ったから。鉄イオンは味と関係するとは聞いているが、アルミイオンはどうなんだろう。玉露や抹茶用は、被覆栽培法を取ったおおい下芽だ。施肥もぐんと多い。旨味成分が違ってくる。これは宇治で聞いたことがある。
- ジャスミン茶は花茶の一種だが圧倒的に大量に消費されている。中国のお茶の75%を占めるという。緑茶にジャスミンの花の香りを移した加工茶だ。ジャスミンはつる性で、冬から夏にかけての長い花期があり、家の塀などによく見かける。ただし我々がよく目にするジャスミンはハゴロモ・ジャスミンである場合が多い。香気付けのジャスミンはマツリカで、図鑑で見るとよく似ている。インドやアラブ諸国では媚薬として使われているという記事も見つかる。一見テイカカズラに似ている、花期も似ている。奈良の薬師寺から唐招待寺への道で見間違えたので記憶している。ただしジャスミンはソケイの親類、テイカカズラはキョウチクトウの仲間である。
- ウーロン茶は日本では中国茶の代表のような扱いだが、中国での出荷量は全体の9%に過ぎないそうだ。日本では鉄観音がウーロン茶の代名詞にされている。鉄観音とは茶樹の品種名だ。今日では10数種のウーロン茶が飲まれている。茶葉の品種、摘む時期のほか重要なのは発酵の度合いで、緑茶に近いものから紅茶に近いものまである。日光萎凋ののち揺青のある室内萎凋に移り、ゆっくりと水分を飛ばしながら発酵を進める。萎凋は半発酵のこと、はやりの言葉を使って、ゆる発酵と云った方が良いのかもしてない、揺青はやさしく攪拌する操作を云う。紅茶の発酵との違いは、細胞を破砕せずに、酵素反応が順を追って進むように仕向けているところだという。本Webサイト:「オリエンタル・クルーズU」('08)に、船内で開かれた中国茶セミナーとチャイニーズ・ティー・タイムの話が出ている。
- 世界の茶の75%は紅茶である。茶樹の品種によって味、色、香の元来の化学組成は異なる。ことに香りは、閾値が低いのもその理由、つまりヒトが微量成分に強く影響されるという意味も含めて、品種依存傾向が強い。味と色の関係は認められる。香りは味とか色とは別物のようだ。日本では紅茶と云えばセイロン紅茶であった。世界最大の生産国はインドだが、日本の輸入量はスリランカ産が第1位だ。セイロン紅茶はアッサム種系だが、インドの大生産地ダージリンでは、実は中国種系が生産能力の関係で、多いのである。前者ではリノナールとそのオキシド類が多く、後者ではゲラニオール量で勝る。嗜好品は容易には置換されない。リノナール系の香りがするのが本物の紅茶だと、日本人は思い込んでいるのかも知れない。
- 香気成分は実に微妙な相手のようだ。一番若芽じゃなくて二番がいい、緑茶と逆だ、ウンカに虫食われると香気が増す、発酵や機械的ストレス、あるいは乾燥操作によって増減があり成分のバランスが変化する。いじめられると生成物質を変える生体反応、酵素反応や配糖体の分解などいろいろ書いてある。雨季乾季がはっきりしていて、昼夜の温度差が激しいなども原料茶葉に好ましい方向だという。インドネシアではインドより100年も早く栽培が始まったが、気象条件が温暖なためいい茶が作れない。さらに、製造工程の相違、ときには天然/人工香料添加、最後の最後になってのブレンド操作などで、我々に届く紅茶のルーツや化学変化の中味は、誰にも判らないブラックボックスの中にある。
- ウーロン茶はペットボトル入りを買って飲むのが一般的で、茶葉から淹れるヒトは少ない。緑茶となると一転して淹れ方をうるさく云う。紅茶はそれほどではないが淹れ方をとやかく言うヒトが結構いる。淹れ方がチャの風味に影響する程度は緑茶>紅茶>ウーロン茶だと本書にも出ている。お茶の水という地名がある。観光地を訪れると、史上名高い武将とか茶人が茶の湯に使った湧き水とか井戸に出会す。硬水がチャに適さないことは誰でも知っている。日本の水道水は軟水だから、夏場などでカルキー臭のある場合に沸騰させて使うようなことがあっても、ほとんど軟水のありがたさを感じないで済んでいる。だがヨーロッパの水道水は硬水が一般的だから、その水では旅行に用意した高級緑茶はいっこうに高級な味がしない。蒸留水もダメだ。水溶性イオンが直接にときにはチャの有効成分との相互作用で味に貢献する。重金属はタンニンとキレート化合物を作るだろうし、それが時には澱となって茶に浮くこともあるのではないか。
- 茶を淹れる操作は、化学工学的に云えば、回分式固液抽出である。平衡に達するまで抽出を続けるのではなく短時間にさっと終えるのだから、茶葉の有用成分の抽出率は同じ温度の湯でも成分ごとに異なる。湯温を変えるとたちまち成分ごとに異なる変化を示す。そこに茶の湯の先生が登場する場がある。各化学組成成分の時間ごと温度ごとの変化データが図表に示されている。高級茶ほど少量の温めのお湯で淹れるというのが一般常識だ。番茶などは熱湯で良いのは衆知の通り。紅茶は熱湯を使う点では品種間に差がないらしいが、茶葉の量とか抽出時間には差を付けた方が良いようだ。
- 茶は養生の仙薬、延齢の妙術として日本に入ってきた。茶が僧の修業を助けると云う理由で禅宗で用いられたのは、カフェインの覚睡作用、強心作用に基づく。コーヒーの源流がイスラム僧の修業における眠気覚ましであったことと一致する(本HP「コーヒーの世界史T」('15))。豊富なビタミンが養生に効くことは誰でも理解できる。茶の主要成分カテキン類の生薬としての貢献は、複合的相乗的で、機構までは解析できておらず、実験事実程度の話が多い。生活習慣症のうち高コレステロール症に有効という記載には注目した。ラットでの実験で著しい効果が示されている。ほかに血圧上昇抑制作用、血糖降下作用も報告されている。やはりラットの実験で、抗腫瘍、発ガン抑制作用が報告されているという。読んで行く間になんだか茶が、万能保健薬のように思えてくるから、不思議だ。現在ではその智恵は継承されていないようだが、茶殻は昔は結構有用な掃除剤だった。私の母はなんと思って使っていたのかは知らないが、脱臭作用があると本書に出ている。
- スーパーのチャ売り場を覗いてみた。緑茶と紅茶では繊細さが違うと知ったからには、賞味期限を調べようと思ったのである。驚いた。紅茶のパックや缶の賞味期限は今日よりずっと後なのに、緑茶のそれはもう期限が切れている品がずいぶんとある。緑茶が売れないからかそれとも賞味期間が短いためか。もう少しあちこちで調べてみよう。
('15/3/17)