コーヒーの世界史U
- 以下は白井隆一郎:「コーヒーが廻り世界史が廻る」、中公新書、'92に対する感想:「コーヒーの世界史T」の続きである。
- JCCME(財団法人 中東協力センター)のHPによると、1814年のアラビア硬貨1ピアストル(piastres)は0.01ポンド(pounds)という。これは純金0.074375gの金貨に相当する。現代価値に換算するのは困難だが、1871年の日本の1円金貨が金1.5gだから0.05円。明治の1円は今の4千円-2万円。よって現代なら1ピアストルは200-1000円。中を取って600円として、当時のコーヒー価格を考えてみる。イタリアのリヴォルノでの多分卸売価格が17世紀末で1ピアストロ(=600円)/kgコーヒーだ。現在のコーヒー豆相場は、品種によりけりだが、300-400円/kg見当と思われるから、今の我々から見ればそんなに高価ではないが、生活水準が今の1/10程度だとしたら、庶民には高嶺の花だ。フランス革命前のフランスにおけるコーヒー価格が80フラン/ポンドとある。1フラン=純金0.290322gだから1フランは20銭。よってそのころコーヒーは35.6円/kg、これは現在価格で42.7万円/kg。イタリアの場合とは違うとんでもない天文学的高値だ。本当か? どうも本書では文献数字が生で未検討のまま入れてあるらしい。
- イエメンのモカは年1万トン以上の生産が出来なかった。大型資本によるジャワ、西インド諸島、中南米のプランテーションによる量産コーヒーに圧倒され、20世紀はじめには400人ほどの寒村に落ちぶれていた。ヨーロッパのコーヒー消費量は19世紀には1500万ポンドになっていたとある。でも1500万ポンドとは0.7万トンである。ハイチが、18世紀後期のある年に、フランスに輸出したコーヒーは8000万ポンドとも書いてある。どうもこの著者の数字は矛盾が激しい。単位を取り違えているとも思われる。一般教養書にするには、軽薄に数字を並べない方がいい。入れても良いがきちんと注釈を付けて欲しい。ワイマール共和国末期からヒットラー全盛期にいたる頃の世界のコーヒー消費量は、1880トン/年と出ている。その頃になると、その3/4をブラジルが生産していた。
- フランスのコーヒーは、ウィーン包囲のオスマン・トルコ軍が、ドイツ・ポーランド連合軍に敗れ、退却した時に始まった。置き去りの荷に大量のコーヒーがあったのだ。紆余曲折の末、パリのカフェは市民権を得、フランス革命のdebate会場となって歴史に貢献する。イギリスと異なるのは、はじめの貴族の飲み物の時代から、コーヒーは女の見栄とおしゃれに取り込まれていたことで、紅茶に座を奪われることもなく今日の隆盛に繋がっている。カフェ・オ・レはフランス人のお医者の発明だ。その頃のコーヒーはその嗜好的魅力にかかわらず、胃がんの素とも云うべき忌むべき飲料として怖れられていた。理由なきにしもあらずだ。それを豊穣と清純のシンボルである牛乳で薄めて(中和して)身体に快適な飲料としたと唱った。
- オランダに対抗して、フランスはハイチなどの西インド諸島にコーヒー・プランテーションを展開して、多大の利益を上げた。本場であったイスラム圏も西インド諸島産のコーヒーを輸入する羽目になった。安売りしたのである。断片的に本書にある数字から換算すると、卸値200-250円/kgほどで売ったのではないか。これなら今の日本でも極安の小売品が可能だ。プランテーションに必要な労働力は、アフリカからの奴隷に依存した。奴隷狩りで集められた人々の、苛酷な運命が数字で出ている。アメリカ大陸に着くまでに1/3が死ぬ。アフリカから輸出された奴隷合計は1500万人だが、18世紀末のアメリカ奴隷人口は300万だ。白人が人口爆発を起こした時代なのに、彼らは1/5になっている。
- 西インド諸島の先住民は、スペインやポルトガルの占拠以来の仮借のない絶滅政策で、生残っても絶滅危惧人種化した。必要労働人数は揃わなかったから奴隷輸入が起こった。私は、昔々、今では多分絶版になっていると思うが、岩波文庫(多分、ラス・カサス:「インディアスの破壊についての簡潔な報告」(原著は1552年刊行))で、キューバ派遣司教の、先住民の虐待虐殺レポートを読んだ覚えがある。キューバでは、先住民は完全に絶滅した。ハイチはナポレオン没落後完全独立を果たした。だが、最貧国のままで相も変わらずコーヒーが主産物である。
- ナポレオンの大陸封鎖は、対立するイギリスやロシアにも大きな影響を与えたろうが、支配大陸内部も大変だった。ドイツ人は科学者魂を発揮して、ありとあらゆる代用コーヒーを市場に出した。日本の緑茶の代用品たとえば麦茶とか昆布茶などは、ちゃんと市民権を獲得して独自の飲み物になっている。しかし代用コーヒーが今も生き長らえているとは書いてなかった。ポルトガルはナポレオンに従わなかったために、侵攻を受け、王室は南米植民地ブラジルに難を避けた。独立したブラジルが、コーヒー大国化するのは、ナポレオン没落後しばらくしてからになる。ドイツ発明の代用品で大成功だったのは甜菜糖である。輸入の停まったキューバの甘蔗糖と同一化学物質であったためだろう、代用糖などと云う不名誉な言葉で呼ばれることもなく、今もってヨーロッパの砂糖需要に対応している。
- ドイツの東アフリカにおけるプランテーションは成功しなかった。獲得植民地は気候としてはまあまあであったようだが、以前の激しい奴隷狩りの後遺症で、労働力が不足していた。原住民の文化にはないヨーロッパの賃金体系を持ち込んだのも失敗だった。2/8の読売の論壇:「地球を読む」の北岡伸一国際大学長が述べているが、日本憲法は、内容の良し悪しは別として、形式上は隠蔽されているものの、明らかに、占領当局GHQによる支配者の論理の押しつけである。世界史の反省(勝者支配権者の文化押しつけが好結果を生まないこと、キリスト教側の対イスラム姿勢にも十分云えることだ)を込めた国際法にもポツダム宣言にも違反している。「世界史の反省」というコンセンサスをもたらした原素材をドイツも東アフリカで作っている。彼らは結局、原住民を、奴隷にしか値しない人間として、河馬に使う鞭で使役したという。反乱が起き機関銃で制圧した結果、部族によっては1/20〜1/30にまで人口を落としたという。
- ドイツのコーヒーに賭ける執念はヴィクトリア湖湖畔で成功を見る。かの有名なキリマンジャロ・コーヒーの産地からはチト遠い。コーヒーの起源も違う。それがモカ・コーヒーとして売られる。イエメンのアデンから輸出され、ヨーロッパ人のモカへの郷愁が順調な出荷に繋がったとある。だがコーヒーが生産過剰に過当競争を強いられている間に1次世界大戦を迎える。コーヒーは前線の必需品と格付けされていた。輸入が途絶えるドイツはまずは中立国経由でコーヒーを蓄積し、さらに民間貯品まで登録させ、厳格な国家コーヒー需給計画を実施した。ソ連成立前の唯一の国家計画経済だと書いてある。引き金ではなかったろうが、兵士への支給品が途絶え勝ちになった頃、海軍から革命の火が上がる。ドイツ海軍はU-ボート以外はさっぱり閑で、軍人が余計なおしゃべりにうつつを抜かすようになった結果だと、面白半分?に書いてある。
- コーヒー・ベルト地帯という言葉があるそうだ。産油国と同様に生産国は限られている。だが産油国が連帯して、エネルギー市場の指導権を石油資本から取り戻したような歴史は作られなかった。いまだに生産国はモノカルチャーのままに、価格の上がり下がりに国家経済を揺さぶられている。1次大戦後世界の大生産国となったブラジルは、価格維持のために過剰の農産物を買い上げ、時にはそれを焼却した。本書を書き下ろす切欠は、ワイマール共和国展に出ていた1枚の写真だったという。なんとコーヒー豆が蒸気機関車の燃料として燃やされている写真だった。
- 著者の蘊蓄がほとばしるような本であった。数値に対する疑念を残したのが惜しまれる。
('15/2/9)